三十路男と三十路女の恋愛・子作り・結婚 〜ジャポンetフランス〜

日本とフランスの恋愛事情はその違いばかりが強調される。

しかし、現代の日仏は、高校や大学大学院とある段階まで学校に行ってから社会に出るという構造が共通するため、恋愛の構造も多分に似ている面がある。

そして、同じ人間である以上は体の構造が同じだから、女性は欲しいなら35歳までに子供を作らなければならない、というような観念は現代において双方の社会に共通している。

さて、二十歳の時の自分と三十路の自分を比較すると、それは自身の幾ばくかの経験値の違いもあれば、あるいは周りの友達や先輩後輩が教えてくれることから、実に恋愛や色恋、結婚や色道に対する考えも変化するものである。

今回は、自分の身に降りかかることとシンクロして、親愛なる友に感じ思うことを、書き連ねたいと思う。

仰々しく言って、このブログで僕が何かを発信し、書き残すことには、主に二つの意図がある。一つ目は、同時代の日本の人々に、デフォルメされたフランスではなく、真実のフランスやヨーロッパの姿を発信したいということ。もう一つは、自分が歴史を勉強している故に、昔の人の書き残してくれたものが、いかにある時代の人たちを知るのに助かるかを知っているから、この21世紀初頭にたまたまフランスに住む、この名もなき日本人の感じたことを、いつの日か歴史研究にでも使って欲しいという思いがある。

また、歴史史料は、公的な記録より、手紙や日記など私的なものの方が、その時代の人々の感性がわかり、従って人間味を帯びる。

そして、今回は親友の身に降りかかった出来事を描写するが、このことに関しては、彼やその周りの人間が誰一人として日本語を解さないことに免じて、自己弁護とともに赦しを乞う。また、僕の周りで彼を知っているのは、直接的には私が大変お世話になるほんの数名の日本人しかいないから、普遍的に日本人に感づかれる存在ではなく、プライバシーの問題には抵触しないと考えている。

僕とこの親友ともう一人の親友は、決して血肉分けたる仲ではないが、実にフランス人二人と日本人一人の、互いに兄弟とも言えるようなトリオであり、そして、その二人はもとより日本に興味を持っていた訳でもないから日本語も出来ず、酒を除けば究極的に共通する趣向があるわけでもない。それでいて、なぜか気が合うて別れられぬ仲なのである。

かつてニューヨークヤンキースの松井秀喜、デレクジーター、ボビーアブレイユの親友三人は三十路を過ぎて独身を貫き、誰が最初に結婚するのか賭けていた。我々はこの時の三人の状況に少しばかり似ている状況とも言える。

ここでは、僕を除く二人の名前を仮称して、キャメルとマルボロとしておこう。僕の愛飲するタバコは日本のPeaceライトだから、その二人はそのタバコの銘柄を好んで吸っているという訳だ。

そして、今回このレースに抜け出る格好となったのはキャメルである。

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EU議会選前夜のフランスの雰囲気 〜Brexit・Frexit?ナショナリズムのカムバック〜

この2019年5月23日から26日にかけて、EU議会議員選挙が行われる。
これは言わずもがな、ヨーロッパのあり方を決める最高議会の代議士を選出する選挙である。

今回はイギリスが未だEU離脱を決行せず、イギリスのための議席がキープされることとなった。そのため、人口比で国ごとの議席数に差はあるが、総数751議席を、各国の政党が争うことになる。

選挙は日本の衆参選のように考えれば良く、市民がEU議会に代議士を出したい国内の政党へ投票し、当選したものがEU議会の代議士としてブリュッセルに行く。行く先が国会からEU議会になるだけのようなものだ。

そのため、まったくこの構造は国内の政党政治を反映する。

今回のEU選でフランスにおいて、争点となるのはグローバリズムとマクロン大統領の是非である。

この選挙での勝敗は、2022年4月のフランス大統領選への弾みともなれば、来年にはフランス上院の半数の改選もあるからこれへの試金石ともなる。

さて、海を隔ててイギリスの状況に目をやれば、Brexitの履行を行うのか否かが争点となっているようだ。国民投票でEU離脱を決めたイギリスは、何回もこれを先延ばしにし、ヨーロッパ諸国の顰蹙を買っている。
他方、EU絶対支持の人々からは、抜け出ないことへの安堵がある。

イギリスにおいては、直近の支持率調査で、それまで常に支持率のトップであった労働党が急落し、20%後半から35%の支持を受けるBrexit党が、自由民主党や労働党、保守党を軒並み10%は凌駕してダントツの一位になっているという。

なぜBrexitがこの4月ぐらいから躍進し出したのかは、イギリスに住んでおらず、また、分析不足で言及できない。しかし、これもイギリスの民意が改めてEU離脱を志向していることを示し、仮にこれが覆らなければイギリスはEUを離脱することになる。

さて、フランスにおいても、反EUは根強い。

フランスのEU離脱Frexit強硬派で、スイスのような国民国家をモデルにするUPR(人民共和連合)があるが、これは1%の支持程度しかなく、EU懐疑派や離脱派がこぞって支持するのは、親父の代からフランス「極右」の代名詞であるルペン一家が率いるRN(国民連合)である。

この党はFNと最近まで言ったが、親父のジャン=マリー・ルペンが1972年に創設し、今はその娘で、マリーヌ・ルペンという見るからに肝っ玉母さんが率いる筋金入りのナショナリスト政党だ。ルペン家と国民連合は昔からメディアに「極右極右」と叩かれ、キワモノ扱いされてきた。

しかし、親父は2002年の大統領選でシラクに2位まで肉薄し、親父と内紛してこれを追い出した娘も、先の2017年大統領選で2位につけるダークホースぶりを発揮する親子なのである。

下院においてはこの政党は6議席のみにとどまっており、今の所、マクロンの政党共和国前進が577席中314議席で一人勝ちし、100議席を右派の共和党が持ち、それ以外を左派連合47議席を筆頭に、別の政党で分け合っている。

しかし、地方議会の議員数では3番手で、前回のEU議会選挙では74議席中24議席で1番になっており、結果反EUのフランス政党が一番多くのEU議会議員を有するというシュールな現象となっている。

このように元のキワモノ政党は、じわじわ力を付けてきて、もはや無視できない存在であり、メディアはこれを叩くことに躍起になっている。

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フランスのお家芸としての階級闘争と日本 〜21世紀前半のフランス暴動の時代に〜

フランス人の革命気質

半年前から続く、毎週土曜日の黄色いベスト運動はとどまることを知らない。
最初は燃料税反対のデモであった黄色いベスト運動も、今や大統領反対運動に性質を変え、来たる欧州議会選挙での反大統領派への共闘の呼びかけが盛んである。

多くのフランス人が、「暴動や革命は我らの伝統」と言うが、確かにフランス革命以後、定期的にフランスでは暴動が起き、それは時に、政権を転覆させた。

フランスの革命といえば、1789年にルイ16世とマリーアントワネットがギロチンされた例のものが印象に強い。
しかしフランスの革命は何もそれだけではない。

王政復古したが、シャルル10世が倒された1830年の7月革命。その後に樹立されたオルレアン朝のフィリップ1世が倒された1848年の革命などがある。

旧体制を倒して新政権を樹立するという転覆構造ではなくとも、1968年の5月革命など、平民層の暴力・破壊活動で政権が大打撃を被り、政策の撤回、あるいは平民層への際限なき譲歩をした歴史もある。

今回の黄色いベスト運動も、貴族でもなければブルジョワでもない、怒り狂ったフランスの平民たちが暴動を起こして大統領の増税政策を撤回させ、歩み寄らせたという点で、それと同質である。

・階級闘争としての革命

革命というのは、フランスが世界に先駆けて成功させた、階級闘争に他ならない。
日本と異なり、フランスの王政の失敗は、王家と貴族が富と権力を独占し、自分たちだけが免税と年金を貪る唯一の特権階級として、平民に圧政や専制を行なったことにある。
金を蓄積し、ベルサイユ宮殿など、絢爛豪華極まりないものを構築する。民のことは慈しまない。そんな中、アメリカ独立戦争や、飢饉、物価高などにより財政難に陥った王国は民へのさらなる課税を目論む。しかし、これ以上の増税に耐えられないと怒り狂う平民がバスティーユ監獄を襲撃し、それが平民に長らく蓄積した不満に点火して爆発し1789年に革命が起こった。

平民VS貴族という構図の中で、すぐ数に勝る平民側の階級闘争が起こるフランスは、今はその構造が、平民VSエリート層に変化しただけの話で階級闘争であることには何ら変わりがない。
それは、貴族に代わって今の国を動かすのはエリートであるからだ。

ブルジョワは平民であるが、金持ちだから、平民の最上流であり、格差以外の何者でもないとみなされている。そして、ブルジョワから輩出されるエリートは特に「共和制の貴族(aristocratie républicaine)」などと言われ、良い学校に行き、とりわけ政治家や高級官僚として国を動かすコースを歩む。

シャルル・ド・ゴール将軍は、貴族の家柄で、軍人から大統領になったから別。サルコジはハンガリーやユダヤ移民の平民でしかもパリ第10大学という非エリートコース叩き上げで、この一種の親しみやすさや普通っぽさが、当初彼の人気の一つであったように別。
ザ・エリートは、その後の、社会党のオランド・そしてマクロンである。彼らは、平民の上り詰める極致にある人間である。

だからそもそも、労働者層の平民から暴動を起こされ退陣を求められているマクロンは、生まれをして、ある意味中下層の平民から逆差別されて嫌われるプロフィールを持っている。

完全なエリート社会にあるフランスにおいて、普通の平民はこのÉlitisme(エリティスム・エリート主義)を嫌っていて、簡単な感覚で言えば、ブルジョワやエリートは「ブルジョワでエリートのあいつに何がわかる」という眼差しで、大多数の市民から常に見られているのである。

そして、元祖フランス革命と似たロジックで、「もう増税などしてくれるな。共和制貴族の野郎ども」と黄色いベストが起こり、それが終わらない。

もう王政の時代ではないのに、こういう階級闘争の構図が常にフランス社会に内包されている。

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メーデー&黄色いベスト!〜パリのおまわりさんの友人に聞くデモ〜

行きつけのバーで友達になった人に、パリ市警の警察官がいる。

彼は、もともとフォンテーヌブローの出だが、彼女を連れて、Uターンしてフォンテーヌブローに戻ってきた。この彼女が日本趣味の人で、話し出したら止まらない。

今の勤務地は、ムーランルージュ近くのピガルの警察署で、おまわりさんをしている。

ピガル地区は、モンマルトルの坂を下ったふもとであり、一大売春地帯で、薬物の溜まり場であり、歌舞伎町をイメージすればいいかもしれない。

「眠らない街」的なエリアである。

さて、異動する公務員というのは、良くないところから良いところへというのが、フランスの通常である。学校の先生も、若手は治安も悪ければ学力も低い貧困地区の学校に配属される。

警察官も同様で、危ないところからキャリアが始まり、キャリアの終盤になって希望すれば、落ち着いた比較的楽に働ける地域へようやく異動できる。

僕からすれば、ピガルの警察署は歌舞伎町所轄の新宿警察署みたいな感じがして、物騒そうであるが、彼曰く本当に危ないのはパリ郊外の警察だという。

彼は、去年の12月に犯人取り押さえの際、背中の同じ場所を続けざまに2度怪我し、ただいま半年の休職中で、いつも僕と同じバーに飲みにきている。

そして、「ウー 🚔 🚨」とはやってくれないが言葉数だけは柳沢慎吾級の彼と意気投合し仲良くなった。

憲兵の友達はいるが、警察官は初めてなので、警察のこと、黄色いベストのことやフランスのデモのことなど色々聞いてみた。去年の末に、休職するまで、黄色いベストにも毎週出動していたほやほやのおまわりさんである。

フランスの警察官も大変なようで、彼曰く、去年2018年は運良く殉職者がいなかったものの、フランス全土の警察官で、年間35件の自殺があったそうだ。どれほど警察官の仕事が精神をすり減らす大変なものか、うかがい知れる。

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パリの街並みが残されたわけ 〜その偶然と必然〜

奇跡としてのパリの街並みの古さ

パリ以外のフランス人は、得てしてパリを嫌う。若い時は学業や仕事のために、パリに出てきても、30あたりでパリから地元へUターンしたり、もう住みたくないと地方都市へ出て行く人は多い。確かに、一定年齢に差し掛かったら、パリに住むことは相当疲れるはずである。

日本人には意外に思われるかもしれないが、パリの悪口をフランス人に言わせたら、それは凄まじいものになる。

「パリに住んでいる私が好き!」という類のナルシスティックな自己陶酔に入っている人でなければ、パリのことは大体の人が、好きではないと思われる。

しかも、昔からのパリジャン・パリジェンヌも、昔のパリはこんなにせかせかしていなかったし、もっと良かったと口を揃える。曰く、どんどん生活の質や、パリに住む人々の気質が悪化しているそうだ。昔はパリの人々も、すれ違いざまに、Bonjourなどと挨拶し、にこやかで、ゆっくり歩いていたという。僕からすると信じられない話である。

僕もパリからフォンテーヌブローに越す時に、南仏出の友人から、フランスはパリだけじゃないから、本当に違うところも見て欲しいと歓迎されたものだ。

ただ、夜遊びとイベントごとだけは、やはり大都市だけにパリは楽しい。生きづらさか夜遊びか、どっちを取るかだ。

あと、最近はパリから距離を取っているだけに、僕もパリをうろつくとお上りさん気分になり、アートなどパリはやっぱり面白いところもあるんだなと再確認した。中に6年もいると気づかない。

田舎は、夜遊びのバラエティに富まないからこそ、みんな同じお気に入りのバーの馴染みになる。僕は、最近フォンテーヌブローで行きつけのバーを介して友達ができてきているが、パリの人付き合いは表面的だから、田舎の人の方が、溶け込んでしまえば、家に呼んでくれたり、密な人間関係になれる。それはそれで、人間的で良い。

ここ、フォンテーヌブローの若者たちも、いろいろ話しているとパリを嫌い、逆に郷土愛に充ち溢れている。そして、若者の中核は、30前後のUターン組が圧倒的に多い。

これまたUターン組の、30代の行きつけバーのマスター2人は、パリには片道1時間でいけるのに、年に3・4回しかパリへ行かないし、パリが嫌いだと言って憚らない。

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ノートルダム炎上 〜ノートルダム一件に見る、現代フランス人の社会と精神性〜

ノートルダムが燃えた。

並ぶのが嫌いな僕は、ノートルダムに入ったこともなければエッフェル塔に登ったこともない。
ただし、年がら年中そこに当たり前にあるものが無くなるというものは、いささか無常を感じさせる。

さて、世界中をこのニュースが駆け巡った時、FacebookなどのSNS上では、様々な人がノートルダムの行く末を見守り、世界中の多くの人が、これに関心を抱いていた。
何かノートルダムに思い入れがあるような人は、尚のことである。

しかし、テロの時もそうであったし、黄色いベスト運動にせよそうであるが、事件や社会的に大きな出来事があっても、それと同時に、人々の普通の暮らしは絶え間なく営まれていく。
そして、ある一つの現象を第三者として遠くから見るときに、表面だけを切り取って、さらに適切に表現を試みるなら、切り取られた表面だけの情報で、ある出来事の全てを分かった気になってはならないと今回は強く思わされた。

燃えている同時間に、僕はFacebookである面白いフランス在住の知人とやりとりをしていたが、彼は早速、Facebook上で、ノートルダムが炎上したことに対して、ニコニコマークを押したり、書き込みをして喜ぶフランスの人々の現在進行形のリストアップページをシェアしてくれ、僕はこの現象を非常に興味深く感じた。

そして、僕はノートルダムが燃えた15日の夜、行きつけのバーにいた。
そこで僕は、ノートルダムが燃えたということにフランス人たちがどうリアクションをするのか知りたかったから、行きつけの客の女の子とバーテンに、燃えたねと話しかけてみた。しかし、彼らは、さっきからテレビの何をつけても、そればっかりで嫌なことと言い始めたのである。そして、テロ説を唱える人も当初はいたから一笑に付していた。

この白人フランス人2人は、ノートルダムが燃えたことへの無念さえ示さずに、僕と淡々と楽しく飲んだのである。

2回目のテロの時は、さすがに人が死んだり、火災ではなくテロというものであっただけに、流石に社会がどんと暗くなったが、今回のノートルダムの一件では、そこまで、パリやパリ近郊がどんよりした空気になったとは思えない。

無論カトリックの人や教会芸術の愛好家からしたら、悲しい気持ちになるであろうが、市民の多くが、落胆の顔すら見せず、通常運転の日々の生活を営んでいる。

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日本学を学ぶフランスの生徒たち 〜日本趣味かオタクか、あるいはホモか〜

・ある女学生の涙

ある1年生の女学生が、家族に日本学科に在籍し続けることを反対され、今年を限りに辞めざるを得ないかもしれない、ということを泣きながら相談してきた。

特にお父さんから、何にもならない日本学をやるよりも、法学や経済学など将来的に就職しやすい学部へ転科しろと命令が下ったと言う。

そこで僕は、「父君の仰ることは、半分正しい」と答えた。

そして、授業でも折に触れて言っているが、改めて、以下の2点に関して話をした。

1. 日本学の学士号など、就職に際して何にもならないということ。もし、日本学者で食っていこうと腹に据えているなり、人生を通して日本に仕事で絡んで離すまいという覚悟がないならば、失業一直線であること。

2. 日本語を勉強したり、日本に関わっていくアクセスの仕方は、何も日本学科だけではないということ。語学学校や日仏交流のアソシエーションや、パリ日本文化会館のイベント、ワーキングホリデーなど、日本という外国への関わり方は様々であり、趣味レベルならそれで十分であるということ。

ということで、将来フランスで普通に仕事にありついて、同時に大好きな日本文化にも触れたいという2つをゲットするなら、やはり、法学や経済学などの実学を修めないと、この社会構造の中では立場は弱くなる。これは日本と同じ。

2019年で8.8%の失業率。2018年11月で25歳以下の21.8%が失業しているフランスである。
仕事があると言っても、55%は非正規雇用だから、こんなフランスにあって、ビジネスライクな学問を修めないということは、自分から社会の弱者になろうとするようなものであると、残念ながら言わざるを得ない。

僕も史学に進むと決めた時は、いわゆる企業のサラリーマンにはなれないし、なりたくもないと決めてかかったものだが、史学科へ入るのも、ただ歴史が好きで、などという理由の場合、就職には大不利で、大変なことになる。

かつてパリ第七大学で、フランス史の学士課程を聴講して、友達ができたが、その界隈で、卒業後に正規の職業についている人間など皆無で、せいぜいいいところ、中学の代用教員や、史資料保全の契約公務員などである。
歴史学も実学でないから、失業一直線。

もちろん、法学や経済学を、学部レベルで修めたところで、学問をしたとは言い難いし、人の頭がいいか悪いか、人格が良いかそうでないかなどは、修める学問により変わるわけではない。

しかし、日本においてもフランスにおいても、社会の構造が、非実学を必要としていないのだから、その本質の無意味さを突いて、社会を変えていかない限り、当面は学位のために就職のし易さに差が出るのは、仕方がない。

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なぜにフランスでは精神病が多いのか 〜4人に1人が精神病のフランス人、陰と陽・チェットかシナトラか〜

フランス精神病者の割合

フランスで、精神病のことについて考えさせられる出来事に遭遇し、これを機に、フランス人の気質(南仏人を除く)は、どうしてこんなにも根暗で、陰気で、精神病の人が多いのかということを、ちゃんと調べて、自分なりに分析してみる気になった。

確かに、私の周りを見ても精神病の人はままいる。
大学の先生方に聞いても、Fragile(フラジール)な人がフランス人には多いということを聞くし、現に生徒と接していても、極めて精神的に弱い人が多いのは見て取れる。これに、対応することもある。
そして、生徒のみならず、フランス人の先生方の中にも、医者から処方された向精神薬を飲まないといけないことを公言する方も多いと、ある先輩教師が言っていた。
精神病で授業中に発狂したり、休職した人も知っている。
また精神的にキテいて薬を飲んでいることを公言する人も多いことから、なんとなく考えるに、フランス人は睡眠薬とか抗うつ剤を飲むことを普通とするきらいがある。

また、悲しいことに、いた世界が悪かったばかりに、ゲイ差別とアジア人ハーフ蔑視を苦に、公言してMDMAを常用していた、僅かばかりの仕事仲間の、躁鬱病でゲイの知人が本当に自殺してしまったこともあった。
僕は自然物のマリファナならまだしも、化学物質の麻薬はやめたらと数回言ったし、なんとかいろんな人に尋ねて、二丁目かなんかのゲイバーのマスターあたりで働けるようにしてやるから心配すんなと何度か打診していただけに、運命とはいえ、今でもこの二十歳で散った知人を思い出すと、儚い気持ちになる。
そして、今もうつ病の自殺願望者も知っているし、精神病の生徒も数名いる。

無論、日本とて例外ではない。現代日本社会においてはうつ病の人も多いし、自殺も多い。
これは、日本人本来の楽天的な浮世の性質を、モーレツ社員とか、社畜とか体育会系礼賛みたいなものに代表される近代化の歪みが、日本人の本質を圧迫していることが原因に思える。

それにしても、フランス人は何か闇を抱えていることが見え見えの人が実に多い。

アルツハイマーや精神病など、脳系とされる病の専門機関が連合した、ちゃんとした医学機関たるフランス脳研究連合は、フランス人の4人に1人が精神病という分析を出している。
こんな権威にこれを提示されたら、フランスが陰気な国であることに納得せざるをえない。

心の病は、4人に1人、フランス国民の27%に降りかかっており、そのうち75%が、25歳以下で発症しているという。

彼らの定義する、精神病の種類は、大きく、境界性パーソナリティー障害・統合失調症・双極性障害(躁鬱病)・強迫性障害・自閉症。
自閉症は25%が子供の頃に発症すると書かれているものの、日本人の感覚からすると、精神病というより知的障害な感覚がしてしまうのが否めない。
精神病を引き起こす原因としては、ドラッグやアルコール、金銭事情などがあるという。

これだけ精神を病んでいるフランス人が多いのは、こちらに住んでみれば、一目瞭然である。


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フランス人の礼儀 〜わたしと・犬のアレと・生徒と。みんな違ってみんなイイ?〜

けだし、フランスは、不潔において欧州の覇者である。不潔王。

犬のフンを見ること、日本にして稀なら、フランスで見ない日はない。
地方都市でもパリよりマシとて必ずある。
パリなんか数メーター置きに、犬のフンである。
昔のパリを知る人は、これでもマシになったというが、昔はどうなっていたのか。
おぞましい。

おかげさまで僕は、こちらでは日本とは歩き方を変えている。
日本同様背筋を伸ばし、しかし、首は少し下に下げ、目線を3メーター先の道路に落として歩く。どれだけの人間を、犬のフンを踏むことから救ったか。

もし、フランスで犬のフンを踏ませないガイドの資格があるなら、僕は一発合格する。

パリで、建築なんぞに目を奪われて、例の歌のような心境になったなら、
「上を向〜いてあ〜るこ〜う。涙があふれ〜。ヌル。あ。踏んだ。」の世界である。興ざめの甚だしきこと。
あの歌は日本だから、最後まで上を向いて歩き、歌い終われるのだ。

しかし、フランス人は実に趣味が良いから、チョコレートのような色合いが好きなのだ。
茶色いものを踏み、その靴で室内を歩き、塗っていくことが、グルメと自称してやまない彼らの何よりの至福である。ヌテラやマロンクリームをパンに塗ることと同じなのである。
ローストされたカカオ豆のごとく、屋内が何だか香ばしいというのは、彼らなりの最高級のオシャレであり、このセンスに感服する。

そして、この国では、チョコレートには、ウヰスキーではなく、貴腐ワインが合うらしい。この黄味がかった液体もまた、道やメトロにたっぷりと撒かれているから、かほりをもたらす。

また、フランス全土、どの道や草むらにおいても、眼下を見下ろせば、吸殻が落ちていないことは、あり得ない。外で目を落として吸殻がなければ、それは、宝くじに高額当選するより稀なことである。
街には日本以上に灰皿付きのゴミ箱が溢れているのに、なぜに吸い殻やポイ捨てが多いのかと、その汚らわしいことには、閉口する。

フランス人にだけは、デカイ顔して、環境問題を口にして欲しくない。

日本は徳川綱吉公が、江戸から野犬を減らし、クリーンな国づくりを志されて以降、清潔になり行き、今では、日本ほど清潔な国はない。私も下を見ないで歩ける。

私が愛してやまない、欧州の麗しき国、イタリアをしても日本よりは汚い。

嗚呼。どこに行こうとボンジョルノとチャオの嵐で、礼節高く、ファッションセンスもピカイチ。気質は明るく、美女は多く、自称ではなく本当に美食。
そして、太陽に溢れるイタリアをこよなく愛し、イタリアとは無条件に波長の合う僕をして、歴史学・日本学のために、この不潔で根暗の国に身を置いているのは、前世の業か何かに違いあるまい。
無実の人でも斬ったのだろうか。

ここに、改めて、前世の業悪を清め払わんことを、神仏に乞ふ。

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パリ VS フォンテーヌブロー (3) 〜行きつけ開拓。やっぱり音楽!伝説の世界的ギタリストのひ孫発見〜

街の中心にある飲み屋街から自宅までは徒歩3分。
そして、何せ軒数が少ないのだから、反復して開拓するのは簡単である。

僕はどこに行こうとも唯一のアジア人であり、下手をすればただ一人の外人だから、一発で顔は覚えてもらえる。そういう意味では、この街で、目に見えて異質な外人であることはアドバンテージかもしれない。

さては、行きつけ一軒め。
木目と石壁のコントラストが絶妙の、激狭おしゃれバー。
ここには、カウンターがあり、清潔で、地下にはカーブ(洞穴的地下室)がある。

ビールとカクテルの値段も適切。
ここのオーナーマスターは30代ぐらいの男二人で、ニコとケビンという、人柄もいいし、極めて優しい女性的なマスターだから、ゲイかバイかも知れない。
かといって、客層は、そういうことはない。

小洒落た店だから客層も小ぎれいな若者か中年層が多く、いい雰囲気である。

ここでは、月に一度、フォンテーヌブローのギター学校が主催する、ジプシージャズのジャムセッションがある。
ここに行ってみて、歌い手は僕しかいなかったが、セッションをさせてくれた。

All of meという、ジプシージャズでも良く演奏されるジャズのスタンダードを奏でている時に、「お前入ってこい!」と、ギターの若校長。

音楽は人と人とのバリアを一気に取っ払う。

校長がノってきて、もっと歌えと3曲も歌わせてくれ、僕はジプシージャズは今まで未知の領域だったが、いいものだなと感じた。
歌っていうのはスパイスとしていいもので、インストゥルメンタルばかりのライブで歌が入れば、メリハリがつくから歓迎されることも多い。

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