グラシ不安心グラシアン

家に帰り料理をする。
ふと足元を見ると、キッチンの下から水があふれている。
スマートフォンで写真を撮り、即大家さんにメールを打つ。
大家さんは明朝に確認に来ると言う。

シンクの下を確認しても、その配管から漏れ出している様子はない。
とりあえず、水に布をかけ、応急処置をする。

翌朝に大家さんが来る。
キッチンの下を覗き見ると、確かに水は出ているのだが、問題の配管が見当たらない。
壁の奥から水が漏れ出しているのか、床の下に配管があれば、そこから吹き出ているのか、我々は知る由もない。

大家さんは馴染みの水道屋さんに電話し、彼が2日後に来ることになった。

2日後に相棒と2人で来た水道屋さんは、即座に、システムキッチンの裏側に這っている配管が原因であろうと推測し、システムキッチンの奥の木の部分を削ることの承諾を大家さんに取り、これを行う。

プロの推測は的中し、流しの配管がシステムキッチンを壁へと這っていく部分の結合部が錆ついて水漏れを起こしていた。そして、これを新しいものへと取り替え、1時間弱で彼らは次の仕事場へと向かった。

実は彼らは3ヶ月前にも拙宅へ来ている。
その際は、玄関の扉の上を這う上水の管の結合部分が腐食し水漏れを起こしたのであった。

数えるに、7年間のフランス在住に4回の水道トラブルである。

1度目は、17区のアパルトマンの最上階の部屋の全ての下水が詰まり、自分でインターネットの検索の最上位に見つけた業者に連絡したら、見積もりにだけ来て何もしないで200ユーロを請求された。
ネットに出ていればくらしあんしんクラシアン的な安心な業者だろうと思ったら、フランスでよくあるぼったくり工事業者であるとのことで、不動産屋にこういう場合はフランスでは大家に連絡して大家経由でやらないとダメだと言うことを教えてもらった。
割高な人生勉強代である。
この時は家で暮らせないので、数日友達の家に世話になったのであった。

2度目は、13区のアパルトマンで、下水は問題なかったが、トイレの上水部分が腐食して、水の流れが止まらなくなり、トイレを丸ごと大交換する大技であった。

なんだかフランスでは便器がゴミ捨て場に捨てられていることがよくあり、さすがフランス人は便器も好きなのかと思っていたのだが、こういう裏があるらしい。

3度目は、3ヶ月前の上水一件。

7年で4回というのは、フランスでは多いような少ないような、水道トラブルである。

フォンテーヌブローの水道屋さんは親切である。
フランスの建築が古い建築に様々の現代設備を後付けしているせいで、仕事が追いつかず、山のような依頼を、彼ら水道屋のおじさんたちは持て余していると言う。

「ところで、僕の家は築何年ぐらいでしょうか。」
こう尋ねた。

家の内覧に来た時、外から見た建築が余りに古く、木の螺旋階段も古いので、とんでもないところに来たなと感じて、階段を上がりながら断ることを決めていた。

しかし、扉を開けると、中は優れてリフォームの施された、完璧に美しいアパルトマンの一室であった。僕はここに暮らしてみようと即決した。
後から大家さんに聞くに、日本人ブランドのおかげで、別に3件の申し込みがあったが、僕に貸すことを決めてくださったという。

ただ、内面は美しくても、外面がオンボロであるように、確かにこのアパルトマンは古い。

水道屋さんは
「1930年代だなこれは。フォンテーヌブローは古い物件ばかりだから。」
そう教えてくれた。

「後付け後付けで、建物が参っちゃってるよ。フランスは。」
そう彼は笑った。

フランスの建築はレトロで美しいものが多い。
イタリアもそうであるし、ヨーロッパなら戦果を逃れた街や、旧市街がよく残された街ならそうであろう。

特にフランスは、天変地異もないとあって、随分と古い建物の上に、我々現代人が現代的な設備をくっつけて暮らしている。

しかし、電気ならまだしも、水を汲みに行っていた時代の建物に、水道管も下水も引くのだから、水回りが著しく弱い。
定期的に結合部分が腐食したりして、水漏れも起きれば、どうにもならない経年の詰まりなどが生じる。

日本はデザイナーズ物件や、味のある古民家リフォームを除けば、味を感じられない現代型のハウスや集合住宅があふれているが、機能は最高である。

フランスでは、水漏れに遭遇しないことなどない。
フランス人は日本で震度3が起こると不安がるが、僕には震度3より派手な水漏れの方が不安である。

グラシ不安心グラシアン。

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フランスに結集する胡散臭い日本人

フランスは胡散臭い日本人の宝庫である。
こんなにも胡散臭い日本人が流れ着く国もなかろう。

拙者、胡散臭さがムンムン漂い候和服のちょび髭親父に遭遇仕りて、「この親爺胡散臭く候」と思ひ候らひし故、即座にパリを中心と致し候フランスにおいて見かける斯くの如き胡散臭い日本人をば、類型化申し候ひて書き留めることを思い付き候。

ホテルリッツを和服で歩いている
「世界最高のホテルたるホテルリッツに来ている我こそは日本人」と言いたくて言いたくて仕方がない阿呆。洋服は全ての日本人にとって自分たちの物ではない借り物であるから平等に日本人をある程度覆い隠すが、和服というものは不思議なもので、着ることによりその日本人の風格、人品というものを露わにする。フランスで自然に和服を着るのではなく、わざわざ日本人であることをアピールするためにここぞとばかりに和服を着る人間は、胡散臭いったらありゃしない。あの回廊のど真ん中で、袴が脱げ、帯がほどければ良い。

日本風を吹かしたがる
自分から「日本日本日本人日本人」と言って回り、聞かれてから初めて答える粋が分からぬ阿呆。「お前だけには日本人を代表されたくない」という奴に限って日本人アピールをする。こんな奴はとっ捕まえて辮髪にしてやるといい。

書道家ぶる
無茶苦茶字が汚いくせにコンテンポラリーアート枠でいけると信じ、掛け軸に汚い字を書きつけ、恥ずかしげもなく結構な値段で販売したりする阿呆。
こういう輩は大体和服でいるから、墨汁が天から降り注げばいい。

茶道家ぶる
千家しか知らないから「千家千家」言い、茶道家の真似事を有料で始める千利休以外知らない阿呆。片桐石見守・石州流、松平不昧公・不昧流、松浦鎮信公・鎮信流、石州連合会、大日本茶道学会などのダークワードを出して、顔が曇ったら偽物。暴力団か宗教かと勘違いして逃げ出す。こういう輩には、濃茶の代わりにエスカルゴの緑のソースでもしこたま飲ませてやりたい。

何故か甚平姿で歩いている
日本の伝統を知らない日本人のくせに伝統の知ったかぶりをしてフランスを闊歩して恥をさらす阿呆。みっともないからそんな家着で外を歩くな。追い剥ぎなりスリに遭うが良い。

現地の日本人のプチ有名人を取り巻いている
芸事などの派手な活動をする人や星付きシェフなど、目立っている現地の日本人を取り巻き、囃し立て、くっついて回り、あたかも自分がプチ有名人に認められたすごい交友関係の持ち主であるかのように自分を吹聴して回る阿呆。テレビ局という言葉に弱く瞬殺で目がハートになる。取材ですと5時間インタビューを受けたにも関わらず、1秒しか使われない罰を受けるが良い。

ワインがやたらと好きですぐに講釈をたれる
自分からワインの知識をひけらかしたり、「このワインはこの料理に合う」などと聞いてもいないのにグダグダ言う阿呆。本当の通は押し付けがましい講釈はたれず、聞かれたらさらっと答えるものである。フランス人と結託して、ロマネコンティの中身をこいつらが嫌いなメルシャンにして、しこたま講釈をフランス人の面前でたれさせるという大恥をかかせてやりたい。

白人にへつらう
白人フランス人に日本を褒められるのが快感で仕方がない阿呆。自分から白人に擦り寄って行って、日本人アピールをしたり日本の文化を勝手に薄っぺらく紹介したりして、褒め言葉を無理やり取りに行く真似もはばからない。そして、褒められるとメルシーを連発する。お人好しな日本人をカモにした詐欺にでも引っかかると良い。

おフランスに住む自分に酔いしれている
おフランスに住む自分こそが世界で一番素敵な人間と信じ込む幸せな阿呆。こう言う人間のするおフランス発信は、得てして人の成功体験が一番あてにならずに人生訓にもならないのと同じで、飾られすぎているから、日本の日本人は真に受けてはならない。おフランスの一部であるニューカレドニアにでも連行されて、そこからおフランスを発信できたら認めてやる。

エスカルゴやカエルをしきりに食いたがる
もはやフランス人も食べなくなりつつあるこういう珍味を通ぶって血眼で探す阿呆。そんなにゲテモノが好きなら、フランス料理の至高、仔牛の脳みそでも食ってみろ。

グルメをひけらかすためにフレンチを食う
「我こそはグルメである」とひけらかすためにフレンチを食う阿呆。本当に美味しいフレンチは、料理の上手なお母さんやおばあちゃんのものであることは知る由もない。大抵この類の人間は味音痴だから、フランス人の行かない店に出没する。ぼったくられるが良い。

日本関連のイベントに顔を出し名刺をぶん撒く
日本関連のイベントに頻りに参加して、謎な名刺をぶん撒いて回る阿呆。例えば、一度学習院大学史料館が開催した辻邦生のパリ展で受付をしていたら、大声でそこかしこの日本人に、「私はフランスの日本人の母なんです。みんな知ってます。」と言いながら名刺を配りまくるダミ声の婆に遭遇し肝を冷やした。ぶん撒くために名刺を擦り、四方八方に名刺を捨てて回るこうした反エコな日本人はたくさんいる。バックに何かいるかもしれないからおちょくるのはやめる。

日本へ帰ると今度はフランス風を吹かす
フランスでは日本人風を吹かし、日本へ帰ると途端にフランス風を吹かす阿呆。
薄っぺらい日本人の「素敵ですね」「かっこいい」「羨ましい」などという言葉を聞くためにこそ日本でフランス風を吹かす。こういう奴には、ぜひ日本の皆さんは「Et alors ? エ アロール? だからどうした?」と、こう返してやってくださいまし。

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壊し屋はすぐそばに

昨夜はフォンテーヌブローの地元の友達と拙宅で飲んだ。

参会者は、警察官の友達とその彼女、アパルトマンの中庭を挟んだ一軒家部分に住むご近所さんと僕、この4人である。

警察官とその彼女は、意味もなくやたらと親日家であり、ご近所さんも高校の時に日本語を選択していた親日家である。

何なのかはよくわからないが、フランスにはこの人もあの人もというように親日家が多い。

野郎の料理で豚丼を喰らいながら、ビールを飲みワインを何本も開け、ウイスキーペリエを飲み、ビリヤードをし、ブラックジョークから世間話まで実に色々な談義に花が咲いた。

ご近所さんはパリ郊外の生まれだが、ロッククライミングを趣味にしており、1年半前にロッククライミングの聖地であるフォンテーヌブローに家を買い、今は2人に部屋を間貸ししながら暮らしている。小柄ながらガタイも良く、普通に女にモテそうな40の男である。

「21時半には出なきゃいけないんだ。」と男は言い、
「何で?」と警察官が聴取する。
「出会い系Tinderで知り合った女に会いにいく。」

我々は、爆笑した。

聞くと、この男は5年弱彼女が見つからないと言う。いい男なのにである。
フォンテーヌブローには近場に航空産業の街があるからこの関係者が多いが、彼もそのくちで航空機材のエンジニアをしており、仕事場には男しかおらず、趣味のロッククライミングサークルにも男しかおらず、女はいても男勝りだそうだ。

「フォンテーヌブローらしくカトリックに入信したら、余裕で信者同士の結婚を前提にしたお付き合いができるよな。」
と僕は言い、
みんなは、
「確かにね。Mariage arrangé(お見合い結婚)ね。」と変に納得した。

カトリックは、結婚以外のカップルのあり方は認めず、離婚も認めず、婚前交渉も閉経後の交渉も認めないから、今のフランスにおいては、カトリック教徒たちの特殊な世界を構築している。自由奔放な現代フランス人の世界の真反対のそれである。
動機は不純だが、結婚したいなら入信するという冗談を僕は言ったつもりであったが、変に納得されると困る。

フランスには草野球のようなサークルがそれぞれの地元に組織されているが、年頃の女の子と出会いたければ、合唱とかバドミントンが良いのではないだろうか。ハードボイルドなスポーツやブリッジ・トランプサークルなど老人くさいサークルは出会いには適さない。

「僕は出会い系はやらないね。絶対いい出会いがないと思う。」
僕がこう言うと、警察官の彼女は、
「前に試したけど、やりたい男ばかりで最悪。」と言い、
「そんなこともないよ。」とご近所さんが返した。

しかし、このご近所さん、出会い系で出会いに成功した試しが一度としてないと言う。
そんなものであろう。
とはいえ、職場にもサークルにも女がいないとなると困りものだ。

「ブスだったら戻ってこいよ!」
21時半に我々は、この飢えた猟師をお見送りした。

1時間ぐらいして、ドアがノックされる。
案の定戻ってきやがった。

「ブスだった。写真と違いすぎる。」

我々は、大笑いした。

そして、街場の行きつけのバーの話になる。
実はその夜、僕はそのバーのオーナーと彼の彼女のマリ岡ファナ子さんも呼ぼうかなと思っていたのだが、何となしに声をかけずにいた。

警察官のカップルと僕は、このバーのカップルと友人であるが、オーナーは気分がすこぶる優れないと言う。
先日一人でそこへ飲みに言った警察官の彼女がその訳を話し始める。

「マリ岡ファナ子に彼女の親友が彼の悪口を常に言って聞かせて、彼女はそれを信じ切って、それで別れを告げて、修復は不可能で、彼は彼女に惚れていたから打ちひしがれて、」

こういう話を女にさせれば、女というものは講談師のように淀みなくすらすらと情報を入れてくれる。

「うわ。あいつだろ、入れ知恵したの。」
僕はそのカップルの破壊工作に動いた女をすぐに察知し、こう返答した。
「そうなの、あの女がデタラメをマリ岡ファナ子に吹聴して、ファナ子はそれを信じ切って、バカなの、私は彼氏の方の友達だから、あの元カノとは友達じゃないけど、しかも、あの女はもともと彼氏の方の大親友で付き合ってから彼女に紹介したことから二人が親友になって、いつも一緒にいるようになって、」
「嫉妬だね。」
「そう。嫉妬。バカだわ、そんな話を信じるなんて。」

こうしてフォンテーヌブローの夏明けの最新情報は更新された。

嫉妬は人間を堕落させる最大の敵である。

あの女には僕も少し嫌な感じがしていた。何だかあのカップルといつも一緒にいて、二人の糸で悪魔の懸垂をしているような雰囲気が実際に出ていたのである。

フランス人の界隈で、この嫉妬に狂った輩の破壊工作の話を聞くのは、僕にとって二度目である。
一度目のものは、留学中に大阪の女と結婚寸前にまでいったのに、その男の親友のフランス人がこの女が好きで嫉妬に狂い、この女に「あいつは浮気をしている。」とデタラメを吹聴して破談させたもの。
それから10年経っても、彼は今だに独身。

そして今回のマリ岡ファナ子の話。
ファナ子だって30いくつなんだから、家族を作る適齢期なのに。

訳の分からない壊し屋の話なんか信じちゃいけない。
カップルなんて、毎日彼や彼女が何をしているか、そのアリバイを一番わかりそうなものなのに、親友というポジションの人間からまっとうそうに話をされると、コロッと騙されてしまう。

本当の親友なら、友の恋の成就を支えるべきで、そこに真価が問われる。

しかし、ジェダイであったはずのアナキンスカイウォーカーがいきなりダースベイダーになるように、嫉妬が親友を壊し屋にすることがある。

カップルが別れるのは、理由の如何を問わずセラヴィな運命であるが、ダースベイダーは罪作りなものだ。

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不自由がもたらす近現代の終わり

不自由なフランス

先日、フランスの大御所歌手、Michel Sardou(ミシェル・サルドゥ)が「現代(のフランス)を憎む」と表明した。

「何もかもが嫌いだ。自由が一切ない。70年代80年代は違った。」
そう彼は言う。

「haïr」という動詞は極めて強い憎悪を表すものだから、普通は使わず、「嫌い」程度なら「ne pas aimer (don’t like)」、「めちゃくちゃ嫌い」と言いたいなら「détester」を普通使う。そのため、人との会話の中でも、haïrが使われることはほぼない。

この往年のスターは、日本で言えば晩年の津川雅彦のように、右派芸能人のドンであって、発言をすれば叩かれ、彼を嫌う人も多ければ、よくぞ言ってくれたと思っている支持者も多い。

そして、彼がこんなに強い口調をしてまで、「現代のフランスが憎い」と言ったのは、その不自由さにこそある。

私もこの21世紀のフランス社会に7年も身を置かせていただき、実に居心地の悪さ、不自由さを、日々の生活や言論の中に感じている。メトロや電車で爆音で音楽をかけたり、タバコやマリファナを車内で吸い出す者がいても、誰も注意できる時代ではない。
社会の諸問題に関する議論は、決して表ではできない。解決策には結びつかない偽善的なこと以外は言ってはならない空気があり、そのため、皆口を閉ざし心の中に社会への不満を鬱積させる。
それ故、残念なことに、ネットの世界に極端な怒りを持つ人間が匿名で溢れかえる。

私にとってはこの折角のフランスへの永きに渡る遊学は修行でもあり、存在したかはわからないが、自由で伸び伸びとした古き良きフランスのかけらもない、この21世紀フランスの独特の息苦しさの中で、何とか新鮮な空気を取り込める窓はないものか、思索する日々でもある。

この大御所歌手だけではなく、少し前までのフランスを知っている30代以上ぐらいのフランス人なら、多くの人が昔のフランスは違ったと言う。

私とて戦前の永井荷風先生・九鬼周造先生の時代や、戦後の辻邦生先生の時代にフランスに来ていたなら、こんなにフランスを批判的に悪く言うこともないであろうし、彼らの著作を見るにつけ、「いい時代を謳歌されているな」と、羨ましく思ったりもする。

学習院の70過ぎの40年選手の古株のパリの先輩はかつて私に、「昔は、パリの人は動きも穏やかで、みんな挨拶を交わし、時の流れも緩やかで」と、かつての古き良きパリを懐かしんで語ってくださった。
だから、きっとほんの少し前までは、フランスは社会の底から素敵な国だったのであろう。

嗚呼、革命以来自由を最大価値として重んじているフランスにあって、そして議論に長けた人々であるフランス人の社会をして、今のこの不自由さは何なのだ、あまりにらしくないこのフランスの現状には、フランスに育てていただいている外人たる日本人として心が痛い。

そして、フランスの最大友好国日本も、まさしくフランスと同じ歩みをしており、自由はない。

日本でもフランスでも、言論の自由は失われ、陽のあたる健康的な表の世界がシャットダウンし、匿名的で無責任で陰湿で不健康な裏の闇の世界が社会のメインストリームを創り上げる世界へと転換を果たそうとするこの場面に身を置けば、いよいよ産業革命以来の機械化社会が一応の発展の限界をみせるのと同時に、フランス革命がもたらした近現代の思想や理念の主である平等や自由は死に、近代以後の世界が終わると感じる。
次の展望はなかなか見えないが、近現代が虫の息であることは、鈍感な私でもわかる。

しかし、自由や平等を標榜した近代以降の世界をこんなにも不自由で、身分社会時代以上の不平等をもたらし、人々を苦しめたことに際して、政治家やメディア・言論人・学者の責任は重い。

政治家は功利主義に走り、メディア・言論人・学者は反論者にレッテル貼りをして潰すことで反対意見を封じ、自己批判はせず、気づけば革新的であるはずの自分たちが体制派と化す。こうした、政治・言論・学問世界の成れの果てのお粗末な堕落が、こうして、図らずも近現代を殺すのである。

そして、目下フランス社会の不自由な言論の最大テーマは移民問題である。

表では議論されないこの問題も、欧州議会議員選挙の蓋を開ければ、移民排斥主義の極右とされる政党が勝利するように、不自由なテーマであるが故に、正しくこの問題に対処する議論を深められないままに、未熟な状態で人々の不満と憎悪を増幅させてしまっている。

今回はこのフランスのタブー中のタブーである移民問題を一例に、フランスに生きる異人たる私の眼差しで、フランスの断末魔の不自由を考えてみたいと思う。

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苦き午後

2019年9月19日13:02のフォンテーヌブロー発パリリヨン駅行きの列車に乗る予定である。

駅前の小さく可愛らしいロータリーにバスが着き、駅舎に入る。

アブのようなサングラスをかけた、白人の年増女が僕めがけてパンをかじりながら、英語で話しかけた。

「あなたのクレジットカードで、パリ行きのチケット買ってくれない?現金で返すから。」

普通僕はこういう申し出には応じない。何故なら詐欺であるからである。

生憎、フォンテーヌブローの自動発券機は、現金はコインしか受け付けない。そして、昼休み中の窓口は閉まっている。

彼女は財布から、20ユーロを出したから、僕は仕方ないと思い、8.85ユーロのチケットに対する釣りがないことを断り、彼女は売店で両替するからと僕に重ねて断り、故に僕はチケットを買う。

女は売店へ向かい、両替を願うが、列車が入線する。今日の売店の白人おばさんは、いつも態度の悪い人であり明らかな外人嫌いでもあり、「ないわよ」と、両替の不可を示す。

僕は返金してもらうことを諦め、電車に乗るからとチケットを渡した。

物足りないのは、彼女から礼の一言や、恭しいジェスチャーの一つもない事である。それどころか彼女はパンをかじりながら、別のドアへと向かっていった。

そういうギリギリの状況でグレーゾーンの怒るまでもない小さな詐欺を働く女なのか、本当に返金する気があったのか、僕は知る由もない。

しかし、人間に必要なのは礼儀であろう。

僕は、こんなことで面と向かって彼女に返金をせがんだり、賤しく見える振る舞いはしたくないから、その女の乗る車両とは別の車両に乗った。

もし、「ありがとう」の一言があれば、1000円ぐらい惜しくはない。しかし、このような人間に対して、結果的に捨てることになった金は、気持ちの良いものではない。

列車が途中駅のムーランに着く。

僕の隣にはキャリーバッグを持った黒人のおばさんが、前にはジプシーの若きカップルが乗ってきた。

間も無く車掌による改札がある。

前のジプシーの男は、車掌の面前で小馬鹿にした態度を取り始め、いびきをかいて寝たふりをし、車掌に注意される。

隣のおばさんが、navigoというsuicaのようなカードを出す。

車掌は「8月からチャージされてないよ」と言い、50ユーロの罰金を求めた。

「お金ないわ」と彼女が返したから、車掌は身分証の提示を求め、慣れたように機械でicの個人情報を照会し罰金の手続きを始めた。

彼女は少し恥じらいがあるのか、「何で車内でチャージできないの?」などと車掌に言う。

次はジプシーのカップルの番である。

分かっている筈なのに、彼らはフランス語を頑として話さず、車掌は身分証がないことなどは分かっているとでも言うように、手慣れた様子で、紙に名前と住所、生まれた国を書くように命じ、彼らは舐め腐った態度で殴り書く。

そして車掌はそれを預かり、形式的に罰金の通告書を発行する。

至極僕が残念に思うのが、彼らの口から「ごめんなさい」の一つも無かった事である。

彼ら移民がフランス社会で差別され、経済的も困窮していることは誰もが知っている。

だからもし、開き直ったり見苦しい体を見せず、心から「ごめんなさい」が言えたら、車掌だってきっと許してくれる。

彼らの態度に車掌がイラついているのは誰の目にも明らかで、機械操作に手間取った時に「putain (bitch)」と小声で発した、その最上級の汚い言葉は虚しく響いた。

金があろうとあるまいと、どんな人種であろうと、ほんの一言でいい。

「ありがとう」「ごめんなさい」、こう我々が他人を尊重できれば、きっとフランス社会の息苦しさは軽減される。

みんな、フランスを尊重しようではないか。

誰かフランス人のモラリストが出てきてくれないものかと、僕は悶々としながら大学へ向かう。

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不法移民と生活保護

地元の友人の警察官はつい先日パリ郊外の署へ転属となった。

そして、先般の捕物は、夫にDVを受けている真っ只中という妻からの通報により、Évryというパリ南東30キロの現場へ駆けつけるというものであったそうだ。

彼はここへ出動し、この家族が黒人であることを認め、屈強な夫が妻を殴り続けているのを羽交い締めにして逮捕し、署へと連行した。

発覚したのは、この移民黒人家庭は、皆不法移民で、フランスの国籍を持つ訳でもないのに、六人の子供とともに、子供の三人目から貰える子供手当と、両親の失業手当でアパートに暮らしていることであった。

ところが、彼が逮捕した暴力夫は、フランス人ではない為、即釈放となった。

「Yûtaこれがフランスだぞ。」

友人はこう呆れ果てて、僕に語ってくれた。

ジプシーが、フランス国籍を持たないから、逮捕されても裁かれずに犯罪を繰り返すというのはよく聞く話である。

しかし、不法移民が法で裁かれないのに、フランス法で定められたフランス人の為の生活保護は受けられるということが俄かには信じられない僕は、別の女友達にこの顛末を話した。

すると彼女は、

「そうよ。これがフランスよ。」

と言って、彼女のお母さんの話を聞かせてくれた。

お母さんは50代で、鬱病のために無職の生活保護受給者である。
しかし、彼女の生活保護費は微々たるもので、アパートも満足には借りられる額ではなく、普通大家はこういう人間には貸し渋る為、金持ちの長兄の支援を受けて、小さなアパートに一人暮らしをされているという。
また、長い間、HLMという低所得者向けの公営住宅への入居を申請しているものの、この公営には不法移民の黒人ばかりが入居し、全く当選しないと言う。

そして女友達も、フランスが不法移民に、生活保護、失業手当、子供手当を与えているのは、本当のことであると憤った。

フランスの子供手当は、生計の足しにするには十分に過ぎ、三人以上の子供を作り、大家族になればなるほど手当額が増え、格安の公営にも入れ、子の教育や生活の高望みをしない限り、両親は無職でも十二分に暮らせてしまうものである。

しかし、独居の無職ほど、フランスでは生活保護の恩恵にはあずかれず、フランス人の単身困窮者が、不法移民の非フランス人の大家族の生活以下になるという本末転倒が起こっている。

煙草を燻らせながら、こんな話をして、僕と彼女はメトロに乗った。

メトロでは、たった三駅の間に、二人の物乞いが勧進をした。

僕は、

「ホームレスって生活保護を貰えるのに、自分の選択でホームレスでいる訳でしょ。」

と彼女に聞いた。

すると、

「単身者では、生活保護だけでは家を借りられないし、ホームレスを収容する集団シェルターもあるけれど、汚くて居られたものではないそう。」

と説明してくれた。

フランス人の身寄りなきホームレスに行き場がなく、不法移民が大家族の生活保護で家に暮らし生計を立てられる状況。

一体全体フランスはどうなっているのか。

自国民を守らず不法移民を手厚く保護する。

地元へ戻ったその夕刻、僕はスーパーへ行った。

レジには、僕がフランスのレジ係で一番だと思っている黒人のおじさんがいた。
愉快で愛想が良く、優しいおじさん。

人種や国籍に関係なく、良い人は良い人、悪い人は悪い人。
そんな道理は知っている。

しかし、移民の問題はフランスにいよいよ深い。

僕はやるせない気持ちを抱えて家に帰り、夕飯のハーブソーセージを炒めた。

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フランスの定年と年金と利権と

目下、企業勤めのフランス人の定年退職は63歳である。

そして、公務員が原則的に61歳と2年早い。

日本人なら、老後に何をしていいかわからない場合、退職間際には会社という一つの社会から切り離されることを不安がり、退職後には暇を持て余す場合もあるが、フランス人は、バカンスと定年をこよなく愛する人々であり、退職が待ち遠しくて仕方がない。(バカンスと定年退職

2年ほど前にリタイアした私の親友のお父さんは、お母さんのそれが数年先だから、パリに家族を置いて、ブルターニュのセカンドハウスに入り浸って、CWニコル級田舎生活を満喫している。

そのため、早くに退職して年金生活に入れるなら、それを歓迎するのがフランス人の精神なのである。

定年を延長する人もいなくはないが、あまり、定年延長や嘱託という文化は見られず、皆爽やかに老後の生活に入っていく。

また、公務員は一般の人より2年定年が早いから、大学などでは、大御所の先生方が完全に老人となる以前に教壇から去ってしまう。今の61歳なんぞ中年で、まだ、頭も体もバリバリなのに、「もう定年?」というような感じである。日本では私大の定年が60代後半で、学習院などは70だから、国公立の先生も私大へ移籍したりして年老いるまで現役でいるため、フランスはあっけない。

時に面倒を見なくてはならない学生のためなどを理由に、少し定年を延長される方もおられるが、だいたい教授陣は50代の終わりでお弟子さんを取らなくなり、フェードアウトして行かれる。

目下フランス日本学の世界では、世代交代の時期に差し掛かっており、数年前から大御所の引退が始まっている。

この世代は、西洋における日本学を牽引されてきたり、逆に外人向け日本語教育のパイオニアの先生方なので、中々さみしいものである。

そして、教師どころではなく、定年が異常に早い公務員たちがいて、国鉄・パリ市交通局・電気ガス産業連合の人々には、なぜか50代中盤に定年が設定されている。

そのため、今、国家やパリ市の財政健全化のために、政権が優遇されてきた彼らの定年利権を一般並にすべく、定年と年金給付年齢を上げようとしており、そのためにストライキが起こった。(ストライキ大国のフランスに住めば

フランスは平等平等と言っても、全く平等社会ではない。

定年年金セットの一つをとってもそうである。

不平等は不平等にもなれば利権にもなる。利権側は適当な主張をして、甘い汁の確保に努め、不平等と感じる人は、これを批判する。

今回は、昨9月13日のパリ市交通局の12年ぶりのストライキに関連して、労働者たちが、早く退職できる権利を主張し、これこそ、甘党のフランス人らしい権利主張だから、ご紹介したい。

 

このニュース番組では、公会計大臣のGérald Darmanin (ジェラール ダルマナン)が、「公務員の定年は普通61歳なのに、どうしてパリ市交通局は56歳なのだ」と問いを投げかけ、場面はストライキのデモに移り、パリ市交通局の労働者の言い分が展開される。

マークさん(58、定年済、元市バス運転士)
様々な道路事情に苛まれ、客の応対もする。週末も働けば、朝4時始業、寝るのは深夜1時、クリスマスも年始も、公共サービスのために束縛される。
退職の特例は、特権ではない。

コリンヌさん(現役駅員)
年始もクリスマスも朝5時から始業、6週に1回しか週末は休めず、夜勤もする。
私は朝5時には人なんか寝てると思うし、夜2時にもそうだと思うけど。(意味もないのに夜勤早朝出勤をしていると強調)

ムニールさん(メトロ6番線運転士)
僕たちは安全第一の仕事をしている。想像してみてくれ。64のおじいちゃんがメトロを運転していたらと。目が見えづらく、動きも鈍いのにメトロを運転して。800人の乗客の命をおじいちゃんが担えるのか。車両を直せるのか。

別のコリンヌさん(勤続25 メトロ6番線駅員
朝勤務は5時から昼の12時まで、夜勤なら18時から朝1時まで。家に3人の子供がいるのに。
今日は半休、土曜は仕事、日曜も仕事、クリスマスも結構仕事、年始も結構仕事、最近は人々がストレスに苛まれ攻撃的だから、危険な仕事になりつつある。同僚は唾を吐かれたり、罵倒されたり、でも我々は笑顔を絶やさない。だからむしろ人々は、我々を理解して、支持してくれなきゃいけないの。


N’importe quoi. (ナンポルトコワ。バカ言ってんじゃねえ。)

突っ込みどころしかない。

まず、結構な税金を給料としてもらっているのに、公務員として公に奉仕するという精神が全く感じられない。

週末クリスマス年始と、フランスの皆が休む時に、働いてくれていることには感謝する。
また、確かにパリには危険な人間が多いから、危ない目にあうというのもわかる。
しかし、そんなことは応募する以前から百も承知のことであろう。
週末もクリスマスも年始も、基本給にプラスして特別手当がつくから、そこは既に補填されている。
そして、休暇だって丸一日オフの明け番だって、ヴァカンスだって潤沢にある。
だから、彼らが口を揃えて言う休日出勤は、このご時世、あまりにも早い退職と高い年金に対する理由になりきらない。

こんな言い分が通るなら、警察官や消防士はどうなるんだ。

また、背景として認識しておかなくてはならないのが、日本とは違って、フランスの鉄道労働者は、電車やこの仕事が好きだからなるというものではない、ということである。
仕方がないからその仕事につくという類の職であり、いろいろとジューシーな甘い汁があることをわかった上で鉄道労働者になるのである。

彼らの言い分を聞いても、はたから彼らの仕事ぶりを見ていても、仕事に対する誇りや愛着は感じられない。

実にメトロの運転手など運転は荒いし、駅員は態度が悪く、笑顔などまずない。
しかも、始発や終電で駅員がいることなどない。本当に。

仮にも、彼らの頑張りが見えているなら、我々だって少しは彼らの特権を認めたっていいさ。

また、今時パイロットだって健康管理をして70近くまで空を飛んでいるから、90歳のおじいちゃんならまだしも、64歳のおじいちゃんがメトロを運転していたら怖いというのも理由にならない。

こうして利権が侵害されそうになるとストライキをしたり、被害者ぶったり健康問題を持ち出したり、ナンセンスである。

そもそも論としてこれを言うと差別と言われるが、仕事が嫌なら早め早めに転職を志して頑張ればいいし、金がないなら、フランスにはDUコースという大学の夜学があるのだから、働きながら頑張って大学を出て、もっといい職業に就けばいい。

フランス人は原則的に嫌なことを我慢してまで居心地の悪い空間に居座ったりする民族ではないから、彼ら鉄道労働者が、退職や年金の利権を味わうために勤続していたところ、急に自分たちの利権が社会問題化し、国家からメスが入りそうになったから騒いでいるだけの話なのである。

彼らのフランス語の話し方を聞いていても、誰に聞いても同じになる返答も、彼らの論の甘すぎる構築の仕方を見ても、彼らが学のない頭の悪い人たちだということは一目瞭然である。

これでは、フランスの多数派を説得することは間違い無く不可能である。

せいぜい喚くが良い。

フランス共和国の公務員たるもの、国是の平等を表向き遵守せねばならない。

面白いのが、こうして利権を主張するときは、「平等!」と言わないね笑

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ストライキ大国のフランスに住めば〜年金改革の鉄槌〜

フランスはストライキ大国である。
生活をしていて、これをひしひしと感じるのは、定期的に訪れるフランス国鉄SNCFのストライキである。
そして、フランスとオランダの国営合弁航空エールフランスも時折ストライキをする。

列車が運休し、人は車以外では動けなくなる。
列車が著しく減便され、たまに来る列車は人でごった返して、インド状態になる。
予定していた旅行ができなくなる。
仕事に行けなくなる。
そして、ストライキはいつになれば終わるかわからない。
ストライキが始まると、実に我々は交通にイライラし、ヘトヘトになる。

蓋し、ストライキというのは諸刃の剣である。
ストライキをか弱い労働者の権利であると言ってやれば聞こえはいい。
しかし、公共交通を担う公務員のストライキは、市民生活を直撃し、市民を疲弊させる。
そして、ほとんどの交通が国営か公営しかないフランスにありて、ストライキは、普通国家財政の健全化のために、国家が公務員の身を切る改革を打ち出し、これに交通系の公務員が断固反対することで巻き起こるから、民間人は親方トリコロールに甘える公務員を憎む。

どうせクビにならないと甘んじる公務員。
鉄道員など、サボタージュ、怠慢、客への不敬な態度、こういう甘い汁でベトベトの環境天国であぐらをかいている。
そして、メスがチラつき手術台に乗せられそうになると、スト権を行使して暴れる。

民営化したり、公務員の待遇のレベルを下げることほど、経営改革において、難しいことはないかもしれない。
特に国営の公共サービスほど、必要以上の雇用者と様々の無駄により、放漫財政が慢性化し、赤字が膨れ上がるものもない。
民間企業では到底ありえないこの部分にお上がメスを入れようとする時、公務員は拳を挙げ、赤い旗をなびかせて、決死の反撃に出る。

2019年9月13日は、パリ市交通局RATPのストライキである。

パリ市交通局がストライキをするというのは珍しい気がする。
彼らがここまで大掛かりなストをしたのは、サルコジ政権下、2007年の10月18日であり、この際は、ストライキの際に交通機関が前もって市民に通知し、最低限は乗り物を動かすように命じる法の制定を巡ってのものであったそうだ。
私がフランスに来る5年前のことだから、覚えているわけもない。

しかし、このパリという西洋一の大都市と近郊の交通が麻痺すると、大都市は混乱に陥る。
ストライキの目的が達成されるかはわからないが、ストライキの効果としてはてき面である。

本日私は会議のために大学に行ったが、パリ市営以外の公営バスや国鉄は平常通りであり、パリのメトロも、運良く無人自動運転のメトロ14番線は動いており、何ら被害は受けなかった。むしろ、多くの人々が、サルコジの法のおかげか、あらかじめストのことを知っていたから休業したと見え、パリは人出が少なく、何時であろうと満員の14番線がガラガラで拍子抜けしたくらいである。

さて、今回のストライキの理由は、一部公務員の退職時期が現代社会に即さないほど早く、年金も他の公務員に比べて高いことに関して、国家がメスを入れようとしていることにある。

そして、この一部公務員とは、国鉄とパリ市交通局、ガスや電気産業に従事する企業の官営連合であるIEG(Industries Électriques et Gazières 官営電気ガス産業連合)の面々を指す。

フランスの通常の退職年齢が63歳で、公務員は通常61歳のところ、国鉄は延長したりしなければ、平均して57.7歳、パリ市交通局は55.7歳、IEGは56.9歳と早くから退職し、年金生活に突入できる。また、このズレは、パリ市交通局でも、メトロの従事者は最短で52歳の退職などと職域で差があることに由来する。

特にパリ市交通局の人間は、89.9%が60歳時点で退職しており、平均寿命が82歳のフランス人なのだから、もうちょっと働いて自分で稼いでくれという民間人と国家の思いがある。

そして、年金が慎ましいならまだメスも牙をむかないと思うが、この三つの官営機関の公務員は特権的であり、最初から勤め上げれば、天引き前の月額の年金が、一例として、パリ市交通局で3705ユーロなどと、普通の公務員のそれが2206ユーロなのに比して莫大である。

そのため、国家会計検査院から、国庫や公庫の状況や社会の平均値に照らし合わせて異常であると指摘され、ここにメスが今刻まれようとしている。

それ故の今日のストライキである。

今回は干支が一回りして久々にパリ市営の小役人たちがストをした位だから、国鉄もこのまま行けばやるだろうし、下手をすればガスや電気が止まるかもしれない。フランス人のリアクション芸が見れて面白いから止まってほしい。

しかし、彼らはフランスの普通の人たちから、小役人のくせに悠々自適の潤沢な年金と早い退職年齢を聖域として保持しているから妬まれているし、ストライキをやればやるほど、市民たちから「ふざけやがって」と一層妬まれる。

本来なら国家は、赤字まみれのこうした公共サービスを民営化し財政をスリム化したいのは山々であるのだが、マクロンが就任当初にやろうとした国鉄改革に伴う大規模ストライキに代表されるように、断行するのは容易ではない。

そのため、作戦として、この三種の特権的公務員の甘い汁の供給を断ち切るべく、国家が退職年齢と年金という外堀から聖域を埋めていこうとしているのが、今のフランスの現状である。

さて、私の場合は国鉄がストライキをすれば、フォンテーヌブローから片道70キロもあるパリに徒歩では行けないから、公然と大学の講義をすっぽかして給料泥棒をする口実ができるし、関係各位や生徒には「Ce n’est pas ma faute. 私のせいでは御座いません。」と開き直って無限休講を出して、生徒も私の授業が消えて喜ぶであろうから、何卒国鉄の労働者諸君には小粋に一つ、この新学期から一年間のストライキをお願いしたい。

参照)
http://premium.lefigaro.fr/social/regime-special-de-retraite-ces-tres-chers-avantages-des-agents-de-la-ratp-20190912
http://premium.lefigaro.fr/conjoncture/retraites-la-cour-des-comptes-etrille-une-nouvelle-fois-les-regimes-speciaux-20190716
https://www.rtl.fr/actu/debats-societe/greve-ratp-quels-seront-les-effets-de-la-loi-sur-le-service-minimum-7798319491
https://sgeieg.fr/la-branche-des-ieg/entreprises-et-salaries-de-la-branche-des-ieg

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初秋のパリ

酷暑の後、今年のパリには久々の秋が訪れている。

ここ数年、不思議なことにパリの秋は暖かかった。そして妙に晴れていた。
だから、短い夏の後、急に曇天になり肌寒くなる本物のパリの秋を、今年、懐かしさとともに体験している。

パリの秋は物悲しい。
厚く重たい雲が天を覆い、只でさえ儚いフランス人の顔立ちを、より悲しく見せる。

それは次の夏まで三百日あまり繰り返される北フランスの日常である。

日本には、夏の梅雨といえども幕間には晴れ間があれば、秋の台風の薄気味悪い漆黒の後には、爽やかに過ぎる台風一過の秋晴れがある。冬には、乾燥して澄んだ空気に太陽が映え、人々は遠くの山々を眺め、関東なら富士見もできる。
日本人は太陽に飢えることをしらない。

そして、秋が来れば、やれ食欲の秋で秋刀魚が旨いだの、読書の秋が来たなどと呑気なことを言っている。

パリの秋は陰鬱、憂鬱という長いトンネルへの入り口である。

唯、我々学を志す人間にとっては、思考の季節の入り口でもある。

実にフランスは愉快ではないが、何かを深く考えるのに適した風土である。

トレンチコートを着て、肌寒い街を歩き、列車に乗る。

陰気な顔をして黙りこくるフランス人たちを乗せた陰気な列車が、パリリヨン駅に着く。

ホームの隣の線にはThelloという夜行列車が軽やかに止まっている。
この夜行列車は前夜ヴェネツィアからミラノを経由し翌朝パリへ来ては、その夜パリからミラノを経由しヴェネツィアへ行く、イタリア国鉄の列車である。

この緑と赤の調和された色を纏うイタリア国鉄の列車は、イタリアの爽やかな風を毎朝パリのリヨン駅に運んでくる。

この列車を見る度に、この列車に飛び乗ってイタリアに行きたい。そう思う。

そんな毎日がまた始まる。

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と思いきや、天気予報では来週は毎日晴れで、朝晩の寒暖差は激しいながら、日中は20度を超えるという。
また異常気象かな。

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ノートルダムのその後に

ノートルダム寺院のてっぺんがついこの間に焼け落ちたというのは、万人の知るところである。

フランスでは、関心を示す人間もいれば、全く無関心の人間もいて、移民の内には歓喜する者もいた。

ここからしてこれぞフランス、セラフランスであるが、その復元に向けての途中経過や進行形の顛末は日本では報じられない。

焼け落ちた時には金閣炎上吉原炎上とでもいうようなセンセーショナルな報じ方をする日本ではあるが、そのあとこそが、更にフランス的で面白いのにそこを報じない。
これでは、フランスの文化やフランス人たるの精神性が見えてこない。

日本は何かを断行する際には、談合なり根回しで、コンセンサスを形成して、結論ありきで丸く動こうとする文化であるが、フランスはとにかくカオスである。
もちろんフランスにも、例えて、学術会議の次期理事長に誰が座るかなどというポストの問題などで、大御所からの内々のご指名があったり、派閥で談合したり、なんとなく投票結果がわかりきっているものなど、根回しの文化はある。同様に、日本においても議論がまとまらないことがある。

ただし、概して、議論屋のフランス人の意見は決して一枚岩にはいかず、色々な人間が勝手な意見を言い、カオスな状況に陥るのが普通である。
そして、このカオスを無理くりにひと纏めにするためには、ある権力者が、上からの権力で方向性を決めて断行せねばならない。

これは、ノートルダム炎上一件に関しても同様である。

権力が湧き上がる議論をねじ伏せるやり方でないと、とてもではないがフランスの国家計画は進まないし、更に、纏めあげる権力者も、確実に反対勢力からは永久に悪く言われるから、ノートルダム寺院を復元するという歴史事象においては、名声と汚名の両方を残すと言ってよい。

今はパリの不動の象徴たるエッフェル塔も、当時は反対派からの批難で轟々であったし、今では支持者の方が多いかとは思うが、嫌っている人間もいないわけではない。

こういうことがフランス的なのである。

無論ノートルダム一件より、半年を経て、フランスのメディアや人々の間が、この問題をそれほどまでには気にしてる様子はない。しかし、それでも、再構築に向けた議論は政府を中心に進み、それが市民に伝わるにおいて、人々はそれぞれその計画に対する意見を抱くのである。

炎上から半年のうちに、どんなことがあったのか、いくつかにわけて概括する。

1. 金持ちを妬むフランス人が起こす寄付金への文句

フランス人は、とにかく金持ちを妬む性質を持つ。
ユダヤ人など大嫌いだし、ブルジョワも嫌いだし、成金も嫌いで、このように金持ちを羨ましがりながら、これを隠して妬む。

ノートルダムが炎上した時、フランスをはじめとする世界の財閥が即座に寄付をしたわけだが、素直にありがとうがいえないのが、フランス的である。

https://www.lavoixdunord.fr/570823/article/2019-04-19/sur-twitter-pamela-anderson-s-insurge-des-sommes-recoltees-pour-la

ルイヴィトンのLVMHグループ、ロレアル化粧品、トータル石油を筆頭に、ディズニーまで色々な財閥がお金を出した。

するとフランス人の一部は即座に、これを茶化す。
まだ、再建計画が始まってもいないのに、
「もう寄付金のおかげさんで再建計画がありまっせ」
と、ステンドグラスをルイヴィトンの市松模様にして茶化す。

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https://www.cartooningforpeace.org/editos/notre-dame-telle-le-phenix/

そして、マクロン大統領が、再建への寄付金を世界からありがたく受け取っていることに対し、黄色いベストが、俺たちにはしないくせにと怒る。

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https://www.pinterest.com/pin/330662797640013660/

実際に、議論でも、「国家がこれに血税を投入するのか!」などと、怒る市民もいれば、黄色いベスト運動に参加するような左翼は原則的に反カトリックだから、「カトリック教会が焼け落ちた宗教施設に公金投入かよ。」「パリのモスクが焼け落ちたらそんなことすんのかよ。」と、そういう意見を持つ人も多い。

フランス人というのは、徹底した平民根性を持ち、とにかく僻みっぽくて嫌味だから、金持ちは寄付をしないでもボロクソに言われるし、してもボロクソに言われるという、何をしてもボロクソに罵倒されなくてはならない。

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