苦き午後

2019年9月19日13:02のフォンテーヌブロー発パリリヨン駅行きの列車に乗る予定である。

駅前の小さく可愛らしいロータリーにバスが着き、駅舎に入る。

アブのようなサングラスをかけた、白人の年増女が僕めがけてパンをかじりながら、英語で話しかけた。

「あなたのクレジットカードで、パリ行きのチケット買ってくれない?現金で返すから。」

普通僕はこういう申し出には応じない。何故なら詐欺であるからである。

生憎、フォンテーヌブローの自動発券機は、現金はコインしか受け付けない。そして、昼休み中の窓口は閉まっている。

彼女は財布から、20ユーロを出したから、僕は仕方ないと思い、8.85ユーロのチケットに対する釣りがないことを断り、彼女は売店で両替するからと僕に重ねて断り、故に僕はチケットを買う。

女は売店へ向かい、両替を願うが、列車が入線する。今日の売店の白人おばさんは、いつも態度の悪い人であり明らかな外人嫌いでもあり、「ないわよ」と、両替の不可を示す。

僕は返金してもらうことを諦め、電車に乗るからとチケットを渡した。

物足りないのは、彼女から礼の一言や、恭しいジェスチャーの一つもない事である。それどころか彼女はパンをかじりながら、別のドアへと向かっていった。

そういうギリギリの状況でグレーゾーンの怒るまでもない小さな詐欺を働く女なのか、本当に返金する気があったのか、僕は知る由もない。

しかし、人間に必要なのは礼儀であろう。

僕は、こんなことで面と向かって彼女に返金をせがんだり、賤しく見える振る舞いはしたくないから、その女の乗る車両とは別の車両に乗った。

もし、「ありがとう」の一言があれば、1000円ぐらい惜しくはない。しかし、このような人間に対して、結果的に捨てることになった金は、気持ちの良いものではない。

列車が途中駅のムーランに着く。

僕の隣にはキャリーバッグを持った黒人のおばさんが、前にはジプシーの若きカップルが乗ってきた。

間も無く車掌による改札がある。

前のジプシーの男は、車掌の面前で小馬鹿にした態度を取り始め、いびきをかいて寝たふりをし、車掌に注意される。

隣のおばさんが、navigoというsuicaのようなカードを出す。

車掌は「8月からチャージされてないよ」と言い、50ユーロの罰金を求めた。

「お金ないわ」と彼女が返したから、車掌は身分証の提示を求め、慣れたように機械でicの個人情報を照会し罰金の手続きを始めた。

彼女は少し恥じらいがあるのか、「何で車内でチャージできないの?」などと車掌に言う。

次はジプシーのカップルの番である。

分かっている筈なのに、彼らはフランス語を頑として話さず、車掌は身分証がないことなどは分かっているとでも言うように、手慣れた様子で、紙に名前と住所、生まれた国を書くように命じ、彼らは舐め腐った態度で殴り書く。

そして車掌はそれを預かり、形式的に罰金の通告書を発行する。

至極僕が残念に思うのが、彼らの口から「ごめんなさい」の一つも無かった事である。

彼ら移民がフランス社会で差別され、経済的も困窮していることは誰もが知っている。

だからもし、開き直ったり見苦しい体を見せず、心から「ごめんなさい」が言えたら、車掌だってきっと許してくれる。

彼らの態度に車掌がイラついているのは誰の目にも明らかで、機械操作に手間取った時に「putain (bitch)」と小声で発した、その最上級の汚い言葉は虚しく響いた。

金があろうとあるまいと、どんな人種であろうと、ほんの一言でいい。

「ありがとう」「ごめんなさい」、こう我々が他人を尊重できれば、きっとフランス社会の息苦しさは軽減される。

みんな、フランスを尊重しようではないか。

誰かフランス人のモラリストが出てきてくれないものかと、僕は悶々としながら大学へ向かう。

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