2019夏イタリア紀行〜プロローグ。辻邦生の追憶〜

「面白きことなき世を面白く。」
こう高杉晋作は言った。
全くもって好きでもない歴史上の人物の言ったことではあるが、この言葉には深く同感している。

この世は浮世とはよく言ったものである。
しかし、憂き世から転化したとされるこの浮世というものも、面白くなく、苦界や修行である現世に過ぎないから、高杉晋作はいかにこれを楽しむかと詠んだのである。

しかし、どうも、太陽と海に恵まれた日本という特殊な憂き世に出でた日本人というものは、太陽と海がなくては浮世を感じることはできない。

そして、太陽と海の日本とイタリアには常に大風が吹き、空気は淀むことなく浄化され続ける。

欧州から帰朝する時、ロシア上空で機内食が出、食後のコーヒーを一服する頃、日本海の上空から佐渡近辺にかけて飛行機は得てして揺れる。
僕はこれを学習し、コーヒーがカップの中で日本海の荒波と化したらくつろげないから、このコーヒーはさっさと終えることにしている。

そして、今回もそうだが、イタリア上空も毎度のごとくよく揺れる。いつか僕の乗った飛行機が、フィレンツェの空港に着陸しようとしたが、強風の影響でピサ空港にダイバードとなったこともあった。同じトスカーナとはいえ、フィレンツェ目指してピサになると交通が厄介である。

こうして僕は愛する日本と愛するイタリアに空路入る時、その飛行機の揺れで、いよいよ来たなと感じるのである。

だから風吹かず空気淀み日陰る大陸の内陸というものは、日本人には極めて不向きである。

和辻哲郎の「風土」に比して考えるなら、やはり太陽も海もないヨーロッパ大陸の内陸部では、人々も根暗であるし、また、空も人々の装いも、目につくものの全てが黒ばかりでくすんでいて、いるだけで滅入ってしまう実なる憂き世である。

しかしこの憂き世の国のフランスはものを考えるには適している。よく巷で言われることだが、フランスドイツとヨーロッパ大陸を東や北へ行くにつれて、陰気になり、自殺や精神病は増えるが、人文系の大学者を輩出する数も増えるという。出鱈目に列記しても、フランスなら先の二人はユダヤ人だが、レヴィ=ストロース、デュルケイム、ミシェル=フコー、ブルデュー、リュシアン=フェーブル。ドイツは、カント、ニーチェ、ハイデッガー、きりがない。
日本学といった外国学にせよ、フランスやドイツは優れている。

思考は、憂き憂きと気持ちを沈殿させて冷やしていかないと深まらない。
他方、太陽と海の南国では気分が浮き浮きしてしまい、思考には適さない。

しかし、僕はこの憂き世は性格に合わず退屈で退屈で仕方がない。フランス人とは性格が真逆で、気質が内陸であるフランスにも適合せず、人類史上一番フランスの似合わない人間であると自負している。向こうからしても招かれざる客である。

こうして、憂き世を浮世にしたいと思えば、日本に近いようなところへ、海と太陽を探して旅に出るより他ない。
そして、僕にとってのそれは、ヨーロッパにおいては、確実にイタリアである。僕にはムッシュ世川よりシニョーレ世川がしっくりくる。

本来なら欧州見聞の為には、北や東へも積極的に行かなくてはならないが、どうも気が進まない。いつも僕の足は勝手に南へ動き、取り分け、自分と気質の合うイタリアという浮世に向かってしまう。

ただし、どうやらフランスから南へ自然と足が動く日本人という現象に関しては、何も僕だけが特異な変態という訳でもないようである。

むしろ、日本人でフランスに来た人間や、経歴からフランスのイメージが刻印されている人間が、ヨーロッパ南部に傾倒するという、一見矛盾するようなことは意外にも常識のようである。

カテゴリー: エッセイ パーマリンク

コメントを残す