2019夏イタリア紀行〜プロローグ。辻邦生の追憶〜

三島由紀夫は欧米外遊に際して『私の遍歴時代』でこう言っている。

「私は陰気なパリに別れを告げて、晩春のギリシャへ行くことができた。私はあこがれのギリシャに在って、終日ただ酔うがごとき心地がしていた。」

「しかし少なくとも、ギリシャは私の自己嫌悪と孤独を癒し、ニイチェ流の「健康への意志」を呼びさました。」

そして、この後三島は「潮騒」を書いた訳だが、このパリの陰からギリシャの陽へ出た経験がなければ、三島はこの名作を生み出せもしなければ、禁色の第二部もあのようにはなっていない。
そして、この経験はヒョロヒョロの三島由紀夫が、ボディビルに目覚め、日に焼けた筋骨隆々の古代ギリシャの鋼の肉体を持つ三島由紀夫になる歴史を示唆している。

或いは、仏文学者で作家の辻邦生も、もちろんフランスというイメージが刻印されているが、彼が一番愛したのは実はイタリアである。『美しい夏の行方』でこうイタリアを褒めちぎっている。

「イタリア–何という耳に快い響だろう。ぼくはどこの国よりイタリアと相性がいいのだ。イタリアが好きだ、という前に、イタリアにいると、幸福のあまり、いても立ってもいられないような活力を感じるのだ。」
僕もまったくこの先生のお気持ちに同意する。

そして、エッセイなども残されるフランス言語学者の日本の某名誉教授も、ご夫婦でイタリアを随分とお気に召され、このところフランスをすっ飛ばしてイタリアにばかり行かれている。

何も僕は、南ヨーロッパを愛するこの偉大な日本人の先輩方の真似をしている訳ではない。これらお三方の書物や名誉教授との出会いは、私がイタリアに惚れてしまった後の話である。しかし、僕はこの方々と同じ気持ちを共有していることは事実である。故に、「先生方もそうか」「先生方もまた僕と同じ気持ちでおられるか」という、自分の気持ちを追認してお墨付きを頂いていると勝手に信じ込むというか、自分の理解者が増えたとでもいうかのような、なんとも言えない嬉しさがこみ上げてくる。

さて、Mio Amore Così Grandeをして我が愛するイタリアには人生で延べ3ヶ月滞在したことがある。それはほとんど毎年イタリアに行くからである。
この度はこの人生の至福のスパイスを2週間追加しに行く。
ビジネスでもなければ、イタリア関連の人間でもないのに、なんだかイタリアにはご縁があって、何度も訪れている。これは運命としか言いようがない。

イタリアと僕の人生の最初の接点は、中学の音楽の授業における「帰れソレントへ」や「オーソレミオ」の独唱であったが、その時僕はイタリア語の美しさに何となく惹かれ、そこからイタリアとのご縁がゆるやかに始まっている。

大学時分は実は僕の第二外国語はイタリア語であった。当然イタリア語を取るに決まっている。そして、やっぱりイタリア語は僕の性に合って授業も好きで好きで仕方がなかったし、優良点を頂戴している。しかし、大学三年の後半にフランス行きを決意する以前に、単位増加のために取った第三外国語のフランス語の方はといえば、嫌いで嫌いで単位を落としダブっている。

兎にも角にも、イタリア語をまだきちっと話せる訳ではないけれども、語学にせよ、オペラにせよ、ファッションにせよ、女の顔かたちにせよ、食べ物にせよ、僕が外国で一番好きなのはイタリアで、不思議と人々との波長もあう。

パリにいてさえ、例外としてパリに長く良すぎて精神を病みフランス人化したあるイタリア男を除き、原則としてイタリア人とは会えば気脈が通じ、ベルギー人の友達がそんな僕を見て、「Yûtaはすぐにイタリア人と仲良くなるね」と不思議がっていたが、そういう謎めいた僕とイタリアの関係性である。

これは感性の問題であるから、科学的には証明しにくいが、なぜ、イタリアに、僕が、というよりか日本人が合うのかということは、「度胸と愛嬌」と「土地」と「気候」からある程度説明がつく気がする。

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