2019夏イタリア紀行〜プロローグ。辻邦生の追憶〜

このような攻めの自尊心から来る愛嬌は、常に太陽を浴びて、時に地震に揺られつつ、しばし海を眺め、そして割合として多い美人に目を奪われながら、浮き浮きとした精神の余裕を育んだ人間でないと獲得できない。

そしてこの愛嬌を獲得した人間が次に産むのは笑いである。

例えば、バラエティ番組でもラジオでもあんなにバカバカしいお笑い番組を年がら年中やっている国は日本以外にはなく、日本人は根底的に笑うことが大好きである。芸能にせよ、歴史に立脚したお笑い文化の発展も日本は随一である。
自虐も含め、冗談を言う人間も多い。

イタリア人というのもまた、冗談を好み、笑うことが途轍もなく好きである。

度胸は「なるようになるさ」と諦めとともに笑い飛ばす精神が構築するものだから、鎮座する安定の自尊心に裏打ちされる愛嬌の上にしか成り立たない。

このように、日本人とイタリア人は似ているし、相性が良い。度胸愛嬌を共有する日伊同盟である。

僕が乗る愛嬌余って2回目の経営破綻中のアリタリア航空は、イタリア国境上空を越える。
その途端、三色旗の赤白青が赤白緑に変わる。

これはマギー司郎の縞のハンカチよりもシンプルで素晴らしい手品である。
縦縞が横縞になるように、一色変えるだけで何もかもが変わる。
あんなにもくだらない手品にも関わらず、客席が一瞬にして笑いに包まれるように、EUのせいで国境が消滅中なのに、見えない国境を越えるだけで心がからっと晴れる。

そして何人ものイタリア人たちから彼らのお決まりのジョークを僕はこの耳で聞いている。

「イタリアの国旗はトマトとモッツァレラとバジルのカプレーゼの色!」

これがイタリア人の愛嬌なのである。

何と愛すべき人々なのであろう。

こうして毎度のごとく、太陽と海とイタリア人の愛嬌に誘われて、性懲りも無く、また来てしまった。

よく日本好きの外人はこう言う。「日本に帰ってきた」と。
これを聞くと僕は「お前の国じゃないだろ。」と制するが、実は、魂の底から湧き上がる愛とはこういうものなのである。魂は魂が安定する場所を見出した時「帰る」のである。

僕はイタリアに来る時だけは日本以外で、「帰って来た!」と感じる。Sono tornato in Italiaである。

今僕は、ローマ空港のカフェで窓際に陣取り、イタリアの太陽を浴びながら、論文の傍、万感の喜びに浸りながらこの文を打っている。
今日のイタリアは30度近くあって暑い。嬉しい暑さだ。
空港に降りた途端から、おかしいぐらいの数の美人がひしめいている。
カフェからは世界で一番美味しいイタリアの生ハムの新鮮な匂いが香ってくる。

僕はローマ郊外に通りすがりだが帰って来た。

あと、2時間もすれば、太陽が南中するのとちょうど同じタイミングで、トリエステ行きの小さな飛行機で空へ飛び立つ。

こたびはトリエステ。トリエステに帰るのだ。

イタリアだけは僕を裏切った試しがない。
僕の令和最初の夏は、イタリアの長旅に彩られるに違いない。

令和元年八月十二日イタリア時刻十一時十八分。

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