8年のフランス生活にお別れを (1) 〜アイデンティティを探して〜

運命の流れに乗ってフランスに来て、運命の流れに乗ってフランスを去る。

「今時の若者は10年ぐらいは海外に行け」そう父は言った。
「就職して毎月お給料が入るようになると、そこから抜ける怖さから、思い切って海外へ出るチャンスがなくなる」そう母は言った。

だから、高校ぐらいから漠然と抱いていた海外から日本を眺めるという欲求を、海外の大学院進学という形で決意した二十歳の頃。
学習院大学の史学科で日本近世史(江戸時代)を専攻しながら、国際交流サークルを主宰しつつ、自然と道は学問栄え、良質な歴史学のあるフランスへと繋がっていった。

亡くなったり縁が切れた方もおられるが、そこにご尽力下さった、先生方や友人には今も感謝が尽きない。

なぜ、歴史に打ち込むことになったのか、なぜフランスだったのかしみじみと振り返ってみる。

受験勉強の類が嫌いな僕は、当然早慶は落ち、かろうじて上智や横浜市大、明治学院などに合格し、進んだ先は学習院であった。
それは、合格したのが史学科であったからだ。

就職を狙っていれば、上智を選ぶに越したことはないが、史学に道が開けたのは「御先祖様の思召」との家族会議である。

歴史を考えずにはいられない人とのご縁など、身に起こってきた様々な体験がそう考えさせることもあるが、僕が運命論者で、あらゆることを「先祖の意志」だと思い諦観し納得するのは、こんなロジックが発動する家に生まれたからに他ならない。

僕の幼少期の初めての記憶は、父親が枕元で話す、「うちは御馬廻の武家で」というものである。大人になってから様々な人と関わってわかったが、フランス人も日本人も、古い家の人間たちはみな家の歴史を強く認知しながら、アイデンティティを形成するもののようであり、またそれを次世代へ紡ごうとする意識が強い。

父親の「御馬廻」の発音が、現代語や歴史用語的に「おうままわり」ではなく、江戸時代のままの「おんままわり」であることも、江戸時代が終わってからも尚、家の男どもが代々子供たちに言って聞かせて、せめて騎馬の武家である意識ぐらいは維持しようとしてきたことの証左である。
しかし、江戸時代はどんどん遠くなりゆく昔のこと、さらには士族という称号もない平成の時代である。

武家の人間といっても丸腰で街を歩き、もはや寺にでも行かない限りは、武家を「御武家様」として遇する人もいない。初対面の人間から、唐突に「あなたは武家の方ですか」と言われたのは、大人になって今のところ日本人フランス人双方に数回あるが、苗字とて徳川や松平でもあるまいし、そうはそうそうあるものではない。

だから、子供時代の僕は普通の腕白な子であり、決して武家の子供には見えなかったであろう。

しかし、表では一般的な家庭の子供であっても、先祖を重んじたり、元服の年齢を過ぎた中学からは完全に大人扱いで、一切指図を受けない放任の家に先祖を重んじる身内に囲まれて育つと、やはり、自ずと歴史というものに興味を抱くことに繋がる。

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