8年のフランス生活にお別れを (2) 〜フランスの思い出〜

パリにいて2年目からはよくジャズを歌った。ライブをさせてくれた、伝説のジャズバー、カフェ・ユニヴェルセルのオーナーAzou(アズ)には感謝が尽きない。(今はオーナーが変わって、その頃のジャズマンたちは一部を除いていない。)

今では親友で家族ぐるみの交際となった、不倫してあらゆるものを失った中学の寂しい共産主義者の音楽教師、チェット・ベイカーのコピーの陰鬱なトランペッター。古キリスト教徒でイスラエルから移民した超絶技巧派の影のある美人な歌い手。ジャズ仲間も最高だった。

ジャズに集うフランスの人々はどこか哀しげであるのも、印象に残った。

意外と8年の長きにわたる思い出を記そうとしても、旅行の思い出と違って、日常を送っていたから中々出てこない。
エッフェル塔の上までは登ったことはない。観光はしたことがない。ただ、飲んで遊んで時々勉強をして思索と見聞ばかりしていた。

しかし、フランス生活は満喫した。日本マニアでないフランス人たちの中に、親友と呼べる仲になれたフランス人の友達が10名ばかり出来た。その他友達もそれなりに出来た。そして、もう一つ自分にとって良かったのは、田舎が自分には合わないことがわかったことだ。

在仏6年目の夏に、僕は日本から来た友人とフォンテーヌブローに行ったが、ちょうどパリに飽きていたこともあって、真夏の太陽の照りつける閑静な城下町フォンテーヌブローに惚れ、急に越すことを決心し、家を見つけ即決した。
フォンテーヌブローやベルサイユはパリに住むと旅行というには近く、中々行かない場所であるので、初めてのフォンテーヌブローはそれだけ新鮮であったのである。
ところが、住めば半年で飽きた。

ジャズバーはない。繁華街がないから気に入った行きつけのバーは一つしかない。夜遊びが退屈。地元の友達はできたが、そもそも中学高校時代からの地元の友達とのグループでいつもつるんでばかりいるから、親友とまではいかない。

気質が田舎者で、都会を嫌うから、皆動きに乏しい。
電車は一時間に2本で、とてつもない遅延や運休が多く、パリへ出るのに一苦労。

フランス生活の最後の2年間は、大学に講義に出向き論文を執筆することが中心の、自分らしくない静かな生活であった。

田舎を知らない僕は、田舎への憧憬があったが、田舎の現実を知り、遊び人の自分にはやっぱり都会が合っていることを知れただけでも、きっと人生一度の田舎生活は良かったのだろう。

また、本当のブルジョワの白人たちが内心何を考えているのか、今時首都圏で珍しい白人の街フォンテーヌブローの人に学んだからそれも良かった。

最後の2年間、田舎へ引っ込んだのと、大学の博士課程に兼ねて任期付きの常勤講師(ATER)をやったことで、学生とは一線を画さなくてはならなくなる前は、それなりに女性との出会いもあって楽しめた。
18歳から30歳までは実に遊びの12年であったが、極め付けに初めて人を愛することを知り、初めて失恋というものを知った。

酸いも甘いも知って、最近は、実に深くジャズや歌謡曲や絵画がわかるようになった。まあ、フランスで8年暮らしたことは、C’est pas mal.
そんなところか。

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