8年のフランス生活にお別れを (3) 〜フランスを去る急な決心〜

人生どこで死ぬかはわからないが、もとより僕は死ぬのは日本と決めている。

フランス遊学は、移住のためではなく、飽く迄、若き人生の日々を海外で深めることにした先が、フランスであっただけの話である。

何となくイギリスの大学院を目指していたイタリア好きの男の道が、何故かフランスへと開けたように、予め人生のレールというものは決まっていて、その時々に運命としての選択をしているだけなのかも知れない。

そして、大体8年の生活で、フランス社会を十二分に見聞したという思いが強くなった。

僕の目に映ったパリを中心とする現代フランス社会はこうである。

パリは文化が栄える花の都ではあるが、不潔で、そこには人種などの生まれに基づく貧富の差があり、物価は高く、全体に息苦しさが蔓延し、多くの人々はモラルを欠き、難儀な人種のるつぼであった。

現在進行形のものとして体感した歴史としては、テロあり、黄色いベストあり、ストライキあり、最後の最後にはコロナのパンデミックがあった。

そこに日本から来た異邦人として自分を置いた。

フランス、特にパリは外人を受け入れることに慣れているとは言え、人が所属する社会は人種や家柄といった生まれにより大体決定づけられている事実を目の当たりにした。

古来からのフランス人であれば、神-王-聖職者-貴族-平民という身分を知覚し、うちは貴族の伯爵家であるとか、騎士の家であるとか、代々のブルジョワであるとか、百姓であるとか、そうした、今の法律上において表向きには存在しないことになっている身分への意識をもっている。

何とインターネット上には家々の苗字の来歴を探すサイトが溢れ、文書館には先祖を探しにくるフランス人の多いことであろうか。

また、フランス人は、先祖の話、家の歴史、家族の話をよくする人々である。

しかし、歴史とは実に重い。
例えば、黒人が今以て明らかに差別されているのは白人に虐げられた歴史のせいであるように、歴史が後の世の人たちを規定してしまうという事実は、日本にいるよりもフランスにいる方が強く感じる。

表向き平等をフランス共和国の国是としながらも、内実は全くそうではなく、先祖の歴史や生まれによって、所属する階級が違い、社会へのアチチュードや眼差し、思想、行動形態などの様々が決まってしまうのである。

江戸あたりの日本社会とは違い、貴族が富と権力を完全に握った封建身分制を経た歴史を有するフランスでは、平民には未だ貴族への嫌悪感がある。この21世紀の今もだ。

これは、遠山の金さんや大岡越前や鬼平のように、実在した権力者側の武士がヒーロー視されていたり、歴史上の好きな人物が武士で溢れかえり、挙げ句の果てにはスポーツのナショナルチームにサムライジャパンなどと恥ずかしげもなく名付けてしまう日本人には中々想像できないことだと思われる。

ナポレオンなど、いかにもフランスの栄光を体現するような人物を好むフランス人は多いが、日本人ほど好きな歴史上の人物に騎士や貴族を挙げたりはしないし、ヒーロー化された貴族も日本ほどは多くないし、まさかナショナルチームにシュヴァリエフランスなどとは名付ける訳が無い。

貴族の家々は今は特権はないが、もちろん存在するが、共和制の中で表舞台から消えている。そして、城ぐらいは持っている人もいるが、今は領地もなければ多くの貴族は普通の暮らしをしている。

目下の問題は、平民のうちからブルジョワとして固定された家やエリート層が現れ、これと下位平民の軋轢が甚だしいことなのだ。

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