8年のフランス生活にお別れを (3) 〜フランスを去る急な決心〜

また、平民に加え、移民たちは、白人であっても、東欧やポルトガル等からの移民は白人の下位であり、貧困なことが多い。
移民は、たとえ数世代を経ていようとも、移民家庭の子に生まれただけで、人生において不平等を感じることが多いであろうし、社会の上層へ上がるチャンスも、経済力のために乏しい。

アラブ人黒人は言うまでもなく、東南アジアや印パバングラ系等々も社会の下層である。

ユダヤ人は確かに別の移民たちからもカトリック教徒からも貧乏人からも忌み嫌われ差別されているが、二千有余年のディアスポラで培われたテクニックをして、大金持ちや政治家や学者を多く輩出する階層である。

華僑も全方面から忌み嫌われるが、商魂はたくましい。

ユダヤと華僑に勝る商人はなし。

こうして、平等や政教分離という極めて近代的な政治的理念のもとに、全てのフランス共和国民を単一に統合せしめんとするintégration(アンテグラシオン)という同化政策を長らく執ってきたフランスであるが、その不可能が露呈し、結局移民の共同体や宗教の共同体は、崩されるどころかますます閉鎖性を帯びながら強靭化している。

五族共和を謳った満州国の人民も、同じ皇民として同化が図られた日本人台湾人朝鮮人も、混じりあって融合した新たな一つの民族にはならなかった。さらにはユダヤ人は二千年も各地に散らばりながら信仰と共同体を維持した。それと同じ現象である。

時に人間は人種や民族、国籍を超えて愛し合い、あるいは友誼を結ぶ。
面と向かって肌で雰囲気を感じとり、会話し、気心が知れれば、人種も民族も国籍も宗教も関係なくそこに差別はない。しかしそれは、個人対個人、少数の気の合う仲間たちの場合に限られる。

共同体のレベルになると、それは難しい。

日本人の外国駐在員は、同業の場合友人になることが憚られるように、同じ民族同士でも同業他社などという理由で関わることができないことがある。

これが歴史や宗教を異にする民族的共同体や社会階層の間だったら一層難儀なのである。

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