8年のフランス生活にお別れを (3) 〜フランスを去る急な決心〜

又思うに、有史已来、人間が真に平等であったことはなく、常に格差は存在する。
共産主義社会であっても、富と権力をほしいままにする共産党員と、平等の名の下に苦役される人民がいる。

生まれはアイデンティティそのものであり、そこに思想や行動原理が生まれる。

重き身分の家に生まれるか、軽き身分の家に生まれるのか。なに人に生まれるのか。金持ちの子に生まれるのか、貧乏人の子に生まれるのか。美男美女に生まれるのか、醜男醜女に生まれるのか。性分が豪放磊落に生まれるのか、内気に生まれるのか。五体満足に生まれるのか、五体不満足に生まれるのか。

人は皆、親に注文を入れて、頼んで生まれた者など存在しない。
勝手に仕込まれて、知らぬ間にこの世に生まれ来て、その生まれが選べなかったことだけは平等である。
そして、生まれ落ちた瞬間に不平等や不条理の中に身を置くことになる。

残念だがこれが人の世の理である。

しかし、フランスがこの理に反して、今日において「平等平等平等平等」と常に唱えているのは、逆説的に不平等や差別が余りに深いことを示唆している。

そうでもしないと封建身分制を打ち破っても尚、旧身分は色濃く残り、平等の名の下にいよいよ平民民衆の貧富の格差が深い、近代国家としてのフランス共和国の社会は持たないのである。

しかし、富裕な人間や家柄の良い人間が「平等」を唱えるのと、貧民や被差別民が「平等」を唱えるのでは、同じ言葉であるのに、響きが違い色が違う。

前者は安全地帯から自分を守る守りの音頭であり、後者は苦界からの断末魔の叫びである。

生まれが良いことは、それ自体下層民から恨みを買うことでもあり、それを避けるために、本気で平等とは思っていなくとも、自分を守りながら、下層民をなだめておくために、上っ面で「人類平等」と言っていることが大概である。上流の人間は下流に落ちることは真平御免であるから、革命でも起こされて転覆させられないためには、とにかく心を寄せているふりをしながら、下層民をなだめつづけなければならない。欺瞞満ち溢るる平等の声である。

逆に生まれが悪いことは、その瞬間にルサンチマンを背負うことになりがちである。フランスが誇る大社会学者のビエール・ブルデューが社会階級の再生産を証明したように、家と社会階層は密接に結びついていて、社会階層は親から子へ普通引き継がれるから、これを打ち破ることは難しい。成り上がりもいないではないが、貧困家庭に生まれたものが高額な家庭教師を得て勉学に励み、これまた官立学校なのに高額な授業料のグランゼコールに行って上流階層に入り込むということは極めて難儀である。せいぜい、サッカーに打ち込み、何かの拍子に大金持ちのプレーヤーになるほうが容易であろう。

だから、成り上がるチャンスさえない下層民は、とにかく断末魔の叫びとして、富める者の富の分配を希求し、少しでも良い衣食住を求めて、平等を吠えるのである。これは本心から嘘偽りなく希求する平等である。

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