8年のフランス生活にお別れを (3) 〜フランスを去る急な決心〜

いろいろな経験とともにしみじみ考えれば、僕は恵まれた生まれだと思う。
人に恵まれて生きてきた。身内や先輩方にはいつも奢って頂き、目をかけて頂いている。生まれながらに苦痛であるとか、ルサンチマンを感じるようなことはない。付き合った女の幾人かは、愛の言葉も言ってくれて、そのことは態度からも肌からも感じた。今まで、様々のポジティブな物事を与えられてばかりで生きてきた。

しかし、最近歳をとったせいか、与えられるばかりでなく、自分が与えたい、あるいは次世代に残していきたいという欲求に駆られるようになった。

お世話になる方や、後輩、友達には奢って振る舞いたい。本気で人を愛したい。自分の足元を固め、将来的に時期が整えば子でも儲けたい。
やはり社会や人様に対しては何でもいいから貢献していかなくてはならないであろう。

そういう気持ちになったのである。

ところが、僕のこの思いは、もはやフランスにいては叶わないことが明明白白となった。

僕がこのままフランスにいて、ただでさえ少ないポストが減りゆく大学にありて、万万一40歳を超えるまで霞を食いながら待ちに待って、正規の准教授になったとしても、准教授の2年目の月棒は約2400ユーロで、僕の場合は教授には上がれる訳がないので(日本の准教授は年功序列で教授にあがるが、フランスはそうではない)60歳寸前のキャリア最晩年にようやく3800ユーロ程度の給料になる。そこから税金が引かれ、ボーナスは雀の涙…

とてもじゃないが、人に振舞うことは叶わず、自分がなりたい男にはなれない。
貯金もできずに老年になるのは確定で、フランスから死ぬまで一切動かないならいいが、日本に帰れない流人のような男になってしまう。

また、国家公務員であることは発信を是とする自分とは合わない。

こちらは篦棒に給料もいいのだが、私立大学なんてカトリックなどの宗教大学か、MBAスクールなどを除いて存在しないフランスにおいて、国立大学の教員は国家公務員で、発言の制限 Droit de réserveがあるため、自分がしたい発信はできない。

学問を志す人間は、その知識と知見により発信することで社会的責任を果たすべきだと思っている僕にとって、これは受け入れ難い。また、国家や社会批判をするのに、血税を貰っていることは辻褄もあわなくなる。

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