8年のフランス生活にお別れを (3) 〜フランスを去る急な決心〜

尊敬する本居宣長先生は、大学者として名高いが、フランス人の上流な親日家がこよなく愛する映画監督の小津安二郎と同じ伊勢松坂の商人小津家に生まれ、本業は医者であり、そうして自分の経済力を固め、多様な人と交流しながら学者として名をなした。

尊敬しないがカール・マルクスは大学に教授の職を得られなかったから、行動や発言の自由を得られ、資本論を著すことができた。

歴史上の学者を知れば知る程、大学教員たる学者という存在形態が崩れゆく中で、これからの学者たるものはどうあるべきなのかを考えさせられた。

作家とてそうだ。
旗本の柳亭種彦や、教師の夏目漱石や軍医の森鴎外が本業を持ってこその文豪であったように、人間の生業のマルチなあり方を模索したいと思うようになった。

そして、フランスも悪くないが、和をこよなく愛する僕は、そろそろフランスのライフスタイルや食材や洋食に飽きた。

風呂釜や温泉につかり、美味しい魚や刺身、寿司、天婦羅、鰻を食いながら、日本酒を飲む日々を送りたい。

そうして、日本で民間のシンクタンクを起業しコンサルティングをしながら、あれば民間の研究職も探しつつ研究をするという発想が湧いてきた。

煮え滾ってきたこんな思いが鍋から吹きこぼれるように、帰国を一挙に決心したのは、お茶の水女子大学のコンソーシアムに5日の弾丸で出張る、2019年12月のストライキ前日にパリを飛び立ったエールフランスの深夜便の中であった。

貧乏な僕は、この時お茶ノ水女子大学の金で、飛行機に乗った。

機内を見れば、世の中には頑張ってビジネスクラスに乗る人間がいる。
自分はこのままいけば永久にエコノミークラスであり、さらには自分で飛行機代を出せない状態が続く。

どんなに拒絶しようとも、今の西側社会は資本主義社会であり、従って弱肉強食の時代であり、貧富の差がある。

自分だけの今の収入と、これから先も当面フランスに暮らし続けた場合のことを考えると、自分は必ず貧困層に落ちる。肩書だけ大学の教員なのか研究者なのか聞こえは良くとも、サンピン侍宜しく貧困になる。

フランス社会は見聞し尽くしたし、これからもフランスと関わっていきたいとは思うが、日本も好きだ。そのためにこそ、ここいらでフランス遊学は終わろう。

こう決心した。

そして、日本に帰るや否や、帰国を決心したと宣言したのであった。

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