8年のフランス生活にお別れを (4) 〜歴史の糸〜

渡仏から帰朝までの8年間の起承転結は、うまく歴史の糸で繋がった。

起。

日本を知るためにこそ日本を外から眺めたいと勇んでフランスに来ることにした22歳の時。日本史の人間がフランスに渡る意義を適当に説明しようとして、研究テーマを「幕末明治のお雇いフランス人」に設定した。

来ること自体が目的であったから、テーマなんか何でもよかったし、日本側のどの先生もテーマは日仏関係史でなくてはパリの大学院進学の辻褄が合わないとアドバイスをくださった。

しかし、指導教授に示されたのは、日本の養子の歴史であった。別に養子制度になど興味はなかったが、日本人の家がもれなく養子や聟養子をどこかで入れて継がれてきたことが日本社会を考える歴史として面白いことを説明され、僕もそう思いこれを入れた。

承。

江戸時代の武家の養子について研究することになったが、養子の具体的な実践に関する先行研究があまりなく、史料調査も面倒だなと思ったが、直感で自分の家の文書を調べることにし、研究で帰国した際に行田市郷土博物館に足を向け、史料に目を通した。

するとあれよあれよという間に、面白いぐらいのスピードで自分の先祖の書き残した手紙から養子関係の史料が出てきて、驚きを禁じ得なかった。

転。

研究のために、学習院の史料館に足を向けた際、辻邦生先生の展覧会をフランスでやるから受付や会場設営などに協力するよう頼まれた。

これは、皇太子時代の
今上陛下も御協力遊ばされた展示会で、そこでお会いしたさる方に、僕は殊の外大事にしていただくことになり、それ以来ありとあらゆることを学ばせていただき、付き従っては教えを乞うている。

それもやはり、極めて歴史を感じる出会いであり、先祖の思召としか考えられない。

結。

フランスにおけるコロナの蟄居中、行田市郷土博物館から、コロナ明けの夏の特別展は愚家をメインに据えると連絡を頂いた。

帰国すると決めて、いざ帰国する時にこんなことがあるのであろうか。

我々の家は、山本流居合の家元になった程度で、一介の番方の騎馬武者に過ぎず、大名家や幕末維新などに勲功のある武家と違い、父が子供の頃枕元で僕に言っていたように松平下総守に側仕えする御馬廻である。だから、埼玉県史や行田市史には出てきても、メインには座らない。
まったく、不思議でならない。

高祖父 忍藩銃士隊頭取 世川農士磨知述

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