8年のフランス生活にお別れを (4) 〜歴史の糸〜

兎角、人は生まれにより所属する社会階層や身分が異なる。稀に、上下移動する人間もいるが、原則的には、そうしたことは極めて稀である。

そして、背負う身分や文化や宗教や歴史が人々の価値観とアイデンティティを形作り、これがそれぞれに違う。そのため、人々を理念や強制力によって混合させようとすることは不可能である。

だからこそ、各個人や各共同体のバックグラウンドや考え方や価値観の違いを認めた上で、共生を図りながら、各人その生まれに応じてより良い社会を構築するために奮起できるようにすべきなのである。

職分論である。

人間が勝手に区分したが、鳥類とはいえ、ペンギンは空を飛べず、鱗翅目なのに蚕蛾も空を飛べないが、それぞれに、何かしらの役目はあるはずなのだ。人間同士と言え、各民族各宗教やとりわけ各階層で社会のためにできることや役目は違うはずだ。

僕に落とし込めば、形骸化こそしていても愚家レベルの武家としての矜持を持ち、政治も理念もモラルも腐敗し、その割にとんでもない人間たちにより軽々しく知ったように武士道が叫ばれ、ポピュリズムをして終わりゆく近代民衆社会の中で、俗にならずに、泰然超然と、自分のできることに都度邁進するのみである。

御当代の殿様はかつて僕を召されこう仰せられた。

「刀は容易く抜くべきでなく、社会にくさびを打とうではないか」と。

願わくば、どんな生まれの人も、苦痛なく、人間らしく生きられる社会が来て欲しい。
グローバリズムの押し付けでもなく、ナショナリズムの先鋭化でもなく、グローバリズムとナショナリズムの均衡が保たれ、人々が互いを尊重する共生社会となり、地球の隅々まで平和となることを乞い願う。

しかし、今は、万人が素晴らしいことであると盲目的に信奉させられている民主主義の一番歪みの部分が、ポピュリズムという形で牙を向き、人間の良心を侵食し不寛容を助長させている。
人間社会は共生の真逆へと向かっている。

歴史を顧みず、未来を見通す力も無く、無論世界情勢を読み解く知力も無く、瞬発的な感情に突き動かされて軽々しく国体を論じる大多数の惑える人間が、その浅はかな言論とともに世界を覆い、多数派に躍り出て、社会の質を低下させる。
民主主義はその性質上この動きを止められない。

無論、歴史の必然から、近代社会もいつかは終わり、そう遠くない未来に次の社会がやってくる。

その時に、我々や我々の子孫はどうすべきか。

近代の終わりの始まりの今の段階においては、自分は、日仏を往復して、人間の本質に鑑みながら、社会に対し発信することで、社会に対するせめてもの貢献としつつ、1789年に始まったとされるどん詰まりの近代にくさびを打ちつけることと心得た。

これがフランスで20代の大半を過ごして経験を重ねた私が、三十にして立つ時の感覚である。

僕のフランス遊学にご尽力くださった全ての皆様、そして、フランスと日本に心から感謝しながら、次の道へと進んで参ります。

La France et mes che(è)r(e)s ami(e)s français(es) etc… m’ont donné pleins de trésors de ma vie.
Je n’oublierais jamais tous les séjours en France de ma jeunesse.
Je vous remercie profondément du fond de mon cœur.

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