死にゆくマドモワゼル

マドモワゼルは瀕死である。
若い未婚の娘である。

女は結婚するか、それなりに歳を重ねればマダムになる。

男はいくつであろうとムッシュである。

女が社会的状況や見た目で呼称を変えられるのはおかしい。
そういう時代の風潮でマドモワゼルは瀕死である。

ただし、マドモワゼルは元気いっぱいに生きているわけでもないが、御臨終の宣告を受けたわけでもない。

公の社会と通常の私的な社会において、マドモワゼルという長らくのフランス語を、このまま葬り去るのか、なんとか植物状態のレベルで生かし続けるのか、そういう終末期の親族のせめぎ合いの状況である。

2012年からフランス国家は法律によって役所の書類や大学の名簿などの公文書からマドモワゼルを抹消し、それ故に公的な場所でのマドモワゼルの記述や呼びかけは控えられている。ただ、私的な面ではマドモワゼルの使用は禁じられていない。

しかし、大学などの公教育の場ではマドモワゼルはもういない。
教師が「誰々さん」と生徒を呼ぶときに、マドモワゼルを使うことがないからである。

罷り間違って「マドモワゼル」と口を滑らせたら、女性差別主義者と突かれる隙を与えることになる。

それだけではなく、生徒を敬称付きでどう呼んで差し上げるかということは、今日非常に難しい。

それは男女差別というコンテクストにおけるマドモワゼルの撤廃のみならず、LGBTへの適切な対応のコンテクストにおいてである。

公教育において、もちろん生徒の名簿は、運転免許証などと等しく国家が管理する実名で記載されている。
生徒はこの名前で単位を取り、学位を授与される。

しかし、性同一性障害の生徒が、名簿上の実名で呼ばれることを拒否し、別の名を希望することがある。
はっきりと宣言する子もいれば、ささやかなサインを送ってくる子もいる。

ある日、小テストの名前の上に、ごくうっすらと男子の名前を書いた名簿上女性の生徒がいた。
見た目からでは判断しにくかったので、個別に「これ何?」と聞いたら、実は自分は男でということだったので、「なんだ、あなたは私の授業ではあるがままに男でいなさいよ。」とそこから完全に男扱いをしたが、そんなことも今のフランスの学校では起こるのである。
ただ、法的に性別が変わっていない場合は、彼の学位は女の名前とマダム扱いで出てしまう。

ゲイやレズビアン同様トランスジェンダーにも告白との兼ね合いで三パターンの人がいる。

使命感やありのままの自分でいたいということで、自分がLGBTであることを周囲にアピールする人。内向的で周りにアピールしたいけれど言えないという人。周りに気づかれないように息を潜めている人。

そして、LGBTでアピール好きというか、社会と戦う闘士として自分を認知している生徒に対し、うっかり名簿上の名前で呼んだりすれば、これが文字通りのうっかりであっても、LGBTの問題に理解を示さない差別主義者の悪徳教員と断罪されることもある。

このように、今のマドモワゼルを抹消した公的機関においては、個別にLGBTに対応しながら、マダムとムッシュへの一本化が進んでいるが、カフェなど、公共の場所だが公的機関ではない、という公でもあり私的でもある場所における呼称の問題は極めて難しい。

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