酷暑の後、今年のパリには久々の秋が訪れている。
ここ数年、不思議なことにパリの秋は暖かかった。そして妙に晴れていた。
だから、短い夏の後、急に曇天になり肌寒くなる本物のパリの秋を、今年、懐かしさとともに体験している。
パリの秋は物悲しい。
厚く重たい雲が天を覆い、只でさえ儚いフランス人の顔立ちを、より悲しく見せる。
それは次の夏まで三百日あまり繰り返される北フランスの日常である。
日本には、夏の梅雨といえども幕間には晴れ間があれば、秋の台風の薄気味悪い漆黒の後には、爽やかに過ぎる台風一過の秋晴れがある。冬には、乾燥して澄んだ空気に太陽が映え、人々は遠くの山々を眺め、関東なら富士見もできる。
日本人は太陽に飢えることをしらない。
そして、秋が来れば、やれ食欲の秋で秋刀魚が旨いだの、読書の秋が来たなどと呑気なことを言っている。
パリの秋は陰鬱、憂鬱という長いトンネルへの入り口である。
唯、我々学を志す人間にとっては、思考の季節の入り口でもある。
実にフランスは愉快ではないが、何かを深く考えるのに適した風土である。
トレンチコートを着て、肌寒い街を歩き、列車に乗る。
陰気な顔をして黙りこくるフランス人たちを乗せた陰気な列車が、パリリヨン駅に着く。
ホームの隣の線にはThelloという夜行列車が軽やかに止まっている。
この夜行列車は前夜ヴェネツィアからミラノを経由し翌朝パリへ来ては、その夜パリからミラノを経由しヴェネツィアへ行く、イタリア国鉄の列車である。
この緑と赤の調和された色を纏うイタリア国鉄の列車は、イタリアの爽やかな風を毎朝パリのリヨン駅に運んでくる。
この列車を見る度に、この列車に飛び乗ってイタリアに行きたい。そう思う。
そんな毎日がまた始まる。
と思いきや、天気予報では来週は毎日晴れで、朝晩の寒暖差は激しいながら、日中は20度を超えるという。
また異常気象かな。