カトリーヌ・ドゥヌーヴに見るフランス人らしさ

カトリーヌ・ドゥヌーヴには現代フランス人一般女性の全てが凝縮されている。

例えるなら、本当の日本種のみかんの全てを凝縮させたポンジュースのような女優である。

ポンジュースの名付け親は、正岡子規や秋山好古・真之兄弟の主家でお馴染みの伊予松山藩主久松松平家の16代宗武公であるから、紛れもなくザ伊予、ザニッポンのジュースであって、このポン御ジュースには、そういう日本の味が100%詰まった味がするように、カトリーヌ・ドゥヌーヴには、近現代のフランス人の精神性や文化の全てが詰まっている。
そう言う意味で彼女はフランス一、ポンな女優である。

ブロンドの髪、168センチとそれなりに高い身長、社会に対してもの言う強いフランス女、離婚して尚恋多きシングルマザーという非カトリック的な生き方、彼女はこういうフランス人女性の近現代の夢と希望のアイコンである。
彼女の社会に対する発言は、当然発信すれば炎上するフランスだから批判もされるが、毅然と軸をぶらさずに、いつも自分らしく彼女は発信をする。

さて、このフランスの大女優カトリック・ドゥヌーヴを一躍世界的スターダムに押し上げたのは、ミュージカル映画シェルブールの雨傘だが、誰もが知るミシェル・ルグランの名曲に彩られたこの映画は全てフランス的である。

まず、フランス人は雰囲気勝負の民族なので、雰囲気美人の大国であり、この感じがドゥヌーヴにはよく出ている。
イタリアの美人女優のように、見ている女性が、「私とは顔が違いすぎて、なれっこない。」と完膚なきまでに夢を打ち砕かれるような感じではなく、「私もこうして、こうして、こうしたら、この感じになれるわ。」と、映画を観終わったらすぐに美容室に行ってデパートで買い物をしたくなるのがフランス人の美で、この雰囲気がちゃんと雨傘にはしっかり体現されている。

それでいて、主役の相方のニーノ・カステルヌォーヴォはイタリア人であり、主役のリアルイケメンをイタリアから引っ張って来たことも、ある意味雰囲気イケメン大国のフランスを表している。

さて、この映画で、日本人に今に残る可憐なブロンドフレンチガール像を植え付けてくれたカトリーヌ・ドゥヌーヴは、今もご健在である。
2018年には、イタリアのリアルイケメン名指揮者リカルド・ムーティらとともに、高松宮殿下記念世界文化賞に輝いており、まだまだ来日もされるし、時折ご意見番としてフランスの雑誌やメディアに出てくる。まだ映画出演もする。

ちなみに、産経新聞社がらしさを発揮して、授賞式の動画をYoutubeにアップロードしてくれているが、視聴者が一年経って1000人というのは寂しい。が、これを見ると、カトリーヌ・ドゥヌーヴのご健在っぷりがプリプリわかる。

まず、彼女は、現総裁の常陸宮殿下から勲章を拝戴したら殿下にケツを向けて、「私は女優」オーラをムンムン放つ。
運営というか宮内庁も、受賞者が拝戴したら、向きはそのままに何歩か下がってケツを向けずに右へはけさせるようにしないといけない。
私が宮内庁長官ならこういう粗相は起こり得ないのだが、まだ私は長官になっていないので時期尚早で、しかし、私が万一式典にいたらカトリーヌ・ドゥヌーヴは尊皇攘夷されていた。

そして、今回は、尊皇攘夷を間一髪免れたこのご意見番大女優が、またしても元気一杯に彼女らしいインタビューを受け、引退する気がさらさらないことを見せつけた。

これを機に、高松宮殿下記念世界文化賞受賞者、カトリーヌ・ドゥヌーヴさんに敬意を表して、また、いちいち打ち込むのも面倒なので、女史と呼ばせて頂いて、この女史からフランス人の一般の現代女性の本当の雰囲気について考えたいと思う。

カテゴリー: エッセイ, 社会批評 パーマリンク

コメントを残す