日本とフランス研究者への道 〜失踪・自殺天国の背景にあるもの〜

・モテない研究者

研究者というのは実にモテない。

まず、政治家もそうであるが、男女ともに研究者に容姿端麗を要求するのは酷である。そのため、マクロン大統領がイケメンでもないのに、年寄りで醜悪な政治家たちの中にあるために、若いだけでイケメン扱いされてきたように、若手の研究者は顔が多少悪くても、「美人すぎる」とか「かっこいい」などとチヤホヤされがちである。

ただし、私のようにシャイで無口で人見知りで、街を歩いて穴を見つければすぐに入りたがる性分の男もいれば、不思議と穴があったらとりあえず入れたい男もたくさんいるのが世の常なので、研究者でも女性ならば別に美人でなくても問題なく男を見つけられる。

しかし、とりわけ研究者の男は、モテないデキない言えそうもない、逢えない抱けないデキそうもないという風に、研究者なんかダサいし、顔が悪い上に貧乏だから女は来ないし、抱かれてくれないし、自分の意思とは裏腹に中年になっても結婚もできない。以上。

だから、50代のある日本人の教授に聞いたら、教授が日本のある国立大学の博士課程の時に、先輩に部屋に押し込められて何時間も説得されたのに共産党に入党を拒み、さらに、彼女がいたことでいじめられたというが、研究者には腐ってしまった人間も多ければ、陰湿な人間の巣窟であるという一面も確かにある訳である。

・研究者の性格がねじ曲がる理由とドロドロの世界

全て、人間を捻じ曲げるものは嫉妬心や恐怖心である。

一種の諦観や運命論を受け入れていないと、やはり人を妬んだりするのが人間である。

男の嫉妬には女がいるとか、女を抱けているなどという単純で性的なものが多分にある。

女には女特有の嫉妬がある。

ジャズの世界でも、時折みんなからチヤホヤされる、若手の可愛いシンガーが出てくる。

若くて可愛い女の子はそれだけでバーでは男たちにチヤホヤされるが、それに加えて、歌も上手いとなれば、こういうニューフェイスが様々なライブハウスやレストランのステージをかっさらっていくことは確定している。だから、お局が嫉妬する。

私は隠居してしまったパリ伝説のジャズバーはカフェユニヴェルセルのオーナー、アズさんの下で時々働きながら、こういうシーンを山ほど見た。

新顔の可愛い歌うま女性シンガーがステージでキメてしまって、男性客たちがうっとりする横で、私とアズさんは、バーのカウンター越しに、私こそ美人でお歌が上手いと思っているオババシンガーが、ニコニコした仮面の裏で嫉妬と怒りに震えているのを見て「ババア怒ってるよ」と楽しんでいた。

研究者の世界もこういうもので、フランスのある女性の若手が言っていたのは、おしゃれをしてはいけないという縛りがあるらしい。

フランス人のファッションは貴族やブルジョワのコンサバファッションでもない限りセンスがないから、私ははなから一般人のファッションなど見ないので気がつかなかったが、化粧をしたら目をつけられるとか、お洒落なんかするべからずという暗黙の了解があるとのことで、その方はこれを変えたいと言っていた。

実に僕も応援したい。

またこれは、日本人のクラシックの音楽家の女性に聞いたのだが、日本で純粋培養されたオーケストラの女性たちの世界には、まずヨーロッパ仕込みの音楽家への嫉妬があり、こういうのが帰った来た時に、少しでも衣装の胸元が開いていたり洒落すぎていたりすると、お局に目をつけられていじめられるというから、女の嫉妬とは、美人が憎いとか、上をいくオシャレが鼻につくとか、こういう類のものが多いのであろう。

あるいは、別の若手の女性から、妊娠出産にまつわる意地悪が女研究者の世界にあるというのも聞いた。これはジェネレーションギャップの最たるものだが、かつては、フランスでも、女が研究の世界に入るということは、比較的恋愛を諦め、子供を作らず研究に邁進していくという文化だったそうで、今の若手は普通に結婚したり、博士課程の途中に出産したりするので、これを妬む人もいるとのことである。実際にその方は嫌味を言われたりしているので、もちろん立派な女性大御所も多いが、中には意地悪なお局もいるというのは本当なんだろう。

そして、男女の研究者に共通するごますり問題がある。

本草学的にも、ごまはニンニクや生姜・うなぎと同じく精力剤であるから、ごまはするものではなく食べるものである。そのため、私はごまは食べることしかしない。勿体無くてすれない。

しかし、どんな世界でも同じかもしれないが、研究者の場合、ポストが枯渇しているだけに、ドンにごまをすってすりまくる性質の人間も多い。それは何とかして学問の世界にしがみつきたいという恐怖心の賜物であろう。

また、フランス人の中には、ただでさえ少ない日本研究のポストに日本人が入ってくることを好まない人も多い。フランス社会だから、フランス人と日本人でできることも違ってくるが、中には学閥もあり、既得権益もあるから、そこに日本人が外部から入ってくることは邪魔でしかない。

私の場合は、研究会にも行かないし、一つの学会にも幽霊会員で、別の学会もやめたから、全然表に登場しないが、日本人でそういう場所に積極参加したりすると、警戒されてメールから除外されたり、面と向かって嫌味を言われるという実体験を複数の体験者から聞いた。

また、潰しにかかってくる人もたくさんいる。

僕とて幽霊なのに目をつけられているそうだ。障子に目あり壁に耳あり、不思議なことに人に言った悪口や噂話は巡り巡って実際に本人に届く。

そのため、僕より10余り上の人たちで構成される、まだ正規教員になっていない人が多い、僕とは酒を酌み交わしたこともない人たちの学閥一派から目をつけられているというのは僕の耳には達しており、このブログが右翼でナチスだとかなんとか始まって、世川をフランス日本学の世界においてはならないという触れが回っているというのは方々から聞いた。

しかし、一応、世のために学問をするわけであって、言論や理論を担う学者たち皆が、叩かれたり立場を失うことを恐れて黙ったり、思想をカモフラージュしたり、長いものに巻かれていたのでは、学問は民衆から見放される形で死んでいく。

今時メディアの言うことを誰も信用しないように、もうすでに学問は社会の人々から見向きもされていないというのは、悲しみを持ってひしひしと感じている。

でも僕にとってみれば、歴史や哲学・社会学などの人文研究は人間を考えるためにどうしても必要なものであり、それ故に、包み隠さず偽善や独善を排除して発信する必要があると思っている。

ただし、ただでさえ若造な上に左翼ではない僕が発信をすれば、叩かれるというのは織り込み済みであるし、それでも、僕の目を通した形ではあるが、フランスの現実を含めた様々を、日本を考えるために発信したいと僕は思うし、そんなに自分自身学問の世界に執着しているわけではないので追放されたら追放されたでそれはそれと、全ての責任を自分一人に負って実名で出し続けるのである。

また、出たものは撤回できないから、発言や文章を消すというのは無意味だし、私の発信は、自分の中では、学術の世界において思想信条や表現の多様性と自由は果たして存在するか否かの実験でもある。

目立たないで人畜無害のようなおとなしい人でも、研究者の世界では積極性や協調性がないだの叩かれるそうだから、動いても叩かれ動かなくても悪く言われるというのが、未熟な人間たちの共同体の常であろう。

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