今朝方フォンテーヌブローでバスに乗った。
僕はバス後部右側の席に座っていた。
アンドレア・ボチェッリを聴きながら、春のように麗らかな秋晴れの下、バスに揺られていた。
通路を挟んだ、四席向かい合わせのシートには、にいちゃんと言うべきか野郎と言うべきか、三人のアラブの若い男たちが座っていて、迷惑な大声で会話をしながら、足を前のシートに投げ出す形で座っていた。
まるでバス後部帝国の支配者は彼らこそであると言いたげに。
無論彼らトロイカ体制の皇帝の服装は、攻撃的なスウェットである。
今その言葉が日本語であるかは知らないが、いわゆるB系ファッションである。
こういう服装をするのはだいたいアラブ人や黒人であるのだが、この三人は紛れもないアラブ人であった。
そして、ヤンキーまがいの移民が、公共交通機関で示威行為をするのには、正直僕もフランス人も慣れ切っている。
誰かが迷惑行為をする人間を叱ってどうにかなる時代ではない。
彼らが叱られて自らを正すような人間ではないと誰もが分かっているし、叱って厄介なことに巻き込まれたら嫌だから、こうした場合、誰もが無視することに現代フランスではなっている。
こうして、バスの後部帝国は彼らの意のままに存在し続けた。
バスが駅と僕の最寄の停留所の真ん中に差し掛かった頃、急に口げんかが始まった。
彼らの一つ前の席に腰掛けていた白人の初老の男性が何かを言っている。
僕はアンドレア・ボチェッリの美しいイタリア語の音を切って彼らを見ながら、盗み聞きを始める。
どうやら、エアコンが効いている新型バスの車内で、アラブの三皇帝たちが急にバスの窓を開けたことに男性が注意をし、窓を閉めるように促したが、若者たちが無視をしたようだ。
男は窓を閉め、即座にその窓に一番近い、進行方向後ろ向きに座る陛下が窓を開け直した。
周りの乗客たちは、何が起きたのかと注目している。
すると突然攻撃的な金髪に髪を染めた攻撃的な顔をしたアラブの皇帝陛下が、初老の男性に向かって、「T’es raciste ! (テ・ラシスト! お前レイシスト!)」 と言った。
これは明らかにレイシズムではない。
公共を害する若造がたまたま移民であっただけの話だ。
自分たちが悪さをし、注意され、レイシストと暴論を振るって、いや、論にもなっていないから、言葉を振るって、自己弁護をするなど余りに情けない話である。
また、見知らぬ目上の男性に対しては、百歩譲って「Vous êtes raciste. (あなたはレイシスト。)」と言わなくてはならない。
余りに品がない光景に僕も、周りの乗客たちも、呆れた顔を瞬時に浮かべた。
そして、今のフランスで、レイシスト呼ばわりされたら人は怯む。
この初老の男性が怯んだ隙に、先ほど窓を開け直した皇帝陛下が、アラブ語で何かを言い、三人して嫌な笑いをした。
そこにいた人間は、彼ら以外アラブ語を解さないと見え、何を彼らが言ったかは分からない。しかし、とにかく名誉を毀損するようなことを言ったことは分かる。
そして、この陛下は一言最後に「Fuck You!」と付け加えた。
その瞬間、また乗客たちは嫌な顔をした。
北野映画でビートたけしが「Fuckin’ Japぐらい分かるよこの野郎」と相手を撃ち殺すような、成敗は起こりえない。
レイシストに差別されている移民というロジックを鎧に、決してこれ以上の批判を受けないと高を括るアラブ人三人のバス後部帝国は益々強靭である。
乗客たちの顔は「お前の方がFuck Youだよ。」そう言っていた。
外人の僕はこう思った。
「そうか、お前の知っている英語は「Fuck You!」だけなのか。フランス国籍を持ちながら、「Fuck You!」の代わりに、フランス人らしいエスプリに富んだ皮肉のフランス語の一つも言えないのか。」
移民に何かを注意することは、こうしてレイシストの自己弁護をされると目に見えているから、誰もこれ以上加担はしなかった。
しかし、窓が爽やかな初秋の風を運んでくれているにも関わらず、バスの中には淀んだ嫌な空気が流れた。
この調子では、千年経っても移民差別が無くならないと、一番気づかなくてはならないのは彼らではないか。なぜ、人から尊敬されるような振る舞いをしようと思えないのか。
そこが悲しくて悲しくて仕方がない。
フランスに生きると、この何とも言えない心の疲労感を感じることが、最近ことのほか多くなってきた気がする。
気がするのではなく、確実である。
バスを降りて煙草を吸う。
ナポレオンの愛した宮殿の庭の方から木枯らしが吹く。
秋のフォンテーヌブローの風で吹かす煙草は美味しいはずなのだが、今日のは妙に苦かった。