「フランスは好き?」「日本は好き?」というよくある質問

さて、日本人は、この無粋な「日本好き?」という愚問をそろそろ駆逐し、別にあなたが日本が好きでも嫌いでも知ったこっちゃありませんという超然たる態度を獲得すべきである。
そしてこれを獲得できたときが、日本人が自ら日本の粋と随を知覚したときと言える。

「日本好き?」と問うて「好きです。」と外人にお墨付きをいただかないと気が済まない間は、日本人はいつまでたっても自国の文化や伝統の良さを自分で発掘しモノにすることはない。
人に言われない限り自分の長所短所に気づかないという幼稚な態度を脱却し得ないのである。
自信がある人間は超然としているもので、人からどう思われているかに左右されないし、そのことを気にはしない。日本が一皮剥けるために必要なのはこの態度こそである。

こっちにいると、何でこんなに日本人は白人に褒められたがるのかと恥ずかしく思うことが多い。ビジネス戦略として外国に日本文化の諸分野を発信する分にはいいが、日本人はヨーロッパでいきなり日本の文化の何かが流行って、改めてこれを見直し褒めそやし出す。白人が良いと認定した日本文化を、日本に逆輸入する欧米追従の自己認知である。
これは極めて野暮である。

これは、特に外国の「が」の字も知らなければ、一つも外国語のできない言論人や政治家などが、「欧米では」と言いながら、白人の言うことに左右され、或いは白人の顔色を伺いながら日本の文化を保全するなり捨て去る方向へ持っていこうとする、恐ろしいアティチュードの始まりである。自分で自分の長短を理解して自己判断できない稚拙至極、無責任の言論である。

日本人が良さを知覚していて、うめえから食ってみろと自ら外国へ出してみてそこに定着させた文化は真面目にラーメンぐらいしかないのではないだろうか?

例えば、浮世絵や春画も、グラン・パレだの大英博物館だので評価され、日本人が忘れていたものが欧米で褒めそやされると、日本でギャーギャーいう。人に言われなくても素晴らしいものなのだから、今も少しいるけれども浮世絵師や春画師がもっといて日本人も購買して文化の実践をともなえば尚良いのに。日本人が実践しないでどうするんだ。

或いは、フランス人がニッカウヰスキーの美味しさに気づいてブームを起こすと、いきなり日本で日本のウヰスキーは最高だなどと通ぶりだす。
本来は逆でなくてはいけない。最初から気づいておけという話だ。

ちなみに日本のウヰスキーは極めて美味しいけれど、個人的にはアイリッシュが一番好きである。

バーボンウヰスキーが亜種であるように、アイリッシュなどと飲み比べると日本のウヰスキーも極めて上質上流の亜種に過ぎない。どちらがウヰスキーの元祖か係争中であるアイリッシュやスコッチのように極めて長い伝統を持つ本場のものにはやはり敵わず、それに食いこめただけでも日本は偉いが、やはりウヰスキーはあちら様のお家芸。

最近フランスも日本に触発されてウヰスキー作りを強化しだしたが、プレミア感を出すために値段は高く設定されているのに、中身は不味くてしょうがない。甘ったるくてベタベタしている。ベルギーから馬のションベンと馬鹿にされるフランスのビールもアルザスのビールを除けば不味い。何を言ってもここはワインとパスティスの国なのだ。伝統に勝るものなし。

その点日本人のコピー技術と洗練は天才的と言えるが、白人がお墨付きを与えたら、無理して日本のものが一番美味しいなどと言ったり、愛好し始める必要はなく、各人自分の基準は自分のぶれないものとして持っておくべきである。
僕はニッカウヰスキーが大好きだが、白人が絶賛しているからといってアイリッシュに優越させるようなことはしない。

このように白人の評価を気にしすぎたり、それにより日本人が自国の文化の価値判断に右往左往している状況では、日本はいつまでたっても、自国の素晴らしさを自ら自信を持って理解することはできない。

聖徳太子が「日出ずる処の天子」などと言って煬帝を激怒させたように、そこまでの自尊も暑苦しいかもしれないが、この自ら考えて吟味して開拓し知覚するという自己認知こそ今の日本に必要なものである。

自分たちが自分たちを十二分に知覚し、こんなに素晴らしいものはないと思うから是非ご興味があればどうぞという泰然自若の態度を獲得しない限り、日本人は守るべき日本の文化や伝統を気づかぬうちに失うことになる。そう危惧する。

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