EU議会選前夜のフランスの雰囲気 〜Brexit・Frexit?ナショナリズムのカムバック〜

これは、ひとえに、とりわけ白人を中心とする今のフランス人たちのグローバリズム疲れがある。

確かに、アメリカなどの超大国に対抗するためには、小国並立のヨーロッパの経済を統合し、市場を増大させる試みがEUであった。そして、一つのヨーロッパをして国境を廃し、通貨を統一し、価値観を共有することで、ヨーロッパの完全統合を試みた。

しかし、このようなことの歪みが大きく現れたのが昨今である。

ヨーロッパといえども、各国で経済状態が違う。そのため、貧困の南部ヨーロッパや、東欧などから、ヨーロッパ人としてフランス人と同じ待遇で、安価な労働者がフランスやドイツへ移民としてなだれ込む。

それだけではなく、ヨーロッパは人権という美名を至上の価値として掲げるから、非ヨーロッパ世界からの移民が溢れかえることともなったし、昨今はシリアなどからの難民問題も追加された。

また、国境がないから広大なヨーロッパの中を誰もが自由に行き来できるため、テロを経ていよいよ安全保障上の恐怖感を人々が持つようになった。

結果として、仕事がないのに移民が来る。労働力がヨーロッパ内で、西側の一部諸国にばかり流入し、人口のムラが多くなることで、ヨーロッパの格差が一層広がる。
移民を受け入れるフランスやドイツはそのせいで一層不景気になり仕事が減る。という美名の裏の逆効果はいよいよ大きい。

重要な面もたくさんあるが、人権やエコロジーなどという白人が作り上げた際限なき人間愛に基づく権利の下で、移民や外人に対して差別的な待遇と思われることはできないから、もともとのフランス国民からの不公平感も増大する。

例えて、僕も韓国人や中国人の友達もいるし、無論人間レベルでは立派な人も多ければ、気さえ合えば友達にもなれる。しかし、文化や政治経済レベルにおいて、アジア諸国が一つになれるかといったら誰もが無理と思うであろう。何もかもが違いすぎる。

それと同じで、ヨーロッパを一つにしてみました。というところで、経済状況は違えば、民族も多様で、歴史や考え方や文化的背景も違うために、これがうまく機能することはなかった。そして、みんなの心うちにある「俺はフランス人」というような考えは「私たちはヨーロッパ人」という新概念には勝らなかった。

多様性と人類統合のユートピアは並立しない。

フランスはフランス、イタリアはイタリア、ドイツはドイツ、イギリスはイギリス。みんな違って並立し、戦争さえ簡単にしなければそれでよい。
オニオングラタンスープをパスタにかけて、ソーセージとフィッシュ&チップスを乗っけたら絶対にまずいように、混じることの成功は難儀である。

こういうことを白人たちが気づきだして、みんなが元の国民国家・すなわちナショナリズムへ戻りたがることとなった。

こういうことがバックにあってのいわゆる「極右旋風」なのである。

僕は外人だから、ヨーロッパ主義者やオランドの時のような左派政権の時代の方がフランスでは生きやすい。右派政権になれば、ビザの取得は難儀になるし、受けてはいないが、いざという時の社会保障も受けづらくなる。
仕事とて、外人が大学教師になるぐらいなら、まずはフランス人からという優先順位は一層明確になる。

とはいえ、それは僕は日本に帰れば日本人としてデカイ面をできるわけだから、同じことで仕方がない。外人がその国の国民と同等、あるいは優越して扱われたらおかしいわけだから、そんなことは当たり前なのであって、フランスの生きづらさは酒とともに笑い飛ばすのが賢明と存じる。

さては、他のヨーロッパ諸国もいわゆる「極右」の人気が伝えられている。

この月末には、もし、この予想通り「極右」が躍進すれば、メディアはその根幹にある欧州諸国と民衆のナショナリズム回帰への意志を、さも悪いことであるかのように「極右が躍進」などと騒ぎ立てるに違いない。

まあ、そうなれば、超大国アメリカや、台頭する中国にヨーロッパ経済が対抗する術はなくなるが、文化の多様性や国民主権は回復されるので、それも良きかな。

経済とは無関係に、こじんまりとした牧歌的農耕的人間社会が欧州でやってくるのなら歓迎したいものだ。やってこなくても、まあ、それはそれ。

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