不自由がもたらす近現代の終わり

この問題に関しての前提とアティチュード

今回主題とするのは、偏に、如何に人が人を尊重できるのか、如何にすれば文化も生まれも育ちも異なる人間たちが尊重しあえるのかという未来に向けた人間の命題を、フランスの移民の事象から考えることである。

先ず、この問題に関して、移民がたとえ不法であったとしても、難民を偽装する輩であるとしても、彼らが「生きる」、あるいは「生きようとする」ことの一切を否定することはない。

難民であれ、正規にはビザが取れないながらフランスに到達する不法入国者であれ、彼らがより良い暮らしを求めてフランスを目指したことは事実であり、この生きようとする熱意と行動力は、私にも、おそらく多くの日本人にも、経験不可能なだけに、どこか映画のようであり、いまひとつ実感のわかないものでもある。

故に、浅はかな同情をしてわかったようなことを言ったり、彼らの生存への意志を否定するようなことは何人もできない。

しかし、まっとうな批判と信じることを言うなれば、生きるためにフランスに来た人々が、残念ながら、フランスを全く尊重せず、ドラッグや性犯罪など、人品を疑われるような犯罪を起こし、正攻法で人の情けに訴えるべきところ、暴動を起こして自己の存立を訴えることが多いことが、多くのフランス人の眉をひそめさせる結果となっている。

ところが、この移民問題・難民問題等に関して、議論好きでこれの天才であるフランス人の眉が下がる一方、彼らの口が動く様子は見られない。それは、自由社会などと謳われる21世紀の日本やフランスに生きる人間たちが皆感じているように、こうした問題はサンシーブル(センシティヴ)な問題として自由であるはずの議論から除外されるからである。

それどころか、眉をもひそめ過ぎれば、「貴様は人間が嫌いな、人道主義に反する人間だな」「レイシストだな」「ナチスだな」と言われることにもなり、皆、表立っては、この問題に関して意見を表明することはない。

こうして、かかるタブー化した問題は、タブーであるが故に、気の置けない友達や家族との本音の場でしか現れない議題となる。そして、表で言えずに隠されている分、この発露の際の論調は重くねっとりと過激になりがちである。
白人の家でこういう話をすると、右派の人間なら、移民反対になるし、最近は左派の人間でも、移民の犯罪が多いという事実は許せるわけではないから、人間愛をして全てが解決する話ではないと知覚しはじめ、「何とかならないものか」と唸っている。

さて、私はフランスの新聞は、一神教は好まないが、伝統主義者の立場からフランスのあり方を伝統の立場から報道する姿勢をとるカトリックの機関紙La Croix(ラクロワ)を読むこともあれば、リアリストの立場から、社会主義者や極左が読むHumanité(ユマニテ)や左派のLe Mondeに対極するFigaroを主に読んでおり、Figaro紙のプレミアムをネット購読している。
このプレミアムの2018年6月20日の記事は移民特集であり、2013年時点で、人口の8.9%が移民と化したフランスにおいて、毎年不法移民の流入が止まらないことを文面で紹介し、不法移民のキャンプがいかに危険で不衛生かという動画をあげている。
(フィガロ紙「フランスの移民の数」

目下フランスの全土においては、あちこちへ不法移民が不法キャンプを作り、すなわち公共の場を占拠して、これを警察が追い払うといういたちごっこが続いている。

一例として、2019年9月17日の朝7時、グランドシントゥというダンケルクの真横の大西洋岸の街では、去年の冬から公営体育館の敷地を占拠してキャンプを張った1000名弱の移民を、ホームレス用の一時宿泊施設へ強制執行でどかしたばかりである。
そして、フランスブルーの記事ではいちいち言及していないが、彼らは不法であることは間違い無く、記事によれば、この街に不法移民キャンプができるのは初めてでは無く、イギリスに渡ろうとする移民の到来が後を絶たないという。

また、感覚を掴むために、パリ内部の北方や郊外でも、こうして作られては消えていく不法移民キャンプの動画を一つあげておく。

そして、別の場所では、警察による立ち退きの強制執行に際して暴動も起こった。

尚、前提として最初に確認しておきたいこととして、こうした紛れもない人権問題に関するアティュードの問題がある。すなわち、歪曲やヘイトは避けなくてはならない。

移民の問題の批判点をあげているだけなのに、言葉尻をあげつらい、そうは言っていないのに、「貴様はレイシスト」というような意図的な歪曲解釈によるレッテル貼りがある。
あるいは、怒りが湧き、またこの時世のタブー化された言論への不満もあり、「移民は死ねばいいのに」というような笑えない言葉を発しながら拡大解釈をして便乗しようとする者もいる。

これでは、議論にならない上に、問題の解決は遠のくばかりであるから、目的とするところは、移民問題のリアルに目を向け、何を人道的に考え、何を批判し是正するのかという冷静な議論である。

また、私の発信は、趣旨とするところが、日本人が正しい国際情勢を知りながら日本を考えるためであるから、この拙い文章をお読みくださった日本人のいくつかの反応が予想される。

蓋し日本人にとってフランスとは、思想上の交差点である。

主に三つの類型の日本人にとって、それぞれがそれぞれにフランスに対する眼差しを持つ。

1.フランスのことを何も知らず、憧れだけを抱きたい人

彼らにとって、脳内の素敵なパリの夢想は神聖不可侵である。よって、黄色いベスト運動にせよ、テロにせよ、パリやパリ近郊に移民のキャンプがあるなどというような、パリの現実の情報は不要で、「そんな訳ない」「それでもパリはあのパリ、おフランスはおフランス」と現実の直視を避けることがある。

2.日本に馴染めずフランスで居場所を見出した人・フランスに思想上の理想郷でいてもらわなくては困る人

彼らにとっては、フランスは日本よりはるかにマシな国で、あるいは理念上の理想郷であったりする。
また、ルサンチマンがあるような人、自己を弱者やマイノリティとして知覚する人は、マイノリティの仲間とみなす人々への批判に対して、「レイシスト」「ファシスト」「ナチス」などというお決まりのレッテル貼りで、援護射撃なり防衛の弾幕を張って、全否定してかかってくることがある。
あるいは、自分たちの論調を善とみなし、これを疑義する者に対して人の心を持たぬ悪であると誹謗することもある。

3.日本が好きで好きでたまらない人

私たちにとっては、どうしても、フランスの現実を直視すればするほど、「日本にはこうなってほしくない」という思いが強い。
すると、フランスの文化伝統や治安を毀損している張本人としての移民たちの存立を、彼らが移民せざるを得ない背景や、我々には分かりようのないほどの彼らの苦悶に想いを馳せることもなく、全否定する傾向を帯びかねない。

私は、フランスの移民の多くを占める黒人やアラブ人や華僑の全員が、フランスを尊重しない悪い人ということではないから、彼らの人格をケースバイケースで見る努力をしている。例えば、私のアラブ人やジプシーの友達にせよ良い人間であるし、アラブ人や黒人の生徒にせよ白人に比べ数は極めて少ないが、上級学年に行けば行くほど自己陶冶のなされた素晴らしい人ばかりで、私も人として好意を抱いている。
このように、人格は人それぞれであるから、これは人種により規定されるわけではなく、優生思想的な観念に基づく、人種民族の全否定はできない。

この前提を確認した上で、まずは不法移民問題について見ていきたい。

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