パリ VS フォンテーヌブロー (1) 〜ナイトライフかQOLか、無い物ねだりおじさんが語る〜

住居の我慢の方法は、一人暮らしの場合、途方もなく小さい屋根裏に住むか、少しは広いが、最上階のアトリエでトイレは共同、というような部屋に住む。

あるいは危険な地区なら、ある程度広くても家賃はもちろん下がる。

それでも最低5万はする。

パリ市内の住居は飽和状態であるから、地価は下がらない。

私がしたように、東京のワンルームのような部屋で人間らしい一人暮らしをしようと思えば、15万前後は絶対に飛ぶ。物価を考えると、出費はプラス10万である。

極小住宅が嫌な人はルームシェアをしている。それでも借りられる家はたかが知れているから、友人と二段ベッドの人もいる。長いカップルはだいたい同棲する。

でも僕はどうしても、ルームシェアができない。したくない。

僕は、割りかし掃除や片付けという意味において潔癖である。

そして、日出ずる国あらため、地震と津波の国から来た男としても、フランスの肥沃な大地に津波を伴う大地震を巻き起こす有事に備え、絶対にプライバシーは確保したい。

ルームシェアにはそれができない…

それなりに部屋は綺麗に使いたいし、モテないながらも、いや、モテないからこそ、礼節をもってして、しっかりと女性をおもてなしできるだけの家にしておきたい、という下心マックスの詭弁がある。

日本はいい。東京などで、親元に暮らしていようとルームシェアをしていようと、ラブホテルもあればそこまで高くなく綺麗なシティホテルもある。あとは、オンボロアパートでもない限り、建築物の防音もフランスよりはるかにいいし…

つくづく日本は、都市部で気兼ねなく、そして人間らしく、単身者もルームシェア派も暮らしやすい良き文化だなと思う。田舎の村とかはどうかわからないが…

そしてまた、自分の好きな時に、窓を開けてタバコを吸い、コーヒーを飲み、トイレもシャワーも気兼ねなく使い、音楽を聴き、料理をしという、自由が欲しい。

これをロングスパンで考えると、誰かと暮らすということは、自分が完全屈服し奴隷と化すだけの魔女、あるいは、精神、価値観や阿吽の呼吸を共有する、本当にフィットする女性と一緒になれた時にしか無理であろう。

そろそろ、隠居して専業主夫になろうかなという妄想もあるから、そのパターンも有りや。

事実こちらでは、ルームシェアをすると友情が壊れるなどという。

極小物件で常に顔を付き合わせたり、大きな物件で数人で住むと、この小共同体の中では各人の粗が見え過ぎ、円滑に人間関係が回らなくなり、結果友達でいられなくなる。これは想像に難くない。

しかし、僕はパリで折角一人暮らしができていたのに、それに嫌気がさしてしまった。

これには種々の理由がある。

1.パリで法外に高い値段を払いながら、とはいえたかだか30平米という手狭な家に、嫌気を感じ始めた。

地方の方が安くていい物件があるということは、もちろん知っていたので、年齢のせいかそういう家に住みたくなってきた。

2.パリの人口密度に疲れた。

東京も密度は高いのだが、東京は高層ビルのために、地下鉄・電車や都心の通りを除けば、人が高低差を利用してその中にある程度分散している。下手をすれば、地下街から地上何十階まで。

パリは街も平たく構造物も小さく歩道も狭いのに、人がたくさんいるから東京以上に圧迫感を感じることが多い。

3.パリの人に疲れた。

パリの人はイライラせかせかしていて、つっけんどんで、礼儀知らず。店員などに笑顔があったら、ほっこりしちゃうぐらい珍しいことである。

フォンテーヌブローの人たちも、普通のフランス人達も、みんなこれに関して不平を言うが、僕も全く同感で、パリの人は冷たいし、気怠いし、雰囲気が悪いのである。

街で見知らぬ人通しが微笑みあったり、カフェで気さくに話しかけあうのも、みんな周りの全てに警戒しているから、皆無に等しい。話しかけることはダイレクト過ぎるナンパのように野暮なことか、怪しいこと以外の何物でもないかのように、みんな警戒している。

そうせざるを得ない。パリでタバコを吸っていればすぐにねだられるし、乞食に執拗に金をせびられたり、危ない人間に近寄られたりすることはざらなのだから。

こうして、無機質なパリの人と生活に疲れ、人間らしさが恋しくなった。

しかし、僕の場合は、ジャズをやるから、ジャズバーで馴染みになり、カウンターでの小噺やセッションで、仲間も自然と増えていったから、この点は良かった。

とはいえ、パリにはおしゃれなバーやカフェが多いとは言え、日本人もフランス人も含め大方人間というのは、カップルか友人を基本に動くから、僕のように常に人と群れていたいタイプでもないし、シングルの時にはなお一層一人でうろうろしたいタイプには、パリの人の冷たさというのは、新たな交友や見聞をこれ以上もたらさないと感じた。

マスターまでは、入れ替わり立ち替わり学生同士の友達も増え、そこから交友が広がっていく。学生というのは同じ学校に通い毎日のように顔を付き合わせ、安心のお付き合いができるから、すぐに友達になれるのである。

しかし、博士課程以上になると、そういうこともなくなり、友人にしろ女にしろ新たな出会いがからっきしなくなっていく。論文を書く時間の、そのひと時の熱意を除けば、はっきり言って博士課程は究極に退屈なものである。

こうして、博士課程生活を基調としたルーティーンとパリの生活から逃れ、ハートフルな別世界が恋しくなった。

「パリに住んでたってジャズがあるではないか」と言われるかもしれないが、パリのジャズは狭い世界だから、どこのジャズバーに行っても、セッションでは同じ人ばっかりに会うようになるし、みんな知り合いになってしまい、あまのじゃくな僕は飽き始めてしまった。

パリでのジャズは当面やれるなら、お世話になるピアニストとのDuoに絞り、鍛えて頂こうかなと思っているが、それ以外は足が遠のく。

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