フランス人の礼儀 〜わたしと・犬のアレと・生徒と。みんな違ってみんなイイ?〜

残念ながら、教壇においては、フランス人の礼儀に関して、僕の所為ではどうすることもできないことの数々に諦めを感じることが多い。

僕とて出来た人間ではない、むしろ真逆。
そして、反骨心もあるから、とりわけ若かった学習院の学部時代には、独りよがりな授業や、政治思想の押し付けなど、教師の人柄が嫌いであると、要領良くあることを心がけ、極力サボった。

たとえば、一般教養の授業で、あまりに独善的な教員がいて、僕はこれが嫌いだったから、2回ぐらいしか授業に出ていないのに、こいつはこっち系の思想の話好きそうだなと思って、議論を吹っかけたら嫌に感動されて、満点近くくれたが、バカだなと思ったものである。

また、退屈にすぎると、途中でおとなしく抜け出して、タバコを吸いにいったりする。こういうことはした。

話しているのに、人を退屈させるというのも一種の才能で、ろくでもない研究者に限ってこういうのが多いし、逆に知的好奇心を刺激してくれたり、本心から誠心誠意語ってくれるような、面白い先生の授業は評判もいいし、みんな寝ないのである。

よって、生徒を退屈させないとか寝かさないとかそういう次元における話は、教員の人柄や技量によるところが大きい。

とはいえ、日本でも誰も名を知らないような最底辺の大学では、教員の熱意や技量では如何にもしがたい学級崩壊的なこともあるのかもしれない。

この21世紀のフランスでは、一応世界でも知られている「国立パリ大学」において、教員の技量云々で何とかなるのではなく、明らかに家庭教育の失敗の結果であり、大学教員の仕事ではないことが平気で起こる。

さて、僕は、大学時分は、慶應ボーイになって、陸の王者として、若き血に燃え、女性をぶいぶい言わせている筈だったが、慶應の政治に落っこって失敗し、日本史は別の意図があってやりたかったので、学習院の史学科に進んだ。
これも運命。

学習院とて、初等科・中等科あたりから行っている訳ではないから、エセ学習院感は拭えない。

こういう僕が入っていることが何よりの証拠で、国立パリ大学は本当にバカでも入れる。
東大でも早慶でもない学習院よりパリ大の方が入りやすい。

フランス人は、高校以上の教育課程に進みたければ、高校の終わりに、バカロレアという大検のような資格を取らなくてはいけない。しかし、今やこれは、国立大学に入学するレベルにおいては、意味を為していない。

ベテランフランス人教師たちに聞けば、昔は、バカロレアの成績次第によっては国立大学とて足きりがあったそうだ。

不興を承知で、オヤジになる三十路目前に、その練習として、オヤジギャグをやらせて頂きます。
「バカでも取れるバカロレア」…

ということで、フランス国立大学の人間の頭が良いと勘違いしないように、何卒覚えておいてください。

そして今なお、足きりにあうのは、政治家や上流の学者を輩出するような、師範学校とか政治学院などの、超か上中以上のエリート校ぐらいではないか。

今やフランス国立大学は、文部省からどんどん生徒を受け入れろと命令されるような国立大学全入の時代である。こっちでは入ってくる生徒を選べない。
こうして有象無象が、大学一年生に入ってくる。

出来ない人間は徐々にドロップアウトして行くが、とはいえ学内において教壇から生徒を眺めると、社会全体における礼節の低下を感じざるを得ない。

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