黄色いベスト運動(2)~EUのほころびの中で~

1.マクロンの失政

フランス社会の大きな問題として、エリート権威主義がある。
マクロンのようなエリートたちは、自分が権威であると思っているから、市井の人たちの言うことに全く聞く耳を持たないし、分析する能力もない。エリートは彼らの階層内のみで交わり、お勉強しかしてこないから、たとえそれが民衆の立場を標榜する左派エリート政治家であったとしても、全く社会を知らない。

研究者でもそうだが、政治家も、「私は労働者の味方です」とか「庶民庶民・民衆民衆」という人に限って、庶民感覚がない。そもそも、労働者でもない。一度もツルハシを握ったことのない人間が、わかったように労働者を代弁していることがシュールである。

マクロンはもともと左派なのに、彼が大好きなはずの民衆に噛み付かれたということで、笑ってしまう。この庶民感覚が著しく欠如した大統領は、このたび、なんとか国家をリフォームして、財政再建をしようとしたが、全てにおいて失敗した。マクロンは、いろいろなところで「環境のための燃料税」とか、大義を掲げながら各種税収を数パーセント増やすことを試みた。

私のような外国人学生からの学費を、今の年間数万円から、数十万円まで上げようともした。これは、僕も大学の予算の窮乏を知っているから、仕方ないとは思っていたが、このマクロンの思惑も黄色いベスト運動で頓挫した。ちなみに、「同じ」大学生・大学院生なのに、「違う」授業料をとる、ということは、フランスの「平等」を掲げる国体に合致しないので、これに対する反対闘争が起こった。

僕は、「チャンスの平等」は大切に思うが、共産主義的な「富の平等」の理念は、極めて危険であると思っている。また、慎ましく、社会を尊重して生きる人と、犯罪ばかりするようなそうではない人を平等に扱ってはならないと思っている。

そもそも、猿山にボスザルがあり、蜂の社会には女王蜂が君臨し、ガキの集いにはガキ大将がいるように、指揮権を持つ権力者が、動物や人間の世界の全てに必ず生まれるので、身分・立場や富の平等は起こりえない。完全なチャンスの平等も、これもまた、無理だが、しかし、チャンスの平等格差は常に減らすよう権力は尽力すべきである。

この点、外人であるところの僕が、フランスで学業をするにあたり、フランス人よりも数倍の授業料を払うとなれば、日本人にとっての30万円が、アフリカ人にとっての30万円とは大きく価値が違うように、外人学生がフランスで学びたいとする、「チャンスの平等」を一層阻害することは否めない。

しかし、外人というのは、その国の国民よりも劣等に扱われることは当然であるし、受け入れてくれている国を尊重しなくてはならないから、僕はマクロンが授業料をあげると言った時、それでも日本より授業料が低いから、表向き反対せずとも、困ったものだなと感じた。

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