黄色いベスト運動(3) ~ナショナリズムの回帰を感じながら~

外国に住む日本人という引いた立場にあるリアリストとして、眼前にある諸々の差別や格差や暴力・貧困というものと隣り合わせに生きていくと、偽善や欺瞞に満ちたスローガンをして人々を統合するふりをし、放置せざるを得ないことへの愚かさを感じる。

表面的には「差別はいけない」と言うだけ言って、では本当の社会構造はどうかといえば、掃除夫やどぶさらいはみんな黒人とアラブ人であるという構造は決して変わらない。白人が絶対につかない仕事がある。移民とそうでない人間と間には収入の格差がある。失業者も圧倒的に移民に多い。入社試験で、差別をしないために写真は不要とかいいながら、モハメッドなどアラブ名の人間や、ママドゥみたいな黒人の名前の人間は弾かれる。

こう言う欺瞞の構造が平等の裏に通底する。
他方、特に苛烈に差別される黒人やアラブ人は、集住し、そこで憤怒に震えながら、することもないままに何世代にわたり生きていく。

フランスの差別性や移民との軋轢を批判するだけではなく、日本も振り返るべきことがある。

我が国の国民性をして、残念ながら元日本人の帰国をしても、受け入れる土壌を有さない。
儚いけれど、そういう国なのだ。ブラジルの日系移民がブラジルから労働力としてカムバックしてきても、彼らは日本人には戻れず、彼らの共同体にならざるを得ず、日本人もこれを日本の同胞として受け入れる暖かさに欠ける。
中国残留孤児は大人になって本当の祖国日本へ帰ってきても、残念ながら日本社会へ馴染めず、彼らの中からは、その落胆を恨みに変え、怒羅権などというギャングも生まれた。

同じ民族同士であっても、融和が絶望的なまでに難しいという移民は、人間の混合や共存の不可能性を秘めた悲しいものである。

恋愛や友情というものは確実に人種や国籍を超える。フェイストゥーフェイスで、膝を付き合わせれば、人間の感性をして分かり合える。
しかし、移民植民という集団レベルになると、そうはならないのが辛いところである。

日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人の五族協和をうたった夢の満州国も、果たしてそのスローガンの中に、五族は共和していたであろうか?

ユダヤ人が、太古の昔に世界に散らばったら、現地の人々に決して同化しなかったことから考えても、移民の国アメリカに、人種問題がなくならないのを見ても、移民がユートピア思想をもってしても、どうしようもできないことは、歴史をして明白である。

しかし、先ほど、天皇陛下の御在位中最後となる、天長節の御綸言を拝聴するにあたり、まことを以てして、己の不寛容さに深く恥じ入る次第。
陛下は、四方へ散り、日系人となった日本人移民をも赤子として想いを馳せられ、同様に、日本へ来る外国人を社会に暖かく迎え受け入れるよう、確かに発せられた。
絶えず、世界平和を御祈念遊ばされ、国民はもとより、世界の人々の安寧を第一に御考えの陛下の御叡慮に触れるにあたり、これに背くことは、僕にはどうしてもできない。

フランスで移民との対立や差別を常日頃見聞きして感じて生きていると、どうしても、その不可能性にばかり目がいく。はっきりいって、絶望の思いしか生まれない。
同じ人間なのに、どうしてこうなるのかという絶望である。
決して人々が交わらないこの絶望感は移民社会に住まないとわかってもらえないと思う。

しかし、日本で暮らしたい、働きたいという人あらば、陛下の御言葉のままに、暖かく迎え入れる姿勢で、僕も帰朝すれば、少しは定期的に外国の人と交流し、疎外しないようにしなくてはならない。

あるいは、いやしくも外国人としてフランスで教鞭を取り、日本に興味を持つフランス人へ接している者としては、日本への理解を暖かく促進するよう、一層励まなくてはならない。

ただし、それとは裏腹に、こうした大御心に背き、日本を侮り、これにつけこみ、日本を尊重せず、害するような外国や人があれば、これは絶対に制する必要があるとも思っている。

陛下の御心を拝戴しながら、日本が移民問題をどうするのか、国際情勢に鑑みて、公論が国民の間に尽くされるべきである。

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