イタリア旅の醍醐味〜イタリア人の懐〜

旅の方法や契機は様々である。

仕事、弾丸旅行、修学旅行、卒業旅行、新婚旅行、傷心旅行。
仕事ならば、遊びの余白は少なくなり、弾丸ならあっちこっちへ巡ろうと欲張り根性が出る。修学旅行なら決まり切った王道のコースになり、卒業旅行なら行き先にも時間の使い方にも個性が出、新婚旅行なら全てが華やぎ、傷心旅行なら傷が影を落とした灰色の旅行になろう。

そして、気分により行き先はとりわけ南北に異なる。
もう10年ぐらい前、大好きだった親戚の好々爺の家を訪ねた時、写真整理の中に、連合艦隊小樽入港記念の絵葉書が出てきた。
「なぜ、こんなものを」と尋ねたら、大学で恋をしたソプラノの女の子に振られて、小樽の銀行に転勤中の親戚を頼って、大学をすっぽかし、傷心旅行へ出かけたからだと笑いながら話してくれた。歌なんか歌う気分にならないし、きっと小樽でたまたま出合った戦艦や旭日旗の力強さに元気を少しばかり取り戻し、絵葉書を買ってしまったのであろう。
昔も今も、やはり傷心の人間は北へ行き、元気な人間は南に行くようである。

さて、僕には避けている旅行があって、それは弾丸旅行である。
交通を急ぎ、時間に追われ、その街を楽しむまでもなく、右へ左へ駆けずり回り、結果自分の旅行地に対する眼差しや楽しみ方を逸することになると考えているからだ。そして、後には疲労しか残らない。

だから、旅行において僕が好きでもあり心がけている言葉は「逗留 とうりゅう」である。
幾ばくかでもゆっくりとその土地にとどまり、街をある程度歩きこなし、その街の食事を食べこなし、土地の文化を味わう。これは、僕が崩したくない旅の思想である。

今回の夏、二週間の旅の逗留先を、イタリアのトリエステに選んだのは、運命の中の理由がある。
イタリア、イタリア人、イタリア文化が好きであること。トリエステなら、ヴェネツィアにも東欧にも出かけられる土地であること。アドリア海を見たことがなかったこと。観光地として人気ではないから、安いし地元感があるに違いないこと。イタリア語に身を沈めて暮らしたかったこと。
そんな感じである。

そして、逗留の醍醐味には、思いがけない人々や、新しき友との出会いがあり、また、行きつけの酒場が増えることがある。
今回は、そんなことが身に沁みるトリエステである。

来て早々、ワインバーで出会ったカップルのダヴィデとフェデリカと、また連絡を取り合って飲みに行った。
トリエステ出身の彼らは日本好きであり、イタリアとコモ湖を挟んで位置するスイスのイタリア語圏ルガーノに暮らしている。今回は、たまたま、この八月中盤の二回の週末のみ、彼女の兄の結婚式のために、二回に分けて帰郷しているだけとのこと。
彼らが次にトリエステに帰るのはクリスマスとのことだから、僕の逗留が一週間前や後ろにずれていても出会えず、あの夜にワインバーで偶然出くわしていなくてはならない、誠にひょんな出会いである。

イタリア人というのは、太陽と海のため、ユーモアに溢れ、開放的で、社交的で、実に寛大な人々である。
だからこそ、すぐに打ち解けることができる。

飲みに行ったら、彼らはトリエステの友達カップルを紹介してくれた。
アンドレアとイサベラである。
僕が30、ダヴィデたちが40、アンドレアたちが50だから、長篠の戦いの鉄砲隊のように、不思議な三段撃ちである。
トリエステは映画産業で有名な街とのことで、アンドレアは映画関係者、イザベラは地元のファッションブティックの経営者。四人とも素敵な洒落者である。

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