熟女カルメン〜カタルーニャ独立と近親婚社会〜

日曜の夜9時、僕はちょっとした酒場難民になった。

トリエステで行きつけにし始めた、地元民で賑わうワインバーや食堂のいくつかが、日曜で閉店していたのである。

そして夜9時には空いている店も店じまいを始める。

そこで、港からも程近い中央の広場の、いかにも観光客目当てのような店でプロセッコでも飲むことにした。

店員は「キッチンは閉まっていて、あと1時間もすれば店じまいだけど、それでも宜しければ。」と言い、僕は承諾してテラスの席に着いた。

トリエステの街は小一時間もあればぐるっと一周できる広さであり、散策後の一杯であるから、さっさと飲み終わって港にでも行こうと思っていた。

いかにも観光客向けの店が出すような、さほど美味しくないプロセッコが運ばれ、一瞬で飲んでしまったので、生ビールの大を頼んだ。
しかし、これもハイネケンで、パリもハイネケン地獄だが、イタリアに来てまでハイネケンは飲みたくないなと思いつつ、仕方なく飲んでいた。

しかし、気っ風の良いイタリア人のことで、付け出しの無料の肴は大盛りであるが、そこの肴は悪くないポテトチップスであった。

すると隣のテーブルに座っていた、鮮やかな黄色いワンピースを着た熟女が、
「あなたポテチで飲んで、イタリアのタパス注文しないの?」と僕に話しかけた。
「アル中みたいにね。でもキッチン、閉まっているみたいで。」と返し、そこから会話が始まった。

南国というのは、太陽と笑顔と溌剌とした人々が織りなす開放感のおかげで、みんな気軽に見知らぬ人とおしゃべりを始める。
僕とこの50代ぐらいと見える熟女はイタリア語で会話していたが、聞くとこの方はスペイン側のカタルーニャの人で、バルセロナから100キロの街に住んでいるという。
そして、「独立派じゃないけどね。」
こう付け加えた。

僕が日本人であることを知った彼女は、「こんにちは。おはよう。さよなら。ありがとう。」と知っている日本語を列挙した後、「あとこの歌知ってるわ。」と言って、「月が出た〜出た〜。」とその節だけを歌った。

「なんでこの歌(炭坑節)を知っているのか」と、僕はすぐに尋ねたが、「なんでだろう。知らない。」とのことである。

確かに炭坑節や黒田節といった筑前の歌は、耳に残るものであるが、カタルーニャ人まで何故かこれを知っているとなると、不思議である。

彼女は建築家であり、まったく僕と同じ2週間の期間をトリエステに逗留するという。
僕が、「どうも一日二日で右から左へ動き回って観光するのが嫌で、僅かでも住みたくて。」と言うと、「私もそうなの。」とのことである。

西洋人と話す楽しみの一つに、僕が外人ということもあるのであろうが、少し込み入った話になることがあり、そういう方向へ自然と話が流れた。

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