孤独とフランス人・孤独と日本人 (下) 孤高とボエームと粋 〜山内マリコ『選んだ孤独はよい孤独』によせて〜

日本政府は、日本文化の発信の仕方を知らず、ソフトパワーとかクールジャパンとか言って、重きを置いて支援するのはアニメ、漫画という、すぐに金になる日本文化のごく一部のみ。オタクのフランス人たちは、べらぼうに高いフィギュアなどに、金を惜しまず使うし、購買収集への熱意が尋常でないから、リアクションと売り上げがわかりやすい。しかし、オタクの数は限られているから、一定以上はいかないということを、そろそろ気づくべきである。

日本には、工芸品や様々なプロダクトや酒食など、本当に素晴らしい文化が山ほどあるが、これらの発信に関しては、金銭的結果がすぐにはでないし、ハードであるため、運搬一つにせよ労力がかかる。それもあり、現在の日本国家は日本文化の粋の数々、発信し守るべき所は支援しない。オタク文化は一定以上広がらないから、そこから新しきジャポニズムが生まれることなどない。日本の美は職人抜きに成立しない。政府がいつまでも変なクールジャパン政策しかやらないなら、日本の職人やクリエイターがますます死んでいく。また、ソフトパワーがそんなに好きなら、日本のAVこそ官民一体で発信すべきで、そうすれば、世界中でアニメ・漫画どころじゃないビッグビジネスになる。

ここは真面目な話、春画が大英博物館で展示された火付け役の、見るからに変態っぽいイギリス人の大御所の先生と、欧州の日本学会でご一緒して、昼食を食べた際、日本の政府は、どんなに春画が芸術として素晴らしいかを説明しても取り合わない、と大層ご立腹されていらした。

結局、情けなくも、いつものようにヨーロッパ人がヨーロッパ発で隠された日本文化の素晴らしさを再発見し、それに呼応したのは、熊本藩主の細川護熙元首相という今は一私人の殿様。
『情熱大陸』で、細川候は、「日本人は警察が動くのではないかとか、春画に対して自主規制をしてきたが、立派な日本文化のひとつなわけで、光を当て直さなくては」という旨のことを仰っている。誠に肥後の殿様のあっぱれなこと。武家はかくあるべし。もしこれが刑法175条、猥褻物の領布や公然の陳列にあたるなどと官がバカを言い出し、細川候らが逮捕されるようなことがあれば、西南戦争以来の政府に対する憂国の反乱を久々に起こさなくてはならない。全ては日本の為、朝敵とは言わせまい。

日本文化が花開いた幕藩時代と、大切な自国の文化を庇護せず、庇護したり発信する知恵にも乏しい、視野狭く無駄に硬直した現代日本の官はかくも違うものである。武士は年貢を上げてくれる民を労り、変な支配をすれば百姓一揆が起こり、百姓側も命はかかるが主張を通しと、幕藩時代の方がよっぽど血が通っている。身分制のそれぞれのサイドに意気地がある。

元来むっつりスケベではない日本にありながら、女王陛下の大英博物館が取り上げたのに、春画を日本の官営博物館で絶対に取り上げない愚かさが示すように、今や歴史でも文化でも性的なものをことさらに官が隠すという隠蔽体質のせいで、僕もちょっとした関係者として困ったなと思うことがある。

私の家には新たに見つかったものも含め、主に江戸時代のもので1500点ぐらいの手紙、書籍などがあり、「世川家文書」とかいうお堅いタイトルでとある博物館に収められている。その中には、先祖たちが送りあった手紙などが残るが、性的なものも多分に含まれている。プライベートライフでは酒色を好み、酒とエロまみれの我が家。バツ5の旦那に嫁いできた江戸後期のひいひいひいおばあちゃんの若い時の手紙なんかを読むと、絶対この人LINEやってたら、エロいこと送ってくれそうだな、と香るものが多い。末裔どもとしては、現代もこの家の男たちがもれなく酒色を好むのは、血のせいなのだと諦めの観念が生まれる。

平安の後朝の文然り、現代のLINE然り、昔も今も、若くて熱い時分のカップルは、耽美でエロティックな文面を送ったりするもので、ただ違いは、媒体が変わり、今はオンラインの時代だから不本意に流出するという危険性があるぐらいのもの。私の先祖の場合は、幸か不幸か手紙を家が大切に何百年も残したがために、あとあとエロい部分が閲覧されるという、時空を超えた不本意かもしれない。

しかし、そのおかげで、絶対女が処女でなくてはならないというカトリック社会の規範を日本人に押し付けた明治以降の自主規制大国の日本とは違い、当時の人の性観念なども今とは異なりオープンであったり、処女を失っていても構わないから男女ともに離婚再婚も多いし、いろいろわかることがある。本人は子供をちゃんと作ったので多分バイセクシャルなのだろうが、明らかにホモセクシャル的ポジションにいた先祖もいる。そうすると、先祖と末裔である自分自身を否定することになるから、ホモセクシャルの人を差別できなくなるし、色眼鏡でみるとかそういう視点もなくなる。僕は残念至極にもバイセクシャルではなく、がっかりしているが、なぜかゲイの人からモテるのは、そういう遺伝子のせいだと勝手に納得できる。

こういうことこそ息苦しい現代の日本社会を変えていくためのエッセンスの一つとして、また、元来の日本人の姿や伝統や文化を考える上でも、取り上げなくてはならないのに、官が発行する自治体の歴史などは、性的なものには絶対触れない。うちの文書を刊行物に取り上げてくださるのは極めて有難いし、社会に有益とあらば、文書が残された家の一員として冥利に尽きるけれども、そろそろ現代だからこそ考えたい点を自主規制しないでどんどん利用していただくという、次の日本史のステップに行っていただきたい。また、先祖に怒られるかもしれないが、僕はそういうものを使いながら自主規制なくやりたい放題歴史を研究しようと思う。

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