孤独とフランス人・孤独と日本人 (下) 孤高とボエームと粋 〜山内マリコ『選んだ孤独はよい孤独』によせて〜

さて、下ネタを公然と言うことを憚り、しかしむっつりスケベのフランス人たちの中にあって、元来性に開かれた日本人でもあり、先祖代々のエロの血筋が入ってしまっている僕は、割合シラフから何に関しても冗談をしたり、下ネタで笑ったり、あるいは真面目に下ネタを哲学論議したいたちだから、フランス語でもそれは変わらないが、これは大体通用する。いくら司祭に罪だなんだと言われようが、性的不全を除けば、唯物的に下ネタに無関心である人間なんて白人とているわけがない。罪を作れ、破戒せよ。日曜には告解すれば赦してもらえるのだから。
例えば、フランスの研究職が少ないから、博士号とったらどうするのと言われて、しくじったらポルノスターになりますとか真顔で平然とかませばよい。『13歳のハローワーク』でも、ちゃんと村上龍がエロスな職業を自主規制せず説明してくれているし、僕の血筋にはあっているかもしれない。

下ネタは際どいけれども、節度を持てば、世界人類共通の楽しいものだから、品位を下げず人を傷つけず、さらっとやれるように、訓練を重ねたい。桑田佳祐とか高田純次ならありで、貧困問題調査のためと嘘丸出しで出会い系バーに行く前川元事務次官や幼稚極まりない下ネタを言う福田元事務次官は論外。下ネタやエロい行動で人を不快にさせたり、気持ち悪い存在になったら、それこそ恥辱であり、自裁止む無し。
日本であれ、フランスであれむっつりスケベは健康に悪いし、気持ち悪いから、そういうのをやめて、フランス人も下ネタで笑ってれば、孤独からひと時逃れ、うつ病にならないはずだ。というすヽめ。

九鬼周造は言う、「一切の肉を独断的に呪った基督教の影響の下に生立った西洋文化にあっては、尋常の交渉以外の性的関係は、早くも唯物主義と手を携えて地獄に落ちたのである。」と。

今は信者は大変に少ないとはいえ、カトリックの影響を受けて成熟したフランスにおいては、性的な物事やホモセクシャル、これはまだまだタブーである。タブーがきつく異端視される故に性的少数者は団結し、レインボーフラッグを掲げ熱烈な解放運動をする。そして、社会は根底で彼らに差別を加えながら、偽善で応援しているフリをする。また、子作りを除き、性はそれ自体キリスト教においてタブーであるから下ネタもやらない。むっつりスケベこそ、彼らにとっては、歴史とともに刷り込まれたある意味「正統」な性への向き合い方なのかも知れない。

九鬼の『いきの構造』の最後の一節。「我々の理想主義的非現実的文化に対して熱烈なるエロスをもち続けるよりほかはない。「いき」は武士道の理想主義と仏教の非現実性とに対して不離の内的関係に立っている。運命によって「諦め」を得た「媚態」が「意気地」の自由に生きるのが「いき」である。人間の運命に対して曇らざる眼をもち、魂の自由に向って悩ましい憧憬を懐く民族ならずしては媚態をして「いき」の様態を取らしむることはできない。「いき」の核心的意味は、その構造がわが民族存在の自己開示として把握されたときに、十全なる会得と理解とを得たのである。」

イエス様は、処女のマリア様より御生れ給ひし。しかし、古事記日本書紀を読めば、そこには神世の時代よりすでに性に開かれた日本人の感性が描かれている。日本人がエロスの粋な実践をもとの西洋人のように自主規制してどうするのか。諦めて媚態に意気地に自由に、いきでありたい。

下ネタはここら辺でやめるが、フランス人、特にパリ人の独特の性質を皮肉った「パリジェンヌになるための10の方法」という動画がある。これは特徴を捉えていて、的を得ている。

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