孤独とフランス人・孤独と日本人 (下) 孤高とボエームと粋 〜山内マリコ『選んだ孤独はよい孤独』によせて〜

これらの著作は文庫本などで今なお簡単に読めるし、極めてためになり、読めば時代が違うのにシンパシーさえ感じる。そして、今にこそ読み直したい。僕は著者吉野源三郎と必ずしも思想を共にしないが、『君たちはどう生きるか』がリバイバルして近年流行ったように、昔の本で、今にまたタイムリーになるべきものは、このようにまだまだたくさんある。これが流行ったのは、「今どう生きるべきか」と、平成後半の日本人の多くが自問自答しているからに他ならない。

また、昔の人を思うと、どうしても、年老いたイメージになるが、これらすべての名作が書かれた時の、著者の年齢は、近衞文麿・永井荷風の20代、九鬼周造・吉野源三郎の30代と、その若さに驚かされる。自分には到底この先達の一流の知性や文章力には追いつけないが、老人の説教ではなく、社会に物を言ったのが、若い人であったということにも、若者の一人として意気に感じる。

政治的な表現とかは一切ない物語集であるが、現代に書かれたものとして、これまた若い山内マリコさんの37歳における一ヶ月前刊行の著作『選んだ孤独はよい孤独』も、吉野38歳の著作『君たちはどう生きるか』の現代版そのものであると僕は感じている。

ただ、違うのは、近衞・永井・九鬼・吉野と明らかに男性ホルモンの強い上品のタフガイに対して、山内マリコが女であるということ。日本文学の最高傑作は世界的評価でも源氏物語であるが、あんなにも雅で柔らかい読み物なのは女のなせる技であり、男の文体は、やはりどうしても硬く、読むのが難しい。吉野のリバイバルでさえ、漫画になって平易にしてのリバイバルである。これらの男たちの原文を中学生は読めないし、知性の訓練を積まなかった大人も理解できない。そういう意味において、女の柔らかな文章は、受け取り手の幅を広げ、極めて社会に対する浸透率が高くなる。

僕は、色々な人間がエッセイや論文など様々な形で見聞録を残すことが、後々非常に有益になるということを、これらの著作のおかげで学ばせていただいた。そして、山内さんのこの著作だって、100年後には、「平成の停滞した社会で日本人はいかに思考し存在したのか」という研究対象の一部として使われるに違いない。
故に、自分も一応21世紀初頭のフランスに長く住んで思う節があるのだから、憂国の思いで、まがりなりにも何かを書き残しておきたいと思う。歴史家の端くれを自認するなら、現在と後世のために、自分の足で歩いて、自分の目で見て、感じ取った今を書かねばならない。もちろん発信することで、意図せずとも敵は作ってしまうであろうし、無価値で無意味と罵られることもあるだろうが。

さて、今回は、フランスに滞在した孤高の日本人、永井荷風と九鬼周造、両先生に敬意を込めてクローズアップしながら、どのように彼らが、一匹狼としてフランスに暮らしていたか、なぞらえてみたい。

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