孤独とフランス人・孤独と日本人 (下) 孤高とボエームと粋 〜山内マリコ『選んだ孤独はよい孤独』によせて〜

それは、ポピュラー音楽にも言える。
C’est Si Bonとか、Sous Le Ciel De Parisのように、珍しく陽気で軽快なシャンソンもあるが、原則シャンソンは、根暗。
これがアメリカでアメリカ版に焼き直されてスタンダードナンバーになると趣が変わる。
映画、パリのアメリカ人やララランドを見れば、アメリカ人がいかに闇雲にフランスに憧れているかが分かるが、いつも彼らにとってのパリは晴れている。おかしくて仕方がない。メリケンは能天気。

さて、I Wish You Love の元ネタは Que Reste-T-Il De Nos Amours、My wayはComme d’Habitude、Autumn LeavesはLes Feuilles Mortes、If You Go AwayはNe Me Quitte Pas。
能天気なアメリカ人がシャンソンをいじくってアメリカ版にすると、歌詞が少し明るくなったり、メランコリックさが彼方へと消えて、シナトラが歌えば、より寂しくなくなる。良くも悪くも雰囲気がアメリカナイズされる。これらのフランス語の原曲は、必ず恋人たちの別れをメランコリックに歌う。秋冬春と続く、灰色のフランスだから、こんなに悲観的でしみったれのシャンソンが生み出されたのだ。
第一次大戦の戦時歌謡でさえ、O Surdato ‘Nnammuratoのように明るいイタリアとは真逆。イタリアはCarusoのように感傷的な歌でさえ、未来志向。フランスはどんな歌でも実生活でもみんな恋人と別れることになっているし、過去ばかり見る、孤独な国なのだ。だから歴史学が栄えるのだ。

永井荷風は、フランスを孤高にさすらう。フランスは広し、南に下れば、全くの別世界。
「大空の青さ、日光の美しさ、何という事なく、自分は全くの南フランスへ来た。愉快な、物騒がしい南フランスへ来た心持が一層強くなった。」
これは、全くの事実。明治40年も、平成30年も、何一つ南仏が日本人に与える喜びは変わらない。南仏でブイヤベースを食い、太陽を燦々と浴びた芳醇なワインを片手に美しき女をば眺る。南仏と日本人の親和性は高し。太陽を浴びた食材、港に上がる魚介類は美味。美女も、笑顔も多い。神経症、鬱病患者は明らかに少なし。

永井荷風は、パリに戻る。
PucciniのオペラLa Bohèmeを荷風先生は愛した。自分も、一番好きなオペラをあげるなら、La Bohèmeに尽きる。一匹狼気質の人間は、この悲劇でこそあれ、決してペシミスティックでないこのオペラを好きになるに違いない。中身は日本人ならほとんど聞いたことのある歌ばかり。La Bohèmeのボヘミアンの登場人物たちは、書生や、音楽家、画家、詩人たち。確かに設定はパリらしくなっている。でもイタリア語ですから。
これは、Pucciniというイタリア人が、もとの戯曲はあれど、台本から注文した作品だから、あんなにもどこか根明で、日本人にあうのである。また、初演は、熱血の指揮者トスカニーニ。パリが題材なのに、何もかもイタリア風だからいいのだ。
フランス語で歌うということは、母音を高らかに発音する言語でないので、そもそも、華やかにならない。パリのことでさえ、イタリア語で歌えば、明瞭な母音のイタリア語のおかげで、華やかになってしまう。もし、La Bohèmeを南部以外のフランス人が作ったら超根暗になったに決まっている。僕がフランス人になりきって完全に作り変えるなら、まずは全部フランス語にしなくてはならない。そして、全部音楽を短調に変えて、お針子ミミの結核がみんなに感染して、全員かつての恋人を思いながら死ぬという設定にする。

ボヘミアン荷風にとっての、憧れの街区は、カルチェラタン。ラボエームの追憶を探しに、カルチェラタンをぶらつきワインを飲む。
とりとめもなく、酒とともに、パリをぶらつき人々と会話し、女を眺める。
永井荷風は、パリでも浅草でも、孤高のボヘミアン永井荷風であった。
永井荷風はモテたらしいが、パリは異邦人でさえこういう人間を受け入れるし、勝手気ままなボヘミアンが住むには最適な街なのである。

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