あゝフランス語 〜愛と無情の壁〜

フランス語は極めて難解な言語である。

外国人を見ていても、日本語はある程度のレベルまでなら、話すことは簡単かもしれない。
一方、語彙が極めて多く、漢字カタカナひらがなを併用する日本語の読解や筆記は高度になればなるほど外国人を苦しめる。
そのため、社会学を始めとする外国の日本研究者が新書ばかりを好むことからもわかるように、難読な専門書を完璧に理解することは難しい。

他方、フランス語は話すことと書くことが極めて難しい。
読むのはアルファベット言語だから、構造が明快に決まっているし、筆者の文体の癖はあるにせよ、すぐに辞書を引けるからなんとかなる。

僕はもともとが日本研究者であるから、フランス語は2012年の秋にフランスに来てから何もかもわからない状態でスタートさせた。日本での準備はほとんど実践には役立たなかった。

必要に迫られたことと気合いで中級レベルにまで来たという感じである。

ある国に住むからには、下手でもいいから現地の言葉を話せなくてはならない。というのは僕の持論である。
世界の大都市では、駐在員がそうするように、現地の言葉を話さずとも、なんとか英語で生きていくことはできる。
しかし、現地社会に潜って見聞を深め、現地民の輪に入っていくためには、現地の言葉が話せなくては不可能である。現地の言葉が話せなくては、そこの人々の考え方や暮らしむきを掘り下げて理解することはできない。また、街角でも、バーや電車でも、現地の人と話したり、彼らの会話を盗み聞くことで世情がわかる。

青森弁が染み付いたダニエル・カールの態度こそが、外国人が異国に住む際の至上であると言える。ズーズー弁なんてこの外人には分からないだろうと思っていたら全部理解されているとなれば、ダニエル・カールは最高の青森方面の対日諜報員になれる。

ただ、こうした態度を心得ているとは言え、僕の場合フランス語が超上級になったと感じることもなければ、その域に達することはないと思われる。
通常の会話ができて読解がそれなりにできればいいやという気分にしかならない。

フランス人は日本人に極めて優しい。そして、それをして僕にも優しい。
親友と呼べる友もできた。そして、新たに住み始めたここフォンテーヌブローにおいても、行きつけのバーを介して交友は広がりを見せ、新たな友の家に招かれもすれば、のどかな休日を地元の人々と過ごすこともある。

しかし、自分の天性の天邪鬼をして、フランス語を話すことにいささかの喜びをも感じなければ、上達して世界一フランス語の上手い日本人になってやろうなどという大それた野心を燃やすこともない。

ある文化や異国に対する愛が究極的にあるや否や。

これこそが、語学の究極の上達の有無を決定づける。

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