乞食のクリストフ〜日仏乞食論〜

「クリストフを知らずんばベリフォンタン(フォンテーヌブロー人)にあらず。」
こうフォンテーヌブローでは言われている。

フォンテーヌブローやベルサイユは、パリ首都圏イル=ドゥ=フランスでは特殊な街で、世界遺産の王宮を有し、雰囲気としては鎌倉や軽井沢のような贅沢な田園都市である。そして、首都圏では例外的に貴族やブルジョワが多く住む白人の街であり、したがってカトリック率が高く、保守的であり、そこに住んでいることは、現代フランスにおいて特殊な人たちであるという見方をされる。また、左派の人達からすれば、カト(カトリック教徒に対する嫌味な言い方)で保守的で頭が固い気取ったブルジョワのというありったけの形容をして、嫌われてもいる。あるいは移民や下層民たちからすれば、恨みや逆差別的嘲笑の対象でもある。

この街にもインテリ白人左翼のような者もいないわけではないが、そうは言っても、白人としか関わらなかったり、「社会の下層民に保護を」などと口ではいうけれども、言うだけで何もしないといった、インテリブルジョワ左翼にありがちな、言動の不一致が見られることは常である。

こんな街に唯一の乞食であるクリストフがいる。

クリストフはいつも酩酊している。そして、毎夜200メートル四方ぐらいの小さな小さな街の中央の横丁を徘徊しては、煙草をねだり、食い物をねだり、酒をねだり、金をねだり、時に大声を出してシャドーボクシングのような動きをして人の注意を引く。

クリストフは170センチぐらいの中肉中背の男で、白髪のパーマの肩までかかる髪をなびかせ、暑い夏でも革ジャンを羽織っている。

僕は彼を70歳ぐらいではないかと見立てたが、行きつけのバーのマスターが50代じゃないかと言い始め僕らで彼と会話して確認をとったら、64、5歳であった。
噂によれば、彼はもう随分フォンテーヌブローで乞食をしており、息子がいるらしく、一度息子が引き取ったそうだが、また舞い戻ってきてしまったという。

こうなると、彼の選択だから、彼の意のままにこの街の乞食でいてもらうしかない。

さて、フランス語で乞食はmendiant(マンディアン)と言い、通常はホームレス・浮浪者をさして、clochard(クロシャール)・SDF(エスデーエフ)などという言い方をする。
しかし、日本では乞食などという言葉は死語になった。
これは、言葉狩りの影響もあるのかもしれないが、乞食が実際にいなくなったということにも起因すると思われる。
つまり、フランスでは物品をねだり歩く物乞いが今もどこに行っても存在する一方、日本にはいなくなったということである。

歴史的には日本にも乞食というものはついこの間まで存在した。歴史用語でmendiantと訳されるのが非人であるように、江戸時代には野非人、あるいは無宿者などという乞食の人々がいて、彼らは浅草寺などの門前や繁華街にたむろしたりして、金をせびって暮らした。
また、江戸時代に物品をねだる人が多いことは、「ねだりがましき儀」などという文言が幕府や諸藩のお触れによく出てくることからもわかる。だいたい二パターンあって、一つは乞食のものと、もう一つは、渡り中間のような、大名や公家の短期間の末端の奉公人が、お役得を要求し、宿場町などで誰々の家来であると主君の威を借りて、主君の与り知らぬところで、草履や駄賃、無銭飲食を強要することがあった。

では、平成あたりはどうかといえば、これらを乞食の一種とするかは際どいが、自分の記憶では、子供の頃、京成線横の上野公園の階段で、傷痍軍人が白衣を着てアコーディオンを奏でお恵みを求めていた記憶がある。また、有楽町のガード下にはまだ靴磨きがいた。
しかし、もうそういうお金を乞う存在は、今の東京ではいないと思われるし、乞食はホームレスにとって代わられ、彼らは空き缶拾いや廃棄処分のコンビニ弁当で十分に自活していると思われる。

そして、日本にも格差の問題はあるが、社会から転落した人もネットカフェ難民など、一応建物の中に収まれている。
僕は日本での生活で純然たる乞食に遭遇して、道で煙草や金や物をせびられたことは一度としてない。

すなわち乞食が消滅中の文化が現代日本である。

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