ナポレオンはイタリア人なのかフランス人なのか論争

イタリアにもフランスにも、ナポレオンは果たしてイタリア人なのかフランス人なのかという論争がある。

ナポレオンはコルシカの生まれであるが、ナポレオンが1769年の8月15日に生まれるちょうど1年3ヶ月前まで、コルシカはジェノヴァ共和国であった。
大宅世継(おおやけのよつぎ)のように、ナポレオンが今生きていたら250歳になる。

鎌倉時代からジェノヴァ共和国はコルシカを領有したが、1729年の暮れ、ちょうど将軍徳川吉宗公の享保14年にコルシカが独立戦争を始め、これがナポレオンが生まれる寸前まで40年続いた。

ジェノヴァ共和国は、ジェノヴァ商人による貿易と銀行業で成立していたため、反乱の鎮圧能力に乏しく、折しも、慢性化した赤字に苛まれていたから、フランス王国にコルシカを譲渡してしまい、ナポレオンはフランス王国民としてこの世に生を受けた。

しかし、フランス王国民として生まれたナポレオンがフランス皇帝になったからといって、いわゆる典型的なフランス人であるかというと違う。

また、ジェノヴァ共和国出身の両親の元に生まれたから、「ナポレオンはイタリア人です」と自信満々に早々と断言するのも、勇気がいるし、尚早で語弊がある。

確かに、ガリバルディのイタリア天下統一を、イタリアの統一王国が建国された1861年とし、これ以後のイタリア領の人々をイタリア人と定義するなら、ナポレオンを今的なイタリア人とすることには語弊がある。

しかし、コルシカの人というのは今はフランス人ではあるが、民族はイタリア人と同じラテン人である。このようにナポレオンもラテン人で今のイタリア人と同じ民族である。
コルシカのコルス語も、言語の分類としてはイタリアロマン語に属する。
コルシカの人間の顔を見れば、それはガリア人に代表される北部フランス人とはまったく違い、イタリア人と見紛うほどである。

今はフランスのイメージが強いニースとて、フランス領有が安定したと言えるのは第二次大戦後である。

ニースにガリバルディが生まれた時は、そこはナポレオンの帝政フランスの下に収まっており、その後ナポレオンが百日天下で再び失脚したのちは、長らく現在のイタリアの原型の一つであるサルデーニャ王国となった。

こうして、ラテンの土地であるニースもまた、今でも文化的にはフランスというよりイタリアであり、それ故に、日本人がこれを好み、「ニースニース」と言うのも、当たり前の話なのである。

そのため、イタリア人にとってはニースもコルシカもイタリアであるとの感覚であり、第二次大戦期は当然ニースにもコルシカにもイタリアが進駐していた。
しかし、ムッソリーニが失脚しイタリアが終戦となり、急遽連合国入りを果たすと、再びこれらはフランス領となり、コルシカにはサン=テグジュペリの所属する飛行偵察部隊が配置され、彼は星の王子様とともにマルセイユ沖に消えた。

だから、南仏と南仏人の定義は難しい。コルシカ人、バスク人、カタルーニャ人などラテンの諸民族があって、今以って独立派もいるし、彼らは見た目も言語も文化もイタリア人のような地中海の太陽と海の民ゆえ、全くフランス人らしくなく、むしろイタリア人らしい人々なのである。

ここで、一先ず、ナポレオンを上手く表すなら、限りなくイタリア人に近いラテン人のフランス皇帝と呼ぶのがいいかも知れない。

背が低い。髪が黒い。目がくりくりしている。イタリア人は背が高すぎないシュッとした美男か、ずんぐりむっくりのオヤジかという感じだから、ナポレオンはずんぐりラテンおじさんである。
戦に滅法強い。
夭折し皇帝になれなかった息子のナポレオン2世に代わり即位された、甥のナポレオン3世は、江戸幕府を支援してくださった。
なんでこんなに人徳溢れた陛下なのかとずっと思っていたが、ラテン人だから日本人と気脈が通じた訳である。
ボナパルト家の居城でもあったフォンテーヌブローは、北仏にしてはいい街で、ナポレオンと同身長168センチ色黒の私が住んでいる。
だから、ボナパルト家は素晴らしい。

ちなみに、王政復古派もフランスには存在するが、並行してボナパルティストと呼ばれる帝政復古派、即ち、ボナパルト家を帝位に据えたフランス帝国を再建国しようと願う人たちもいる。
これが彼らのサイトである。

今現在は、祖父の故ナポレオン6世ルイから、嫡男であった父プリンスが離婚と政治参加で廃嫡され、父を飛び越えて家督を継いだナポレオン7世ジャン=クリストフ33歳がハーバード出の銀行家としてロンドンにおられる。

Description de cette image, également commentée ci-aprèshttps://fr.wikipedia.org/wiki/Jean-Christophe_Napoléon

ナポレオン7世皇帝陛下はフォンテーヌブロー城に帰城宣言されて、お戻りになればいいのに。
それなら私もお迎えに上がります。

しかし、私が帝政復古派にならないのは、ナポレオンはフランス人でないということが確実であるからである。
それはボナパルト家の由緒と血統にある。

ボナパルト家はイタリアはトスカーナのサルザーナという、私が5年ほど前の夏、毎日のように通った小さな街発祥の家系で、そこから、ジェノヴァ共和国時代にコルシカに移住して来た家だから、どうしてもフランスを代表できない。
サルザーナではボナパルト家発祥の地として、居城フォンテーヌブローと同じようにナポレオンフェスティバルが開催されている。
支持者にとってみれば、ナポレオンは、フランス人のヒーローでもありイタリア人のヒーローでもあるのだ。

また、ナポレオンはフランス皇帝に即位した翌年の1805年に、ミラノに首府を置くイタリア王国をイタリア半島北部に建国し、ナポレオーネ王としても即位している。

やっぱり彼らボナパルト家は、イタリアンであり、フレンチじゃない。
イタリアは統一前はドイツのようにいくつもの王国があり、統一イタリアの王にはサヴォイア王家が適切だから、ボナパルト家にはコルシカの領主あたりが似合う。

もし仮に、ボナパルト家がコルシカ独立戦争を起こし、それが飛び火して、フランス共和制下においてフランス国籍である、あの南仏の陽気な素晴らしい美しいにこやかでさわやかなラテンの人々が独立のために立ち上がるなら、僕も幕末のご恩返しに助太刀に馳せ参じたい。

参考)
https://www.5terre.com/blog/dettaglio_notizie-art-napoleone_bonaparte_francese_da_sarzana-articolo-209.html
https://www.corsematin.com/article/article/pour-napoleon-la-france-etait-surtout-une-scene-a-sa-mesure

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