不法移民と生活保護

地元の友人の警察官はつい先日パリ郊外の署へ転属となった。

そして、先般の捕物は、夫にDVを受けている真っ只中という妻からの通報により、Évryというパリ南東30キロの現場へ駆けつけるというものであったそうだ。

彼はここへ出動し、この家族が黒人であることを認め、屈強な夫が妻を殴り続けているのを羽交い締めにして逮捕し、署へと連行した。

発覚したのは、この移民黒人家庭は、皆不法移民で、フランスの国籍を持つ訳でもないのに、六人の子供とともに、子供の三人目から貰える子供手当と、両親の失業手当でアパートに暮らしていることであった。

ところが、彼が逮捕した暴力夫は、フランス人ではない為、即釈放となった。

「Yûtaこれがフランスだぞ。」

友人はこう呆れ果てて、僕に語ってくれた。

ジプシーが、フランス国籍を持たないから、逮捕されても裁かれずに犯罪を繰り返すというのはよく聞く話である。

しかし、不法移民が法で裁かれないのに、フランス法で定められたフランス人の為の生活保護は受けられるということが俄かには信じられない僕は、別の女友達にこの顛末を話した。

すると彼女は、

「そうよ。これがフランスよ。」

と言って、彼女のお母さんの話を聞かせてくれた。

お母さんは50代で、鬱病のために無職の生活保護受給者である。
しかし、彼女の生活保護費は微々たるもので、アパートも満足には借りられる額ではなく、普通大家はこういう人間には貸し渋る為、金持ちの長兄の支援を受けて、小さなアパートに一人暮らしをされているという。
また、長い間、HLMという低所得者向けの公営住宅への入居を申請しているものの、この公営には不法移民の黒人ばかりが入居し、全く当選しないと言う。

そして女友達も、フランスが不法移民に、生活保護、失業手当、子供手当を与えているのは、本当のことであると憤った。

フランスの子供手当は、生計の足しにするには十分に過ぎ、三人以上の子供を作り、大家族になればなるほど手当額が増え、格安の公営にも入れ、子の教育や生活の高望みをしない限り、両親は無職でも十二分に暮らせてしまうものである。

しかし、独居の無職ほど、フランスでは生活保護の恩恵にはあずかれず、フランス人の単身困窮者が、不法移民の非フランス人の大家族の生活以下になるという本末転倒が起こっている。

煙草を燻らせながら、こんな話をして、僕と彼女はメトロに乗った。

メトロでは、たった三駅の間に、二人の物乞いが勧進をした。

僕は、

「ホームレスって生活保護を貰えるのに、自分の選択でホームレスでいる訳でしょ。」

と彼女に聞いた。

すると、

「単身者では、生活保護だけでは家を借りられないし、ホームレスを収容する集団シェルターもあるけれど、汚くて居られたものではないそう。」

と説明してくれた。

フランス人の身寄りなきホームレスに行き場がなく、不法移民が大家族の生活保護で家に暮らし生計を立てられる状況。

一体全体フランスはどうなっているのか。

自国民を守らず不法移民を手厚く保護する。

地元へ戻ったその夕刻、僕はスーパーへ行った。

レジには、僕がフランスのレジ係で一番だと思っている黒人のおじさんがいた。
愉快で愛想が良く、優しいおじさん。

人種や国籍に関係なく、良い人は良い人、悪い人は悪い人。
そんな道理は知っている。

しかし、移民の問題はフランスにいよいよ深い。

僕はやるせない気持ちを抱えて家に帰り、夕飯のハーブソーセージを炒めた。

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フランスの定年と年金と利権と

目下、企業勤めのフランス人の定年退職は63歳である。

そして、公務員が原則的に61歳と2年早い。

日本人なら、老後に何をしていいかわからない場合、退職間際には会社という一つの社会から切り離されることを不安がり、退職後には暇を持て余す場合もあるが、フランス人は、バカンスと定年をこよなく愛する人々であり、退職が待ち遠しくて仕方がない。(バカンスと定年退職

2年ほど前にリタイアした私の親友のお父さんは、お母さんのそれが数年先だから、パリに家族を置いて、ブルターニュのセカンドハウスに入り浸って、CWニコル級田舎生活を満喫している。

そのため、早くに退職して年金生活に入れるなら、それを歓迎するのがフランス人の精神なのである。

定年を延長する人もいなくはないが、あまり、定年延長や嘱託という文化は見られず、皆爽やかに老後の生活に入っていく。

また、公務員は一般の人より2年定年が早いから、大学などでは、大御所の先生方が完全に老人となる以前に教壇から去ってしまう。今の61歳なんぞ中年で、まだ、頭も体もバリバリなのに、「もう定年?」というような感じである。日本では私大の定年が60代後半で、学習院などは70だから、国公立の先生も私大へ移籍したりして年老いるまで現役でいるため、フランスはあっけない。

時に面倒を見なくてはならない学生のためなどを理由に、少し定年を延長される方もおられるが、だいたい教授陣は50代の終わりでお弟子さんを取らなくなり、フェードアウトして行かれる。

目下フランス日本学の世界では、世代交代の時期に差し掛かっており、数年前から大御所の引退が始まっている。

この世代は、西洋における日本学を牽引されてきたり、逆に外人向け日本語教育のパイオニアの先生方なので、中々さみしいものである。

そして、教師どころではなく、定年が異常に早い公務員たちがいて、国鉄・パリ市交通局・電気ガス産業連合の人々には、なぜか50代中盤に定年が設定されている。

そのため、今、国家やパリ市の財政健全化のために、政権が優遇されてきた彼らの定年利権を一般並にすべく、定年と年金給付年齢を上げようとしており、そのためにストライキが起こった。(ストライキ大国のフランスに住めば

フランスは平等平等と言っても、全く平等社会ではない。

定年年金セットの一つをとってもそうである。

不平等は不平等にもなれば利権にもなる。利権側は適当な主張をして、甘い汁の確保に努め、不平等と感じる人は、これを批判する。

今回は、昨9月13日のパリ市交通局の12年ぶりのストライキに関連して、労働者たちが、早く退職できる権利を主張し、これこそ、甘党のフランス人らしい権利主張だから、ご紹介したい。

 

このニュース番組では、公会計大臣のGérald Darmanin (ジェラール ダルマナン)が、「公務員の定年は普通61歳なのに、どうしてパリ市交通局は56歳なのだ」と問いを投げかけ、場面はストライキのデモに移り、パリ市交通局の労働者の言い分が展開される。

マークさん(58、定年済、元市バス運転士)
様々な道路事情に苛まれ、客の応対もする。週末も働けば、朝4時始業、寝るのは深夜1時、クリスマスも年始も、公共サービスのために束縛される。
退職の特例は、特権ではない。

コリンヌさん(現役駅員)
年始もクリスマスも朝5時から始業、6週に1回しか週末は休めず、夜勤もする。
私は朝5時には人なんか寝てると思うし、夜2時にもそうだと思うけど。(意味もないのに夜勤早朝出勤をしていると強調)

ムニールさん(メトロ6番線運転士)
僕たちは安全第一の仕事をしている。想像してみてくれ。64のおじいちゃんがメトロを運転していたらと。目が見えづらく、動きも鈍いのにメトロを運転して。800人の乗客の命をおじいちゃんが担えるのか。車両を直せるのか。

別のコリンヌさん(勤続25 メトロ6番線駅員
朝勤務は5時から昼の12時まで、夜勤なら18時から朝1時まで。家に3人の子供がいるのに。
今日は半休、土曜は仕事、日曜も仕事、クリスマスも結構仕事、年始も結構仕事、最近は人々がストレスに苛まれ攻撃的だから、危険な仕事になりつつある。同僚は唾を吐かれたり、罵倒されたり、でも我々は笑顔を絶やさない。だからむしろ人々は、我々を理解して、支持してくれなきゃいけないの。


N’importe quoi. (ナンポルトコワ。バカ言ってんじゃねえ。)

突っ込みどころしかない。

まず、結構な税金を給料としてもらっているのに、公務員として公に奉仕するという精神が全く感じられない。

週末クリスマス年始と、フランスの皆が休む時に、働いてくれていることには感謝する。
また、確かにパリには危険な人間が多いから、危ない目にあうというのもわかる。
しかし、そんなことは応募する以前から百も承知のことであろう。
週末もクリスマスも年始も、基本給にプラスして特別手当がつくから、そこは既に補填されている。
そして、休暇だって丸一日オフの明け番だって、ヴァカンスだって潤沢にある。
だから、彼らが口を揃えて言う休日出勤は、このご時世、あまりにも早い退職と高い年金に対する理由になりきらない。

こんな言い分が通るなら、警察官や消防士はどうなるんだ。

また、背景として認識しておかなくてはならないのが、日本とは違って、フランスの鉄道労働者は、電車やこの仕事が好きだからなるというものではない、ということである。
仕方がないからその仕事につくという類の職であり、いろいろとジューシーな甘い汁があることをわかった上で鉄道労働者になるのである。

彼らの言い分を聞いても、はたから彼らの仕事ぶりを見ていても、仕事に対する誇りや愛着は感じられない。

実にメトロの運転手など運転は荒いし、駅員は態度が悪く、笑顔などまずない。
しかも、始発や終電で駅員がいることなどない。本当に。

仮にも、彼らの頑張りが見えているなら、我々だって少しは彼らの特権を認めたっていいさ。

また、今時パイロットだって健康管理をして70近くまで空を飛んでいるから、90歳のおじいちゃんならまだしも、64歳のおじいちゃんがメトロを運転していたら怖いというのも理由にならない。

こうして利権が侵害されそうになるとストライキをしたり、被害者ぶったり健康問題を持ち出したり、ナンセンスである。

そもそも論としてこれを言うと差別と言われるが、仕事が嫌なら早め早めに転職を志して頑張ればいいし、金がないなら、フランスにはDUコースという大学の夜学があるのだから、働きながら頑張って大学を出て、もっといい職業に就けばいい。

フランス人は原則的に嫌なことを我慢してまで居心地の悪い空間に居座ったりする民族ではないから、彼ら鉄道労働者が、退職や年金の利権を味わうために勤続していたところ、急に自分たちの利権が社会問題化し、国家からメスが入りそうになったから騒いでいるだけの話なのである。

彼らのフランス語の話し方を聞いていても、誰に聞いても同じになる返答も、彼らの論の甘すぎる構築の仕方を見ても、彼らが学のない頭の悪い人たちだということは一目瞭然である。

これでは、フランスの多数派を説得することは間違い無く不可能である。

せいぜい喚くが良い。

フランス共和国の公務員たるもの、国是の平等を表向き遵守せねばならない。

面白いのが、こうして利権を主張するときは、「平等!」と言わないね笑

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ストライキ大国のフランスに住めば〜年金改革の鉄槌〜

フランスはストライキ大国である。
生活をしていて、これをひしひしと感じるのは、定期的に訪れるフランス国鉄SNCFのストライキである。
そして、フランスとオランダの国営合弁航空エールフランスも時折ストライキをする。

列車が運休し、人は車以外では動けなくなる。
列車が著しく減便され、たまに来る列車は人でごった返して、インド状態になる。
予定していた旅行ができなくなる。
仕事に行けなくなる。
そして、ストライキはいつになれば終わるかわからない。
ストライキが始まると、実に我々は交通にイライラし、ヘトヘトになる。

蓋し、ストライキというのは諸刃の剣である。
ストライキをか弱い労働者の権利であると言ってやれば聞こえはいい。
しかし、公共交通を担う公務員のストライキは、市民生活を直撃し、市民を疲弊させる。
そして、ほとんどの交通が国営か公営しかないフランスにありて、ストライキは、普通国家財政の健全化のために、国家が公務員の身を切る改革を打ち出し、これに交通系の公務員が断固反対することで巻き起こるから、民間人は親方トリコロールに甘える公務員を憎む。

どうせクビにならないと甘んじる公務員。
鉄道員など、サボタージュ、怠慢、客への不敬な態度、こういう甘い汁でベトベトの環境天国であぐらをかいている。
そして、メスがチラつき手術台に乗せられそうになると、スト権を行使して暴れる。

民営化したり、公務員の待遇のレベルを下げることほど、経営改革において、難しいことはないかもしれない。
特に国営の公共サービスほど、必要以上の雇用者と様々の無駄により、放漫財政が慢性化し、赤字が膨れ上がるものもない。
民間企業では到底ありえないこの部分にお上がメスを入れようとする時、公務員は拳を挙げ、赤い旗をなびかせて、決死の反撃に出る。

2019年9月13日は、パリ市交通局RATPのストライキである。

パリ市交通局がストライキをするというのは珍しい気がする。
彼らがここまで大掛かりなストをしたのは、サルコジ政権下、2007年の10月18日であり、この際は、ストライキの際に交通機関が前もって市民に通知し、最低限は乗り物を動かすように命じる法の制定を巡ってのものであったそうだ。
私がフランスに来る5年前のことだから、覚えているわけもない。

しかし、このパリという西洋一の大都市と近郊の交通が麻痺すると、大都市は混乱に陥る。
ストライキの目的が達成されるかはわからないが、ストライキの効果としてはてき面である。

本日私は会議のために大学に行ったが、パリ市営以外の公営バスや国鉄は平常通りであり、パリのメトロも、運良く無人自動運転のメトロ14番線は動いており、何ら被害は受けなかった。むしろ、多くの人々が、サルコジの法のおかげか、あらかじめストのことを知っていたから休業したと見え、パリは人出が少なく、何時であろうと満員の14番線がガラガラで拍子抜けしたくらいである。

さて、今回のストライキの理由は、一部公務員の退職時期が現代社会に即さないほど早く、年金も他の公務員に比べて高いことに関して、国家がメスを入れようとしていることにある。

そして、この一部公務員とは、国鉄とパリ市交通局、ガスや電気産業に従事する企業の官営連合であるIEG(Industries Électriques et Gazières 官営電気ガス産業連合)の面々を指す。

フランスの通常の退職年齢が63歳で、公務員は通常61歳のところ、国鉄は延長したりしなければ、平均して57.7歳、パリ市交通局は55.7歳、IEGは56.9歳と早くから退職し、年金生活に突入できる。また、このズレは、パリ市交通局でも、メトロの従事者は最短で52歳の退職などと職域で差があることに由来する。

特にパリ市交通局の人間は、89.9%が60歳時点で退職しており、平均寿命が82歳のフランス人なのだから、もうちょっと働いて自分で稼いでくれという民間人と国家の思いがある。

そして、年金が慎ましいならまだメスも牙をむかないと思うが、この三つの官営機関の公務員は特権的であり、最初から勤め上げれば、天引き前の月額の年金が、一例として、パリ市交通局で3705ユーロなどと、普通の公務員のそれが2206ユーロなのに比して莫大である。

そのため、国家会計検査院から、国庫や公庫の状況や社会の平均値に照らし合わせて異常であると指摘され、ここにメスが今刻まれようとしている。

それ故の今日のストライキである。

今回は干支が一回りして久々にパリ市営の小役人たちがストをした位だから、国鉄もこのまま行けばやるだろうし、下手をすればガスや電気が止まるかもしれない。フランス人のリアクション芸が見れて面白いから止まってほしい。

しかし、彼らはフランスの普通の人たちから、小役人のくせに悠々自適の潤沢な年金と早い退職年齢を聖域として保持しているから妬まれているし、ストライキをやればやるほど、市民たちから「ふざけやがって」と一層妬まれる。

本来なら国家は、赤字まみれのこうした公共サービスを民営化し財政をスリム化したいのは山々であるのだが、マクロンが就任当初にやろうとした国鉄改革に伴う大規模ストライキに代表されるように、断行するのは容易ではない。

そのため、作戦として、この三種の特権的公務員の甘い汁の供給を断ち切るべく、国家が退職年齢と年金という外堀から聖域を埋めていこうとしているのが、今のフランスの現状である。

さて、私の場合は国鉄がストライキをすれば、フォンテーヌブローから片道70キロもあるパリに徒歩では行けないから、公然と大学の講義をすっぽかして給料泥棒をする口実ができるし、関係各位や生徒には「Ce n’est pas ma faute. 私のせいでは御座いません。」と開き直って無限休講を出して、生徒も私の授業が消えて喜ぶであろうから、何卒国鉄の労働者諸君には小粋に一つ、この新学期から一年間のストライキをお願いしたい。

参照)
http://premium.lefigaro.fr/social/regime-special-de-retraite-ces-tres-chers-avantages-des-agents-de-la-ratp-20190912
http://premium.lefigaro.fr/conjoncture/retraites-la-cour-des-comptes-etrille-une-nouvelle-fois-les-regimes-speciaux-20190716
https://www.rtl.fr/actu/debats-societe/greve-ratp-quels-seront-les-effets-de-la-loi-sur-le-service-minimum-7798319491
https://sgeieg.fr/la-branche-des-ieg/entreprises-et-salaries-de-la-branche-des-ieg

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初秋のパリ

酷暑の後、今年のパリには久々の秋が訪れている。

ここ数年、不思議なことにパリの秋は暖かかった。そして妙に晴れていた。
だから、短い夏の後、急に曇天になり肌寒くなる本物のパリの秋を、今年、懐かしさとともに体験している。

パリの秋は物悲しい。
厚く重たい雲が天を覆い、只でさえ儚いフランス人の顔立ちを、より悲しく見せる。

それは次の夏まで三百日あまり繰り返される北フランスの日常である。

日本には、夏の梅雨といえども幕間には晴れ間があれば、秋の台風の薄気味悪い漆黒の後には、爽やかに過ぎる台風一過の秋晴れがある。冬には、乾燥して澄んだ空気に太陽が映え、人々は遠くの山々を眺め、関東なら富士見もできる。
日本人は太陽に飢えることをしらない。

そして、秋が来れば、やれ食欲の秋で秋刀魚が旨いだの、読書の秋が来たなどと呑気なことを言っている。

パリの秋は陰鬱、憂鬱という長いトンネルへの入り口である。

唯、我々学を志す人間にとっては、思考の季節の入り口でもある。

実にフランスは愉快ではないが、何かを深く考えるのに適した風土である。

トレンチコートを着て、肌寒い街を歩き、列車に乗る。

陰気な顔をして黙りこくるフランス人たちを乗せた陰気な列車が、パリリヨン駅に着く。

ホームの隣の線にはThelloという夜行列車が軽やかに止まっている。
この夜行列車は前夜ヴェネツィアからミラノを経由し翌朝パリへ来ては、その夜パリからミラノを経由しヴェネツィアへ行く、イタリア国鉄の列車である。

この緑と赤の調和された色を纏うイタリア国鉄の列車は、イタリアの爽やかな風を毎朝パリのリヨン駅に運んでくる。

この列車を見る度に、この列車に飛び乗ってイタリアに行きたい。そう思う。

そんな毎日がまた始まる。

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と思いきや、天気予報では来週は毎日晴れで、朝晩の寒暖差は激しいながら、日中は20度を超えるという。
また異常気象かな。

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ノートルダムのその後に

ノートルダム寺院のてっぺんがついこの間に焼け落ちたというのは、万人の知るところである。

フランスでは、関心を示す人間もいれば、全く無関心の人間もいて、移民の内には歓喜する者もいた。

ここからしてこれぞフランス、セラフランスであるが、その復元に向けての途中経過や進行形の顛末は日本では報じられない。

焼け落ちた時には金閣炎上吉原炎上とでもいうようなセンセーショナルな報じ方をする日本ではあるが、そのあとこそが、更にフランス的で面白いのにそこを報じない。
これでは、フランスの文化やフランス人たるの精神性が見えてこない。

日本は何かを断行する際には、談合なり根回しで、コンセンサスを形成して、結論ありきで丸く動こうとする文化であるが、フランスはとにかくカオスである。
もちろんフランスにも、例えて、学術会議の次期理事長に誰が座るかなどというポストの問題などで、大御所からの内々のご指名があったり、派閥で談合したり、なんとなく投票結果がわかりきっているものなど、根回しの文化はある。同様に、日本においても議論がまとまらないことがある。

ただし、概して、議論屋のフランス人の意見は決して一枚岩にはいかず、色々な人間が勝手な意見を言い、カオスな状況に陥るのが普通である。
そして、このカオスを無理くりにひと纏めにするためには、ある権力者が、上からの権力で方向性を決めて断行せねばならない。

これは、ノートルダム炎上一件に関しても同様である。

権力が湧き上がる議論をねじ伏せるやり方でないと、とてもではないがフランスの国家計画は進まないし、更に、纏めあげる権力者も、確実に反対勢力からは永久に悪く言われるから、ノートルダム寺院を復元するという歴史事象においては、名声と汚名の両方を残すと言ってよい。

今はパリの不動の象徴たるエッフェル塔も、当時は反対派からの批難で轟々であったし、今では支持者の方が多いかとは思うが、嫌っている人間もいないわけではない。

こういうことがフランス的なのである。

無論ノートルダム一件より、半年を経て、フランスのメディアや人々の間が、この問題をそれほどまでには気にしてる様子はない。しかし、それでも、再構築に向けた議論は政府を中心に進み、それが市民に伝わるにおいて、人々はそれぞれその計画に対する意見を抱くのである。

炎上から半年のうちに、どんなことがあったのか、いくつかにわけて概括する。

1. 金持ちを妬むフランス人が起こす寄付金への文句

フランス人は、とにかく金持ちを妬む性質を持つ。
ユダヤ人など大嫌いだし、ブルジョワも嫌いだし、成金も嫌いで、このように金持ちを羨ましがりながら、これを隠して妬む。

ノートルダムが炎上した時、フランスをはじめとする世界の財閥が即座に寄付をしたわけだが、素直にありがとうがいえないのが、フランス的である。

https://www.lavoixdunord.fr/570823/article/2019-04-19/sur-twitter-pamela-anderson-s-insurge-des-sommes-recoltees-pour-la

ルイヴィトンのLVMHグループ、ロレアル化粧品、トータル石油を筆頭に、ディズニーまで色々な財閥がお金を出した。

するとフランス人の一部は即座に、これを茶化す。
まだ、再建計画が始まってもいないのに、
「もう寄付金のおかげさんで再建計画がありまっせ」
と、ステンドグラスをルイヴィトンの市松模様にして茶化す。

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https://www.cartooningforpeace.org/editos/notre-dame-telle-le-phenix/

そして、マクロン大統領が、再建への寄付金を世界からありがたく受け取っていることに対し、黄色いベストが、俺たちにはしないくせにと怒る。

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https://www.pinterest.com/pin/330662797640013660/

実際に、議論でも、「国家がこれに血税を投入するのか!」などと、怒る市民もいれば、黄色いベスト運動に参加するような左翼は原則的に反カトリックだから、「カトリック教会が焼け落ちた宗教施設に公金投入かよ。」「パリのモスクが焼け落ちたらそんなことすんのかよ。」と、そういう意見を持つ人も多い。

フランス人というのは、徹底した平民根性を持ち、とにかく僻みっぽくて嫌味だから、金持ちは寄付をしないでもボロクソに言われるし、してもボロクソに言われるという、何をしてもボロクソに罵倒されなくてはならない。

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日本とフランス警備員の違い

外国から日本を眺めてみると、ふとした瞬間に、日本の特殊な面に気づいて楽しくなることがある。

僕のこうした最近のマイブームは、フランスで警備員を見ることである。

フランスは概して治安が悪く(治安が悪い地域が多い、と言った方がいいかもしれない)、悪人が屈強に反撃してくることがあるので、警備員が至る所にいる。
大きいスーパー、ショッピングセンター、高級ブティック、ナイトクラブ、人でごった返すバー、大学、役所、イベント会場、パリ日本文化会館、日本大使館。日本以上に警備員を見かけることが多い。

そして、彼らのほとんどは大柄な黒人やアラブ人で、やんちゃ者を取り押さえるぐらいならお茶の子さいさいという顔をして立っている。

事実として肉体労働者たる警備員の社会階層は低く、決して見上げられるような職種ではないから、結局のところ、移民の仕事になる。また、肉付きからしても、黒人には他の人種は叶わない。

日本で、こうしたどこからどう見ても勝てなそうな黒人などの警備員たちは六本木のクラブ界隈にしかいない気がする。

フランスの警備員は、得てして、黒の動きやすいスポーツウェアの制服のようなものを着て、腕にセキュリティーの赤い腕章をつけている。警棒やスタンガンなどを持っていることもある。
そして、がたいがいいから存在自体がハードボイルドである。

では、日本ではどうだろうか。

警備員は動きづらそうなスーツ式の制服を着て制帽を被り、ひょろひょろのおじいさんや、年齢のいった主婦も多い。ワンオペレーションのことも多いから、警備員が人を守れる気がしない。
きっと、わんぱく坊主が暴れ出したら、警備員の方が負けてしまう。

この比較で、日本は警備員が体を張って警備をすることを想定していない社会なのだということがわかる。

また、警備員に準じるような仕事である、みどりのおじさん、みどりのおばさん、自治会のパトロール、こんなものも、フランスからすると考えられない日本社会の役である。
不審者が交差点にナイフを持って突入してきて小学生を狙った場合、みどりのおじさんなるおじいさんでは太刀打ちできない。

どうして日本の警備員は弱々しいのかなどと、歴史を少し考えてみるとやっぱり今と似ている。
今は昔の上に成り立つから、至る所に残り香があり、警備に関してもそれは同じである。

「火の用心」などと言いながら、火元の注意を住人に促したりする、江戸の木戸番があるが、これはほとんどが老人であったと言われる。
関所になれば騎馬武者が番をするし、城下でも武家地の辻番は大名家の足軽あたりがやるから弱いとは言えないが、町人地などの番はほとんどが老人男性である。

黒澤映画の用心棒の半助なる番太の時代考証はおそらく正しいはずで、日本の番人のイメージは江戸以降、この老人男性イメージで構わないと考えられる。

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http://www.nbywba.com/jingdianjuben/2889.html

すると、現代日本の警備員の多くが老人男性であることを考えても、日本人の「番」に対する態度が今に始まったことではなく、元々のほほんとしていることが窺える。

この動画はフランスの警備会社を紹介するものだが、やっぱり日本とは違いすぎる。

日本というのは公共の場が平和なんだなとのほほんと感じざるを得ない。

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即席フランス人講座。これであなたもフランス人。

フランス語がわからなくとも、フランスにいなくとも、フランス気分を味わいたいなら、フランス人のように振る舞いたいなら、フランス映画を見ればいい。

日本の通ぶる映画通が難しい顔をして賞賛しそうな、あの動きの乏しいフランス映画である。

すると、フランス映画がアメリカ映画の真逆に位置することがわかる。
ダイナミズムのなさ。淡々とした日常生活の模写。
こう考えると、小津安二郎の東京物語がフランスで絶大なる評価を受け、ジブリの中でも珍しく赤字作品であるとなりの山田くんが、Mes voisins les Yamada(近所の山田家)という仏題で、フランスで人気なのも頷ける

歴史学をしても、アナール学派なる、フランス人がいかにも好きそうなる(私は嫌いだが)、権力者でもなければ、歴史上の人物でもない、名もなき昔の人々の生を掘り起こして時代なるを考える歴史学なるを生んだのがフランスなる国家である。

僕もこのアナール学派の第五世代を自称しているが、どうでもいいことを見つめ、どうでもいいことを展開させるのがフランス人という人種である。

今回はどうしたらフランス人になれるのか、振る舞い方を、日本の紳士淑女の皆々様へお教えしたい。

常に不平を口にせよ
Les français ne sont jamais contents. (レ フランセ ヌソン ジャメ コントン。フランス人は決して満足することはない。)
これは、フランス人を的確に表す、よく使われる表現である。
フランス人は政治や仕事の待遇などに関して、決して満足することはない。
そして、とにかく、あらゆることにネチネチと文句をつける。
粘着質な文句たれ蔵になればフランス人らしくなる。

笑う時はクスクスと
爆笑したりせずクスクス笑うフランス人。議論しながらニヤニヤ笑うという高度なテクニックに達すれば、これであなたもフランス人。

ペシミストたれ
フランス人は決して物事を楽天的に見ない。
常に未来のことは、Je ne sais pas. (ジュヌセパ 短縮してシェパ  わからない。) On verra.  ( オンヴェラ まあわかるさ。)と言いながら、受け身かつ消極的に捉えている。
人が人にBonne Chance ! (ボンシャンス グッドラック)とは言うが、フランス人の口から、「きっと俺はやれる!」「俺はやってみせる!」などという言葉を聞いたことはない。
「できると良いけど。」という淡い願望か、「もしダメなら」と悲観的で決して楽観的ではないのがフランス人である。

メルシーボクとは言ってもジュテームボクとは言わない
メルシーに感謝の意を追加すべく、Merci beaucoup やMerci mille fois (メルシーミルフォア 千回ありがとう)と言うことはある。しかし、Je t’aime beaucoup.と言えば、Je t’aime.より格下になるから、恋人には言わない。また、軽々しくJe t’aime.と言うこともない。その代わり、友人としてや人として「あの人好き」と言う時にはbeaucoupをつける。

どうでもいいことを延々と語れ
僕はさっぱりとした東男であるから、どうでもいいことを延々と語るのは好きではないし、つまらないと思うことを話したり聞いたりするのは嫌いである。しかし、どうでもいいことを延々と語るのが世界で一番好きなのがフランス人である。
例えば、フルーティーで軽い赤ワインがあるとする。
大和男は「うまい!」この一言で宜しい。
フランス人は、「フルーティーで軽やかで花のような薫りがして…」と延々と講釈を垂れる。
こうした時、僕は、内心、「もういいよお前の意見は。飲もうぜ。」と思うが、各自通ぶって勝手な見解を言い続けるのがフランス人である。

自分と異なる思想や階級の人間を罵れ
フランス人は僻みっぽく、常に自己と他者を比較し、人の自分と違う部分を嫌う。
左翼は右翼をレイシストの人でなしと罵り、右翼は左翼を偽善者とそしる。
労働者は資本家や金持ちを憎み、平民は貴族を僻み、ブルジョワを毛嫌いする。
貴族は平民を卑下し、資本家やブルジョワは貧乏人を笑う。
カトリックは非カトリックを野蛮人と思い、非カトリックはカトリックを憎悪する。
そうして、議論で自分と違う人間に対する悪口の限りを尽くすのがフランス人。

フンを愛せ
フランス人ほどフンの好きな民族はいない。人間界のフンコロガシである。
犬のフンは決して拾わず、道は犬のフンで溢れれば、ビデやウォシュレットも嫌う。挙げ句の果てには自然派Vin nature(ヴァンナチュール)の赤ワインは馬糞の臭いがすると言って、これを飲む時に「馬糞だ!」と目を輝かせて飲む。そして、朝は決まってイタリア人よりもイタリア発のチョコ風クリームのヌテラをパンに塗る。最近はクレープにもヌテラを塗る。
フランス国籍を取得する際には、「この移民希望者はフンが好きかどうか?」とウソ発見器にかけて、好きであることが証明されないと審査に合格できないと言う。

知行不合一をせよ
絶対に言っていることとやっていることを一致させてはならない。
私はエコロジストと言いながら、タバコをポイ捨てし、平等と言いながら、自分の属する社会階級に固執する。
フランス人は言動不一致の曲者であり、意地でも知行合一をしない。

女は口説くな
イタリア男がするような情熱的な愛の御託を並べてフランス女を口説いてはならない。
フランス映画の珠玉、男と女のように、とりとめもないことを話しながら徐々に距離を詰めていかなくてはならない。イタリア映画の真逆を実践するのである。
対人関係でもフランス人は、イタリア人のように最初から距離をなくし、寛大に人を受け入れることはしない。会って話すことを繰り返し、気が合うと判断したらようやくそこで人を受け入れる。
僕は備前長船則光、あるいは直江志津のような刀型の単刀直入な大和男なので、フランス式対人スタイルは性にあわない。

よくよく考えても適当に会話に会話を重ねる中で親しくなった女とはうまくいき、珍しく一度だけ僕が熱を上げた落とすべきフランス女にはフラれたから、フランス女性を落としたければ熱く行かずに、ただ、根暗な哲学者でいなくてはならない。
シャバーダシャバダバダシャバダバダの音楽はそれからしていかにもフランスの男女的である。

ちなみにイタリアの情熱はこうである。

女は泣け
メトロや列車で何度一人しくしくと泣く女を見たことであろうか。
フランス女は世界一の強がりであるくせに、いや、それ故に、か弱いのである。
家の中でももちろんフランス女はしばししくしくと泣く。
そう、根暗なフランス人は根暗に泣くから、慟哭するようなことはまずない。

自己主張の鬼であれ
フランス人ほど自分の意見ばかりを主張し、人の話を聞かない民族もいない。
フランス人は口を開けば、Moi, je… (モワジュ 私は) Je pense…, (ジュパンス 我思うに) A mon avis (アモナヴィ 私の意見では)と、延々と自己主張する。
僕は面倒なので、フランス人との議論はOui ouiとウィーウィー連呼して聞き流すが、彼らはウィーウィー肯定されているとウィーウィー感じて、さらに一人語りを続ける。
ここで、Oui ではなく、Ah bon?(アボン?え、そう? )と口にしたり、微妙な顔をしたり、こちらがJe ne suis pas d’accord. (ジュヌスィパダコール 僕は賛成しないね。)などと言えば、相手の自己主張熱の火に油を注ぎ、拍車をかけるだけだから、左様でございますかの意味でOui oui言っておく方が楽なのである。

権利という言葉で全てを片付けろ
Vous avez le droit. (ヴザヴェルドロワ 貴方には権利がある。)Vous n’avez pas le droit.(ヴナヴェパルドロワ 貴方には権利がない。)と権利の所持不保持を人に言ったり、J’ai le droit de…(ジェルドロワドゥ…)などと、自分には何々をする権利があるなどと主張したりすることを世界一愛するフランス人。
こんなに権利権利言う人間も珍しい。
「貴方は大学構内に入る権利はない。」「図書館を使う権利がない。」
「ビザを更新する権利がある。」「タバコを吸う権利がある。」
権利と付くと、フランス人が心底嫌うドイツ人よりもお堅い人種に見えてくるから不思議である。

無愛想であれ
あまり最初からニコニコと人に接したりせず、人に隙を見せてはならない。
フランス人は原則的に他者は不審者あるいは敵であるとみなすから、仲良くもない人間に対してそんなにニコニコとはしないのである。
我こそは天下の哲学者であると言うような神経質な顔をして表を歩くべし。

ケチであれ
フランス人は計算が苦手で、釣銭を間違えたり、簡単な暗算もできない。
かく言う僕も算数が嫌いで、大雑把な勘定で生きている。
しかし、フランス人はお勘定は決まって割り勘で、その時ばかりは神経質に計算をし始める。
そして、細かいサンチーム(セント)まで弾き出す。
僕はこういうしみったれ根性は嫌いなので、大和男として豪快に目分量で出すことにしているが、こういう人間はフランスでは損をする。

以上がフランス人らしく振舞う秘訣である。

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バス後部帝国

今朝方フォンテーヌブローでバスに乗った。
僕はバス後部右側の席に座っていた。

アンドレア・ボチェッリを聴きながら、春のように麗らかな秋晴れの下、バスに揺られていた。

通路を挟んだ、四席向かい合わせのシートには、にいちゃんと言うべきか野郎と言うべきか、三人のアラブの若い男たちが座っていて、迷惑な大声で会話をしながら、足を前のシートに投げ出す形で座っていた。
まるでバス後部帝国の支配者は彼らこそであると言いたげに。

無論彼らトロイカ体制の皇帝の服装は、攻撃的なスウェットである。
今その言葉が日本語であるかは知らないが、いわゆるB系ファッションである。

こういう服装をするのはだいたいアラブ人や黒人であるのだが、この三人は紛れもないアラブ人であった。

そして、ヤンキーまがいの移民が、公共交通機関で示威行為をするのには、正直僕もフランス人も慣れ切っている。

誰かが迷惑行為をする人間を叱ってどうにかなる時代ではない。
彼らが叱られて自らを正すような人間ではないと誰もが分かっているし、叱って厄介なことに巻き込まれたら嫌だから、こうした場合、誰もが無視することに現代フランスではなっている。

こうして、バスの後部帝国は彼らの意のままに存在し続けた。

バスが駅と僕の最寄の停留所の真ん中に差し掛かった頃、急に口げんかが始まった。
彼らの一つ前の席に腰掛けていた白人の初老の男性が何かを言っている。

僕はアンドレア・ボチェッリの美しいイタリア語の音を切って彼らを見ながら、盗み聞きを始める。

どうやら、エアコンが効いている新型バスの車内で、アラブの三皇帝たちが急にバスの窓を開けたことに男性が注意をし、窓を閉めるように促したが、若者たちが無視をしたようだ。

男は窓を閉め、即座にその窓に一番近い、進行方向後ろ向きに座る陛下が窓を開け直した。

周りの乗客たちは、何が起きたのかと注目している。

すると突然攻撃的な金髪に髪を染めた攻撃的な顔をしたアラブの皇帝陛下が、初老の男性に向かって、「T’es raciste ! (テ・ラシスト! お前レイシスト!)」 と言った。

これは明らかにレイシズムではない。
公共を害する若造がたまたま移民であっただけの話だ。

自分たちが悪さをし、注意され、レイシストと暴論を振るって、いや、論にもなっていないから、言葉を振るって、自己弁護をするなど余りに情けない話である。

また、見知らぬ目上の男性に対しては、百歩譲って「Vous êtes raciste. (あなたはレイシスト。)」と言わなくてはならない。
余りに品がない光景に僕も、周りの乗客たちも、呆れた顔を瞬時に浮かべた。

そして、今のフランスで、レイシスト呼ばわりされたら人は怯む。

この初老の男性が怯んだ隙に、先ほど窓を開け直した皇帝陛下が、アラブ語で何かを言い、三人して嫌な笑いをした。
そこにいた人間は、彼ら以外アラブ語を解さないと見え、何を彼らが言ったかは分からない。しかし、とにかく名誉を毀損するようなことを言ったことは分かる。

そして、この陛下は一言最後に「Fuck You!」と付け加えた。

その瞬間、また乗客たちは嫌な顔をした。

北野映画でビートたけしが「Fuckin’ Japぐらい分かるよこの野郎」と相手を撃ち殺すような、成敗は起こりえない。
レイシストに差別されている移民というロジックを鎧に、決してこれ以上の批判を受けないと高を括るアラブ人三人のバス後部帝国は益々強靭である。

乗客たちの顔は「お前の方がFuck Youだよ。」そう言っていた。

外人の僕はこう思った。
「そうか、お前の知っている英語は「Fuck You!」だけなのか。フランス国籍を持ちながら、「Fuck You!」の代わりに、フランス人らしいエスプリに富んだ皮肉のフランス語の一つも言えないのか。」

移民に何かを注意することは、こうしてレイシストの自己弁護をされると目に見えているから、誰もこれ以上加担はしなかった。
しかし、窓が爽やかな初秋の風を運んでくれているにも関わらず、バスの中には淀んだ嫌な空気が流れた。

この調子では、千年経っても移民差別が無くならないと、一番気づかなくてはならないのは彼らではないか。なぜ、人から尊敬されるような振る舞いをしようと思えないのか。
そこが悲しくて悲しくて仕方がない。

フランスに生きると、この何とも言えない心の疲労感を感じることが、最近ことのほか多くなってきた気がする。
気がするのではなく、確実である。

バスを降りて煙草を吸う。
ナポレオンの愛した宮殿の庭の方から木枯らしが吹く。
秋のフォンテーヌブローの風で吹かす煙草は美味しいはずなのだが、今日のは妙に苦かった。

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フランスと人種差別

人間というものは、自分は他の誰でもなく自分であるというアイデンティティーをして、必然的に他者を差別する生き物である。
そして、自分が差別をしたり、差別をされないで済む仲間を探してその仲間たちと共同体を作る傾向が強い。

ただし、こういう差別というものが、ポジティヴなのかネガティヴなのか、至極真っ当なのか、下劣なのか、という意味合いや色合いの違いこそが問題である。

人が持つアイデンティティーは、生まれという言葉に凝縮され、その生まれとは、親や先祖といった自分が生まれながらに背負う血筋や家の歴史、あるいは、人種や民族、性別、生まれた時の社会階層といった自分の所属するカテゴリーから構成される。
このアイデンティティーから人は考え始め、思想信条や行動形態を形作る。

さて、無論日本の中にも差別があれば、世界のどんな国においても差別はあると思われる。
少なくともフランスやヨーロッパの何国かを見るにおいて、西洋にも差別は存在し、フランスは多民族国家なので日本以上に差別社会であり、故に差別には敏感である。

日本人はこと世界を見る際に、「日本人は差別されるのか否か?」ということを気にするが、これはつまり、対白人への目線から、自分たちが被差別なのか否かを気にしているということである。
それが、時折「フランスで日本人は差別されるのか?」などという話題が、日本の巷を騒がせる要因であろう。

今回は、フランス社会が内包する人種差別と日本人という特殊有色人種の立ち位置に関連して、いくつかの観点から申し述べたい。

1. 白人・アジア人と日本人

人種を白人・黒人・アラブ人・アジア人などと大雑把にくくった時、やはり、国境や法の概念にせよ、貿易などの金融世界にせよ、今の世界のスタンダードは全て白人が築き上げたものである。
その過程には、大航海時代に端を発する、白人国家の植民地時代、黒人奴隷の時代があり、武力で世界を屈服させて白人が今の世界を築いた事実は否定できない。
だから、白人たちは力尽くで世界において優位を勝ち取ったことを誇っているし、有色人種よりも自分たちが優越していると思う気持ちが、表立っては言わなくとも内心には確実にある。

それは、特に、人類学や外国学などの学問における、白人の非西洋世界への眼差しを見ていればよく見て取れる。

ただし、何も白人は内心で自分たちの優位を誇っているだけではなく、白人内にも格差と差別が内包されている。

アメリカでイタリア移民が差別されるというように、フランスにおいては、西洋諸民族の間にも格差があり、イタリア、スペイン、ポルトガル、ギリシャなどの西南欧諸国や中東欧諸国は、貧困のためにフランスに労働移民を輩出してきた国であり、こういう移民は白人であっても、飲食店の店員や良くて食堂の経営、ポルトガル移民だとパリ一帯においてはアパートの管理人やタクシーの運転手、金持ちの家庭のメイドなど、所属する社会階層が低いから、白人の中では地位が低い。

東欧はまさしく東欧美女の愛人稼業や売春婦のイメージで、事実、パリ中央のChâtelet(シャトレ)から北へ伸びるRue Saint-Denis(サンドゥニ通り)に並ぶ立ちんぼは、みんな東欧と言われている。
また、男たちもとび職の人が多く、白人労働者である。

職業に貴賤なしといえば、エリートも大企業の勤め人も小役人も教師もブルーカラーも売春婦も平等であると言うべきであるが、実際は眼差しの上にもそうではなく、所属する社会階層が違えば、着る服装も違うし、考え方も政治思想も異なってしまう事実がある。

また、イタリア系スペイン系は、そこまで社会階層が低いわけではなく、大学に行く人も多く、ブルーカラーが多い印象はないが、ポルトガルや中東欧の移民は見ていて社会の上流には与していない。

次いで、有色人種においては、Sinisation(スィニザスィオン 中国化)とフランス語で言うように、まず、華僑が最強である。
彼らは、中国内の地域と血縁の共同体を既に持っており、誰かが風穴を開けて移民してくると、マフィアともども怒涛のように押し寄せ、自分たちの共同体を新天地であれよあれよと言う間に築き上げる。
目下フランスではカフェとタバコ屋を中国化する勢いである。
彼らは、フランスに国籍を変えながらも、フランスには決して同化せず、中華ネットワークのみに生きるので、表立っては誰も言わないが、フランス人からは嫌がられている。

「Anti-Chinois」と検索をかければ、記事でも論文でもサイトでも山のように出てくる。

中華憎悪の原因には、一般的に犬のフンを片付けず、タバコを平気でポイ捨てするフランス人とは違った不潔さで、痰を吐くとか、空間における独特のうるささ、あるいは華僑の共同体を築くことへの怖さなど、彼らがフランス国籍になろうともどこへ行っても漢民族の流儀を崩さない事があげられる。

そのため主だって、目下フランスで、Anti-Asiatique (アンティアジアティック)というアジア憎悪を一手に担っているのが中国人である。

この差別検証動画を見ると、漢民族を対象としたアジア人の差別がフランスに存在することが万人にわかる。
また、フランス語で中国人のことを「Chinois シノワ」と言うが、シノワという言葉には何もひねらずに、英語で言うところの「チャイナマン」、日本語で言うところの「ちゃんころ」という憎悪が内包されており、フランスで公共の場で、悪意を持ってアジア人が「シノワ」「ニイハオ」「ピンポン」などという声がけがなされる場合があり、これは中国憎悪に他ならない。

私も経験がある。

動画である。まず、ベトナム戦争やポルポトの虐殺で、旧仏領印度支那のベトナム人やカンボジア人も、ボートピープルとしてフランスへ移民している。そのため、ベルヴィルという中華街でインタビューを受けているこの動画の最初の人が、カンボジア移民のフランス人として、「アジア人差別は明白にあり、まず、我々は中国人として扱われる」と始めるところが、フランスにおける中国アジア憎悪を上手に表している。
日本人以上に彼らは中国人に似ているので、カンボジア人やベトナム人は中国人扱いされることが多いが、そういう時彼らは「一緒にするな」と激怒する。

そして、「アジア人差別ってどんなことですか?」と聞かれた彼は、言葉の差別で「顔がレモン」「茶碗(我々には感覚がわからない)」「お前のちんこちっちゃい」と言われるとか、韓国の「オッパカンナムスタイル」を踊られて、彼らにとっては茶化しかもしれないが、十二分に傷つくと言っている。
そして、これはレイシズムであると彼の中で結論づけている。

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危険・不潔・ゲキまずフレンチ 〜観光地で飯を食わないフランス人〜

フランスには外食に極めて気をつける人が多い。

主として、観光地の食事処、ケバブ、中華、こういうものに気をつけている。

僕がフランスに来たのが2012年の9月で、その頃、ちょうど飲食店の食品偽装や、あまりに不潔な管理体制などが社会問題化していた。

自家製でないのに自家製を謳う。自家製と言いながら、その中身は冷凍食品と工業製品。
管理体制が杜撰で、蛆虫がわき、カビが生える食品を平気で作り直して提供する。

ここまでひどくなくても、ルモンド紙によれば、2014年でフランスの80%以上の飲食店は、工業製品に頼った食事を提供している。だから、簡単には変われるはずはない。

自家製のふりをして実はデザートが外注のものや工業製品であったり、付け合わせのフライドポテトが冷凍であるというのは、今のビストロを見ていても、同じである。
付け合わせのジャガイモのソテーなら普通自家製だが、フライドポテトが冷凍ではないというのは滅多に見ない。

日本人というのは、フレンチは高級で美味しくてきらびやかでと信じているが、そういう完全無欠の飾った料理を提供するのは、ミシュランの星がついているようなレストランやホテルリッツのレストランのような一握りで、フランスの普通の食事処は、普通の料理で、ガストロノミーという訳ではない。

フランスの食事事情の実際は、一番美味しいのは、フランス人の料理の上手なお母さんやおばあちゃんが作ってくれる家庭料理で、次に、地元民に愛される飾らずおいしい土地土地のビストロがあって、それ以外は、超高級レストランを除けば、文字通り適当な、「ふ〜ん」という食事処ばかりである。

問題は8割以上ある、こういう「ふ〜ん」レベル以下の食事処のクオリティなのである。

しかし、社会問題化から、幾ばくの時が過ぎても尚、フランスのこうしたとんでもない飲食店は存在し続けている。

それは偏に、彼らのカモが存在し続けるという顧客の問題に関連する。

観光大国フランスの観光客は、観光地のレストランの多くが、移民が客引きをしたり、メニューが確実に仕込めないぐらい多く、やたら多言語に対応しているなど、怪しさがムンムン臭うにも関わらず、入ってしまう。

フランス財務省も、レストランで本当に自家製のものを供している店やメニューにだけ貼れるステッカーを2014年から導入はしたものの、そんなものを客がいちいち確認しているとも思えない。

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そして、味音痴で溢れるフランスのフランス人たちも構わず行ってしまう。

フランス人は味にうるさくグルメであるかのように思われているが、原則的にフランス料理は味付けが大味であり、フランス人には味音痴がたくさんいる。
ただ、多くの味音痴が一丁前に食事の批評をああじゃないこうじゃないと語るから、通に見えているだけというまやかしの構造なのである。

意外とシェフや本当の通人は、料理批評はせず、グダグダ言わないで、「おいしい」か「まずい」を基本に二言三言付け加えるぐらいかしか言わない。

故に、だらだら料理を批評しているフランス人ほど味音痴な人間はいない。

通人の僕が毎朝毎昼毎晩レストランに行くときに実践している、食通ぶるテクニックがある。

まず、猛暑でもマオカラーの黒いスーツを着る。
席に着く。
食事を知った顔で軽やかに注文する。
食事が運ばれて一口食べる時までギャルソンを引き止めておく。
そして、「このまろやかなクリームの淡い色合いと脂ののり具合が絶妙で、輝きからそれが判断され、これがまた肉と相まって、非常に華やかな」と形容詞を適宜挟みながら、微妙に文語体にして講釈をたれる。

これで、簡単にフランス的食通になれる。

同じ方法で、ソムリエにもなれる。特に、ソムリエの場合は怪しい検定試験がいっぱいあるから、これの一つにパスしておけば尚通ぶれる。

だから、フランス人の味音痴と、なにも知らないでフランスの雰囲気に酔いしれてしまう観光客が主にカモとなって、ふざけた飲食店はのうのうと生きている。

では、こうしたふざけた飲食店はどんな杜撰なことをしているのか。
食事中は見るのを控えた方がいいが、ルポルタージュがたくさんあるので、言葉がわからなくても全部映像で完璧にわかるものをいくつかご紹介する。

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