イタリアのいいところ

イタリアは美しい
何もかもが美しい

前を見れば美女がいる
後を見れば美女がいる
左を向けば美女がいる
右を向けば美女がいる
上を見ても美女がいる
下を見ても美女がいる

太陽がある

色彩感覚に優れている人々
ファッションセンスがある

みんなよく笑う
みんなよく冗談を言う
みんな四六時中陽気で快活
みんなホスピタリティーに溢れている
みんな外人のつたないイタリア語でも変な顔をせず聞いてくれる

風が吹く

野菜と果物の色が鮮やか
トマトは本当に赤い
レモンは本当に黄色い
野菜も味がしっかりしている
甘みもある
果物の美味しさは右に出るものはない
果汁もたくさん
海の幸も豊富
チーズが美味しい
本物のモッツアレラ
本物のブッファラ
本物のペコリーノ
本物のパルミジャーノ
肉もうまい
本物の生ハム
本物のサラミ
本物のパンチェッタ
本物のモルタデッラ
何もかも素材自体がおいしいから料理がシンプルで美味しい

空は青い

酒がうまい
プロセッコ
ヴィーノ
ビッラ
グラッパ

情熱が見える

言語が綺麗
母音をしっかり発音するからメリハリがある
カンツォーネも素敵

いつまでもこのままでいてくれ
イタリア

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2019夏イタリア紀行〜プロローグ。辻邦生の追憶〜

「面白きことなき世を面白く。」
こう高杉晋作は言った。
全くもって好きでもない歴史上の人物の言ったことではあるが、この言葉には深く同感している。

この世は浮世とはよく言ったものである。
しかし、憂き世から転化したとされるこの浮世というものも、面白くなく、苦界や修行である現世に過ぎないから、高杉晋作はいかにこれを楽しむかと詠んだのである。

しかし、どうも、太陽と海に恵まれた日本という特殊な憂き世に出でた日本人というものは、太陽と海がなくては浮世を感じることはできない。

そして、太陽と海の日本とイタリアには常に大風が吹き、空気は淀むことなく浄化され続ける。

欧州から帰朝する時、ロシア上空で機内食が出、食後のコーヒーを一服する頃、日本海の上空から佐渡近辺にかけて飛行機は得てして揺れる。
僕はこれを学習し、コーヒーがカップの中で日本海の荒波と化したらくつろげないから、このコーヒーはさっさと終えることにしている。

そして、今回もそうだが、イタリア上空も毎度のごとくよく揺れる。いつか僕の乗った飛行機が、フィレンツェの空港に着陸しようとしたが、強風の影響でピサ空港にダイバードとなったこともあった。同じトスカーナとはいえ、フィレンツェ目指してピサになると交通が厄介である。

こうして僕は愛する日本と愛するイタリアに空路入る時、その飛行機の揺れで、いよいよ来たなと感じるのである。

だから風吹かず空気淀み日陰る大陸の内陸というものは、日本人には極めて不向きである。

和辻哲郎の「風土」に比して考えるなら、やはり太陽も海もないヨーロッパ大陸の内陸部では、人々も根暗であるし、また、空も人々の装いも、目につくものの全てが黒ばかりでくすんでいて、いるだけで滅入ってしまう実なる憂き世である。

しかしこの憂き世の国のフランスはものを考えるには適している。よく巷で言われることだが、フランスドイツとヨーロッパ大陸を東や北へ行くにつれて、陰気になり、自殺や精神病は増えるが、人文系の大学者を輩出する数も増えるという。出鱈目に列記しても、フランスなら先の二人はユダヤ人だが、レヴィ=ストロース、デュルケイム、ミシェル=フコー、ブルデュー、リュシアン=フェーブル。ドイツは、カント、ニーチェ、ハイデッガー、きりがない。
日本学といった外国学にせよ、フランスやドイツは優れている。

思考は、憂き憂きと気持ちを沈殿させて冷やしていかないと深まらない。
他方、太陽と海の南国では気分が浮き浮きしてしまい、思考には適さない。

しかし、僕はこの憂き世は性格に合わず退屈で退屈で仕方がない。フランス人とは性格が真逆で、気質が内陸であるフランスにも適合せず、人類史上一番フランスの似合わない人間であると自負している。向こうからしても招かれざる客である。

こうして、憂き世を浮世にしたいと思えば、日本に近いようなところへ、海と太陽を探して旅に出るより他ない。
そして、僕にとってのそれは、ヨーロッパにおいては、確実にイタリアである。僕にはムッシュ世川よりシニョーレ世川がしっくりくる。

本来なら欧州見聞の為には、北や東へも積極的に行かなくてはならないが、どうも気が進まない。いつも僕の足は勝手に南へ動き、取り分け、自分と気質の合うイタリアという浮世に向かってしまう。

ただし、どうやらフランスから南へ自然と足が動く日本人という現象に関しては、何も僕だけが特異な変態という訳でもないようである。

むしろ、日本人でフランスに来た人間や、経歴からフランスのイメージが刻印されている人間が、ヨーロッパ南部に傾倒するという、一見矛盾するようなことは意外にも常識のようである。

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呪われた帰路がもたらしたもの

2019年8月9日の17時過ぎ、僕は馬鹿をやってしまう。
パリリヨン駅発のR線、ブルゴーニュのミジェンヌ行き列車には稀に弾丸急行がある。これはジョーカーのように通常の鈍行と並行して走っている。
車体は同じだから見分けはつかず、列車には行き先が書かれていないから、確認作業を怠らずに電車に乗らないといけない。
これが弾丸急行の場合、R線の支線へ入ってしまい、フォンテーヌブローは通らず、とてつもなく奥地までノンストップで連れていかれる。

僕はその夜、地元の友達と飲みに行く約束をしていたが、あいにくパリでの用事が長引いて、待たせては悪いと焦っていた。なにせパリからの列車は30分に一本である。
そしてパリリヨン駅に着くや否や、一分後に発車が告げられたミジェンヌ行きの列車に飛び乗った。しかし、僕はこれに弾丸急行があることを忘れていたから、発車した時に車掌のアナウンスでそれを聞いて絶望した。

これは明らかに僕のせいである。
この友人に「1時間以上は約束に遅れる」と顛末を含めSMSを打ち、彼女は「呪われた帰路 Le retour maudit ル ルトゥール モーディ」そう皮肉って来た。

フランス人というのは皮肉屋であるが、こういうクスッとイケる頓知の皮肉は、ドSの僕でも認めざるを得ず、一種言葉遊びの快楽を教えてくれる。

列車はブルゴーニュ方面へと急ぎ、猛スピードでパリ郊外を駆け抜け、小一時間してシャンパーニュ・スュール・セーヌという駅についた。ここは例のシャンパーニュ地方ではなく、フォンテーヌブローより9キロ奥へ入った森の街だそうだが、初めて降りたこの駅は、まさしく森の中、乗降客も少なく、なんでこの弾丸急行が止まるのかよくわからない駅である。

とりあえず逆方向の電車を探す。

ところがついてないことに、フォンテーヌブローへ近寄る電車は二本運休で、次の電車には一時間以上ある。国鉄おなじみの突然の運休である。

IMG_0511

困ったことに駅前にはバーの一つもないから、黄昏を除く暇つぶしは何もない。
実に呪われた帰路だと感じた。

仕方なくバス停に腰をかけていたら、モレ・ヴァヌー・レサブロンというフォンテーヌブローより二つ先の駅まで行ってくれるバスが来て、これに乗ってみた。
大型バスに乗客は私一人である。

民営化したら一発で消されそうな公営バスの田舎の不採算路線である。

フレンチポップスを聴きながら運転している若い運転手は、上手に地方の住宅地を大型バスですり抜けていく。
いかにも運転好きがバスの運転手になった感じがする。

30分ぐらい田舎の道を走ったら、急に出て来たのが、ブルゴーニュ地方のマスタードで有名なディジョンに少しは近い、セーヌ川上流沿いの船着場である。0.jpg

https://www.cirkwi.com/fr/circuit/56575-batellerie-et-foret

僕は、この可愛らしい舟たちが並ぶ河岸の長閑なことに驚いた。

フォンテーヌブローはセーヌ川の真横の街というわけではないからこの景色はなく、こういう川の港町もパリ郊外の田舎にはあるものかと珍しく感心した。

そして、バスは急に素敵な石橋に差し掛かった。

それは印象派の絵画の中に、似つかわしくない大型バスが戦車のように突撃するような感じではあったが、一種のアトラクションのようでもあった。

この橋の美しさを、やはり印象派の画家が描かないわけはなく、アルフレッド・シスレーが1893年に描いた絵はオルセー美術館に収められているそうだ。

Le_pont_de_Moret_-_Alfred_Sisley.jpg

Moret Seine et Loing

こんなに美しい小さな村がフォンテーヌブローの近くにあるとは知らなかった僕は、変な興奮とともに、パリ近郊の田舎は落ち着いた趣深いものだと、このヴィラージュの牧歌的な様を楽しんだ。

この村はモレ(Moret)と言うそうだ。
今度じっくり訪ねてみよう。

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フランス人の字はなぜ汚いのか?〜アヴァンギャルドか只の下手っぴか〜

はっきりと申し上げて現代フランス人の字というものはすこぶる汚い。
あの流れるような美しい筆記体の文字はもう見ることはできない。

現代日本人の文字も概して汚い。戦前の教育を礼賛するわけではないが、戦前にしっかりと教育を受けた人たちの字は、江戸の人の字とも明治の人の字とも違って我々と近いはずなのに達筆で驚くことが多い。

現代フランス人の書く多種多様の文字は、半数以上は暗号である。

日本人の日本語の文字は今や不細工だが、我々の書く個性のないブロック体のアルファベットは少なくともフランス人のそれより読みやすい。

私の字も丁寧に書くようには努めていても、恥ずかしながら美麗とは程遠いが、そこは棚に上げて、フランス人の字はどうして人が読めないほどに汚くなったのかということを考えたい。

生徒の答案用紙を集め、採点をする。その時に、生徒の文字を解読することから始めなくてはならないことは常である。崩れたMの文字、ぐじゅぐじゅの字、アルファベットの原型をとどめていない文字。達筆の人間は残念ながら、人っ子一人みていない。

教壇からノートを取る生徒を眺める。カフェでものを書く人間を眺める。面白いのが、ノートを垂直にして体をひねって横文字を書く人がたくさんいる。日本人に例えるなら日本語を縦書きする時に、ノートを横にして体を捻じ曲げて書き付けるようなものである。

この無茶苦茶な現代フランス人たちの文字に、私はうんざりしている。姿勢良く文字を書こうと習わないのか。どうして生徒のアルファベットが、外人の私より汚いんだ、勘弁してくれ。こういううんざりである。

そして、母上が国語(フランス語)教師であったフランス人の40代の仲間に「なんでフランス人の字は読めないほどに汚いんだろうか。」私はこう愚痴をこぼした。
彼女は鮮やかに「1968年の革命のせいよ。」そう答えた。

ちなみに、1968年の教育革命の結果フランス人のモラルが低下したと考えているフランス人は左翼でも多い。

彼女曰く、それまでは、小学校で、アルファベットの書き方を画一化して口うるさく綺麗に書け綺麗に書けと叩き込む形で教えてきたが、個性尊重と自由の名の下、基礎を画一化して子供に押し付けるとは何事ぞというロジックで、こういう基礎やいろはの叩き込み教育は姿を消したという。

道理で、あれ程までに、生徒たちが一人一人「個性にあふれた」汚ふらんすな字を書くのかと納得できた。そして、「アヴァンギャルドだな」と一瞬思った。

無論、画一や強制というものはつまらぬものではある。しかし、「基礎を知らないことは、果たしてアヴァンギャルドなのか?」、そう思い直して次のように考え込んでしまった。

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Big in Otaku

Big in Japan。
日本で超有名なのに、本国で無名のアーティストのことをさす言葉である。

それを皮肉ったドイツのバンド、アルファヴィルの最大のヒット曲が、その名もBig in Japan。彼らは、そんな歌を歌ったから祟られたのか日本ではヒットせずBig in Japanになれなかった。

古くはベンチャーズ。
そして、その後Big in Japanから世界的スターになったQueenやBon Jovi。
拡大解釈をすれば、阪神の伝説的助っ人ランディ・バース、いまだにスポーツニュースに出てくるジャイアンツのウォーレン・クロマティ。クロマティはメジャーでもそこそこ成績を出しているが、こういう日本でのみ活躍し、なぜか国民的レベルで名の知られているスポーツ選手も、アメリカでは無名だからBig in Japanと言えるかもしれない。

非学問的にWIki情報だと、Small in Japanという概念もあるらしく、日本でウケを狙ってキャンペーンを展開したがしくじるというもので、AC/DCもこれに該当し、マーティーフリードマンが日本でAC/DCの知名度が低いから驚いたという。また、ジェームス・ブラウンも日本で70年代にキャンペーンを張って大赤字を出し、これをアリスが303回のライブで補填したと言うから笑ってしまう。ゲロッパの代わりにヨーロリンサンダーが日本中を雷撃し事務所を救ったのだ。

私が書いているわけではないから責任は負わないが、英語版Wikiだと、日本版Small in Japanは日本で知名度が低いのにアメリカで超有名というアニマル浜口の弟子Tajiriや、日本でウケない(私はそうは言っていない)モデルの冨永愛、知花くらら、森理世などが該当するという。
そして、マイクロソフトのゲームxboxも日本でだけ売れなかったということでSmall in Japanであるという。

しかし、Big in JapanがBig in the Worldを輩出した例として、QueenとBon Joviが出たのは素晴らしいし、嬉しいことに彼らは、ちゃんと日本にトリビュートした曲を作ってくれている。
「Teo Torriatte」も「Tokyo Road」も彼らの曲目としては、ヨーロッパでは未だに無名で、Big in Japanな曲である。それでも、フレディが日本語で歌ったり、さくらさくらがイントロなのは嬉しい。

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ブフコーベ

ブフコーベ

ブフ神戸

女子プロレスラー

そうじゃない

神戸牛

フランスの牛肉は硬い

霜降りの概念すらない

煮込んでブフブルギニョンにしてやっと柔らか

煮込まずに焼いて柔らかブフ神戸

リッチなフランス人のお気に入り

なつかしいぜ、和牛

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マリオになった僕

マリオはイタリア人の名前

僕は今はイタリア人

フランスに住むイタリア系兼日系移民

道を歩けば犬のフン

踏むのは御免真っ平御免

マリオのようにジグザグ歩行で時にホップ

フランス人はマリオじゃない

ルイージでもない

彼らはまっすぐフン踏んで歩く

その靴で家に入る

免疫力を上げる自然派療法

マンマミーア

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キセルじゃないよ

切符を買う

郊外への列車に乗る

いけない、急行だった

もう遅い

列車は次の駅まで猛スピードで走る

こんな時に限って車掌が大勢で車内改札に来る

理由を言っても問答無用

気分は犬養、犬養毅

キセル乗車で罰金さ

日の本の乗り越し精算のありがたきこと

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八百屋さん

八百屋さんがまだまだ元気

八百屋さんが生きている

その日によりけりの野菜に果物

野菜も生きもの

果物も生きもの

僕らも生きもの

みんな機械なんかじゃない

急いでカゴに入れて野菜を買った

冷蔵庫にいれよう

腐っている

どうして腐ったものを平然と売るのさ

生きものだから腐ることもある

この法則をわすれた客がわるいのか

それとも八百屋さんのプロ意識の欠如か

セラフランス

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無賃乗車撃退バス ~ジャンバルジャンの追憶~

2019.8.6. P.M 17:06.

僕はフォンテーヌブローの駅へ行くバスに乗った。

運転台の斜めうしろ横の席へ座った。

フォンテーヌブローの中心街の最後のバス停で、あるアラブ人の若い男が、運転台横の改札機側の人溜まりの後ろから無賃乗車を試みた。

バスの若い運転手はこれを見逃さなかった。「ムッシュー、スィルヴプレ!」
運転手はこの男を呼び止めた。

男は不服そうな顔をして降車した。

駅まであと4つ程度の停留所で、ティーンエイジャーの白人カップルが乗ってきた。

2人して金も払わず、パスカードをタッチするわけでもなく、平然と無賃乗車を試みた。

運転手は既に車両の中程に達した彼女を呼び止めた。

「マダム!」

女は運転台横へ引き返し、彼氏は「いいだろ」というジェスチャーをして粘る。

「だめだ、降りなさい」

運転手は彼らの乗車を拒否した。

二人はバスを降りて、小雨降る道を駅の方へ歩き始めた。

運転手はバスを発車させ、彼らを通り過ぎる瞬間に、してやったりといういたずらっぽい笑顔をして僕に同意を求めた。

僕は運転手によくやったと笑い返した。

――――

無賃乗車はフランスの名物である。

あるいは電車の改札を飛び越え、あるいはバスで平然と改札横を通り過ぎる。

無賃乗車のスリルを味わうフェティシズムか。
それともケチなのか。

不愉快なのが、ケチな無賃乗車フェティシストたちは、注意されると、恥じらう訳でもなく、むしろムッとした表情を浮かべることである。

彼らが平等を求めるサイドの人々なら、平等に運賃を払わなければ、不平等を悪徳に味わう不平等礼讃主義者に陥ってしまっているというロジックに、彼らは気づいてもいない。

僕はよくこんなことを思う。

無賃乗車をすればギロチンになるか。あるいはジャンバルジャンのように19年の牢獄生活になるか。

このぐらいの恐怖の劇薬がないとフランスの民度は上がらないであろうと。

僕が現代の詩人、思想家、モラリストとして崇めるスティングはEnglishman in New Yorkでこう歌っている。

If “manners maketh man” as someone said
He’s the hero of the day
It takes a man to suffer ignorance and smile
Be yourself no matter what they say

Modesty, propriety can lead to notoriety
You could end up as the only one
Gentleness, sobriety are rare in this society
At night a candle’s brighter than the sun

今僕はパリへ登る列車の中でEnglishman in New Yorkを聴いている。

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