8年のフランス生活にお別れを (1) 〜アイデンティティを探して〜

運命の流れに乗ってフランスに来て、運命の流れに乗ってフランスを去る。

「今時の若者は10年ぐらいは海外に行け」そう父は言った。
「就職して毎月お給料が入るようになると、そこから抜ける怖さから、思い切って海外へ出るチャンスがなくなる」そう母は言った。

だから、高校ぐらいから漠然と抱いていた海外から日本を眺めるという欲求を、海外の大学院進学という形で決意した二十歳の頃。
学習院大学の史学科で日本近世史(江戸時代)を専攻しながら、国際交流サークルを主宰しつつ、自然と道は学問栄え、良質な歴史学のあるフランスへと繋がっていった。

亡くなったり縁が切れた方もおられるが、そこにご尽力下さった、先生方や友人には今も感謝が尽きない。

なぜ、歴史に打ち込むことになったのか、なぜフランスだったのかしみじみと振り返ってみる。

受験勉強の類が嫌いな僕は、当然早慶は落ち、かろうじて上智や横浜市大、明治学院などに合格し、進んだ先は学習院であった。
それは、合格したのが史学科であったからだ。

就職を狙っていれば、上智を選ぶに越したことはないが、史学に道が開けたのは「御先祖様の思召」との家族会議である。

歴史を考えずにはいられない人とのご縁など、身に起こってきた様々な体験がそう考えさせることもあるが、僕が運命論者で、あらゆることを「先祖の意志」だと思い諦観し納得するのは、こんなロジックが発動する家に生まれたからに他ならない。

僕の幼少期の初めての記憶は、父親が枕元で話す、「うちは御馬廻の武家で」というものである。大人になってから様々な人と関わってわかったが、フランス人も日本人も、古い家の人間たちはみな家の歴史を強く認知しながら、アイデンティティを形成するもののようであり、またそれを次世代へ紡ごうとする意識が強い。

父親の「御馬廻」の発音が、現代語や歴史用語的に「おうままわり」ではなく、江戸時代のままの「おんままわり」であることも、江戸時代が終わってからも尚、家の男どもが代々子供たちに言って聞かせて、せめて騎馬の武家である意識ぐらいは維持しようとしてきたことの証左である。
しかし、江戸時代はどんどん遠くなりゆく昔のこと、さらには士族という称号もない平成の時代である。

武家の人間といっても丸腰で街を歩き、もはや寺にでも行かない限りは、武家を「御武家様」として遇する人もいない。初対面の人間から、唐突に「あなたは武家の方ですか」と言われたのは、大人になって今のところ日本人フランス人双方に数回あるが、苗字とて徳川や松平でもあるまいし、そうはそうそうあるものではない。

だから、子供時代の僕は普通の腕白な子であり、決して武家の子供には見えなかったであろう。

しかし、表では一般的な家庭の子供であっても、先祖を重んじたり、元服の年齢を過ぎた中学からは完全に大人扱いで、一切指図を受けない放任の家に先祖を重んじる身内に囲まれて育つと、やはり、自ずと歴史というものに興味を抱くことに繋がる。

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コロナの中のふらんす (3) ロックダウンにみる日本人とフランス人

3月14日、土曜、20時前、フィリップ首相が生活に不要な公共空間の零時からの封鎖を宣言。
3月16日、月曜、20時丁度、マクロン大統領が翌日正午からのロックダウンを宣言。

14日の首相の宣言で、バーもレストランも閉鎖され、移動も制限されるという事実が知れ渡ると、我々の脳裏には武漢とイタリアの例が既にある訳であり、その宣言が今後ある程度の期間において何を意味するのか理解した。

パリや近郊のアパルトマン暮らしで、実家やセカンドハウスや祖父母の家が田舎にある人は、仕事でどうしてもパリを離れられない訳でもなければ、せっせと荷造りをし、15日16日の間に旅立って行った。

都市のメリットというものは、展覧会やライブなどのイベントに事欠かないこと。仕事がたくさんあること。飲食店が選り取り見取なこと。人との交流が活発なことにある。

逆にデメリットは、家が狭いこと。空気が汚いこと。物価が高いこと。田舎の地場の食べ物より生鮮食品の品質が落ちることなどにある。

もはや、ロックダウンされるならば、都市は都市の全メリットを失い、都市にいる必要はなく、田舎のある人間はこの強制的バカンスを都市で過ごす訳には尚更いかないと、脱出していったのだ。
勿論田舎は、コロナが蔓延する都市からそそくさと来る人を歓迎した訳ではない。

月曜には、今夜大統領の発表が20時からあると、どこからともなく風聞が入り、テレビのある人間はテレビを、パソコンのある人間はYouTubeを、ラジオのある人間はラジオを点けてそれに備えた。
当然、皆が予知したように、正式にロックダウンになるお触れが出た。

そこから、ひたすらな退屈が始まる。

インターネットとスーパーマーケット以外の空間における人との関わりを絶った強制的世捨て人として蟄居するだけの日々である。
外出は最短距離のスーパーへの必需品の買い出しと、自宅から1km以内の散歩に限られている。
外は日中だというのに真夜中のように静まりかえり、スーパーに行っても人は息を潜め1mのソーシャルディスタンスを取り、速やかに家に帰る。
気分転換に道草を食って警察や憲兵に見つかれば、絞られるか、数万円の罰金である。

それでも、何か理由をつけて外に出たい気持ちになる。
そうでもしないと、運動不足にもなるし、家の中の淀んだ空気を吸い続けるはめになる。

あるニュースでは、コカコーラを買うためだけにスーパーに行ったおばさんが、憲兵に呼び止められ、コーラのみは不用品の買い物だから、次やったら毎回135ユーロの罰金だと叱られている。

https://www.sudinfo.be/id175441/article/2020-03-23/vous-prevoyez-une-gastro-ou-quoi-un-policier-fait-la-lecon-une-cliente-qui-sort

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コロナの中のふらんす (2) マジでパンデミックする5秒前

2020年2月下旬、イタリアで突如としてコロナのパンデミックが始まった。

そのことは日本人同様隣国のフランス人たちも知ってはいたが、ボローニャやミラノといった北イタリアを中心にしたパンデミックであったことから、北フランスの人間たちにとっては「北イタリアが大変」といった感覚であった。

フランスでの罹患者もいたにはいたが、1月の終わりから2月の半ばにかけてコロナにかかったのは数人から十数人の規模で、中国から帰国した人などであった。そのため、未だ、危機感の尻に火がつかない。「イタリアでも武漢のように都市が封鎖されたし、韓国や日本も中国に近いから危ないし、ダイヤモンドプリンセス号も大変ね。」という程度のものである。

面白いことに、こうして他国の出来事を人ごととして眺めることは、無意識に人々の国民国家意識を浮かび上がらせる。

今のEU諸国には国境はなく、フランス国民やイタリア国民は同等にヨーロッパ市民である。EU諸国の航空便は国内線であり、ヨーロッパで一つの統合体であるから、出国手続きもいらない。

イタリアのパンデミックも、本来ならば、ヨーロッパで起きている出来事なのだから、イタリアで起きていることはフランスで起きていることと一緒と考えるのが筋と思われる。
はなまるの模範解答は「国の概念を撤廃してヨーロッパ人として思考し連帯する」である。

しかしヨーロッパは統合されているといっても、各国家があり、言語も違い、ベースとなる民族も違えばアイデンティティも歴史も違う。試みにヨーロッパ人に「何人?」と聞けば、「フランス人」だの「イタリア人」だのと答えても、「ヨーロッパ人」と答えるものはいない。

こんな調子だから、事の重大性がわかる医者や汎ヨーロッパ主義者は別として、フランスにいる普通の人間たちは、イタリアにおけるパンデミックはイタリアのことであると他人事として捉えてしまう。

2月の末にオワーズ県を中心に感染爆発が起き、一気にフランス人の罹患者が100に到達したが、まだ死亡者数が2人であったことも、他人事感に拍車をかける。

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コロナの中のふらんす (1)パンデミック前夜

(目下起っているフランスのコロナ封鎖の中に在りて、自分が感じることを書き留めておきたい。2012年の秋に渡仏してから、フランスでの生活はまさしくフィナーレに差し掛かった。花火大会で云えばしだれ柳の頃であるが、最後の最後でこうなるとは想像もつかなかった。思い返せば、二度のテロ、黄色いベスト、コロナによる封鎖というフランスの歴史的な出来事の中に身を置いたことになる。)

2019年の末に武漢に発したとみられるコロナウイルスは、2020年の1月には武漢の都市封鎖という形で世界の注目を集めた。

その時の個人的な感覚は、以前のSARSのように、中国国内での流行で、じきに終息するであろうというものであった。

SARSの流行は、僕にとっては、高校の先輩方の中国修学旅行が中止になったのを気の毒に思った程度で、経済は別として、日本に健康的な実害はなかったから、その再来のような気でいた。

また、フランス人たちの目からすれば、少なくとも2月あたりまでは、中国本土、朝鮮半島から日本、あるいはせいぜいペルシャあたりの遠くの出来事であり、当時はもっぱら「中国人よ移してくれるな」という社会的な空気が醸成されていたに過ぎない。華僑や中国人が大挙して祝う春節のイベントが中止されたから、まだ、コロナは中国人たちのものという印象であった。

一方日本のメディアは、国際ニュースにおいて、「中国でのコロナ蔓延に伴い、ヨーロッパでアジア人が差別されている」ということばかりを報じているように見受けられた。

メディアが差別差別と論じれば論じるほど、「コロナのせいで、中国人やアジア人が色眼鏡で見られ、時に暴力・暴言を受ける」というように、差別問題は極めて単純化されてしまう。

コロナと差別に関して言えば、単純に、コロナのせいで差別が始まるという訳ではなく、コロナは差別をする理由の一つとして追加されるということである。もともとフランス人やフランスの移民たちの中にある中国蔑視が、コロナウイルスという差別を表面化させる一つの理由を得たに過ぎないのである。

フランスに住めばアジア人が差別的な意味合いにおいて「Chinois シノワ(中国人)」と言われることはままあるが、コロナウイルスのせいで「コロナ!」と言われたり露骨に嫌な顔をされるアジア人が増え、その中には中国人と思われた日本人も含まれるから、メディアはこの部分だけを切り取って騒いだのである。

日本人にも、白人を見たら全員アメリカ人に仕立て上げて「ハロー」「センキュー」とやる癖があるように、欧米人からしたらアジア人は全員中国人で「ニーハオ」「シェーシェー」なのである。

慣れれば、北欧系・東欧系・地中海系・ゲルマン系・フランス人というように、白人の顔もなんとなく見分けがついてくるし、黒人もエチオピア辺りの人なのか、カリブの黒人なのか薄々勘付き出すが、それは白人たちにとっても同じで、慣れた人は漢朝鮮大和の三民族の顔を見分けるが、普通それをしろというのは酷である。

僕もその頃2回ほど、コロナにまつわる暴言を受けた。

一つ目は、ジムに行くために、オペラ座の近くにある百貨店ギャラリーラファイエットのそばを歩いていた時に、連れ立って歩くブルジョワ体の白人老夫婦の老婆から「Monsieur Microbe ムッシュバイ菌」と言われた。この時は、バイキンマン的なこの語呂の絶妙さに内心笑ってしまった。

ギャラリーラファイエットは、今や中国人観光客が観光バスで押し寄せる爆買いのメッカであり、免税館の前は中国かと見紛う程である。

この発言を吟味すれば、保守的な白人の一部には、移民嫌いが当然いて、移民のせいでフランス人の仕事が奪われ、フランスの社会保障が食い荒らされ、フランスの伝統文化が毀損され、国体がめちゃんこになるという風に考えている人もいるし、中国人観光客に目くじらをたてる人間も多いから、爆買いのメッカという場所柄もありすれ違った僕に嫌味の一つも言いたくなったのであろう。

逆に考えてみても、もし白人発や黒人発の病気が世界に蔓延すれば、日本でも知性の低い人間が、その人種の人間にすれ違いざまに何か言うことはあるだろうし、表面上何かをしないまでも条件反射的に怖いと思って避けたりはするであろう。そういうことはその人間のレベル次第で残念ながら起きてしまうことだと思われた。

二つ目は、フォンテーヌブローで行きつけのバーに飲みに行った帰りの道すがらである。タバコを吸いつつ歩いていると、近郊の移民街から町場へ飲みに来たであろう黒人のグループの女からタバコをねだられて一本やった。この際に黒人の男が笑いながら何度も「コロナウイルス」と僕にくり返し、この女がたしなめたというものである。

これに関して吟味する。

無論僕にも黒人やアラブ人の友達はおり、移民の中にも社会の高位にくみしたり、品の良い人間もいるから100%の論を構築することはできないが、黒人・アラブ人・華僑というフランスの移民の三大グループは、なれたとして下層労働者とならざるを得ない黒人やアラブ人、比して商人の力をして中華世界を構築しフランスでやっていけている華僑というように概要できる。そしてこれら三つはそれぞれの人種共同体に閉鎖し他を嫌う。

アジア人は小柄で屈強ではないから攻撃性はなく、「金持ちけんかせず」ということもあり、黒人やアラブ人に差別発言をしながら向かって行ったりすることはほぼ見受けられない。対して黒人やアラブ人がアジア人に危害を加えたり、刃向かわないのをいいことに派手な侮辱を加えることはザラであるから、そういう底辺の人間の嫉妬や心の膿の部分がそうした鬱憤ばらし的な行動を起こさせている、という哀しいよくある出来事の一つに過ぎない。

このように、2020年初頭のフランスにおいては、中国人がウイルスをばら撒くから、「中国人は来ないで、近寄らないで」という雰囲気があり、低俗な人間が道でアジア人を見るや否や中国人とみなし、公然と嫌な顔をしたり、暴言を吐く場合もあるという、不寛容や差別が条件反射のウイルスに対する怖さに混じって現れるというコロナ情勢が見受けられた。

そして、社会生活は通常運転。コロナの蔓延が中国で始まり、徐々に広がりを見せていることは知ってはいても、対岸の火事であり、ジムのサウナの話では、「サウナの熱でコロナウイルスなんか死んでしまう。」「コロナビールが風評被害を受けているらしい。」そんなことを人々は言い合い、バーではみんなコロナの話をしつつも、我関せずと酒を飲んでいた。

そんな、呑気な日々であった。

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煙草と仏蘭西

仏蘭西は煙草の大国であったはずである。
褒められたものではないが、道には今でも煙草の吸殻が溢れている。

煙草は思考のシンボルであると、僕は今でも信じている。
臭い煙を吐きながら、呼吸を整え、思索に耽る。

体に悪いとわかっていても、そうすることで、何らかのスイッチを入れる。

目に見えて感じるのが、最近の仏蘭西の若者たちは、煙草を吸わないことである。
試みに生徒に聞いてみると、50人中2人ぐらいだけが、煙草を吸いますと答える。

紫煙を燻らすこの仏蘭西の文化で、世代が降れば降るほど、喫煙者はマイノリティになっている。

僕は、なんだか、自分が、とんでもない爺さんのような気分になる。

価値観や常識や時代というものは、こうして変わっていくのである。

僕は、煙草が必要悪から完全悪に変わる過渡期の時代の世代である。
この下の世代からは、急激に喫煙者が減る。

価値観や常識や時代は不変不滅ではないのである。

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フランスと切符

キャビンアテンダントの友達が、僕にLINEを寄越した。

「今同僚がパリにいるんだけど、切符の抜き打ち検査で、電子不良で切符を通していないと見做されて、50ユーロの罰金を払わされた。説明しても、切符を携帯やクレジットカードと一緒に入れるなと言われたらしい。」

「これがフランスの洗礼だよ。」

こんなことを話した丁度数時間後、パリリヨン駅の地下鉄の通路で検閲があった。

大きなスーツケースを横に、観光客と思われる金髪の女の子が泣いていた。

何かのっぴきならない事情があるのかもしれないから、泣かすまでのことはないであろう。
そんなことよりも、改札を飛び越えたりするような懲らしめるべき悪党がいる。

ヤクザよりもチンピラ、高級役人よりも小役人。
なして、権力の末端にいる奴ほど、横柄であり、つまらぬ権力を民に振りかざすのであろうか。

フランスの改札のシステムは、大体は、入るときにチケットを通して、それで終わりである。
知らないで途中で切符を捨てたり、乗り越し精算もないから、間違って乗り越して見つかれば万事は休する。

また、しばしば、チケットやIC定期が通されたのに、扉が壊れて開かず、二度は通せないから、改札内に入れなくなることもある。

あるいは、駅の全ての改札が故障していて開け放たれており、乗車券を通せない状態で電車に乗らざるを得なくなることもある。

改札が頻繁に故障し、エスカレーターやエレベーターも動いていれば御の字。機械化しても運用できないなら、労働人口も増やせることだから、改札から何から全部人力社会に戻してくれ。そう常に思っている。

そのため、この中途半端な機械化社会のフランスで、一番外国人が洗礼を浴びるのが、電車の罰金であろう。

僕は、渡仏当初に知らないで乗り越して罰金を払ったことがある。急行電車に乗ってしまい、切符のゾーンを超えたのである。
たまたま隣のボックスシートに乗り合わせた、そうは見えない日仏ハーフの女の人が助けてくれようとしたが、問答無用であった。
そんなことはどうでも良いが、美人だったから連絡先を聞いておくべきであった。

あるお方は、知人からいらないからと譲り受けた切符が小児用で、気付かずに使ってしまい、検閲でそれが発覚して罰金を払わされるという罰ゲームのような展開を僕に話してくれた。
日本の小児用切符のように○に小などという分かりやすい印字はしていないから、実に罰ゲームである。

フランスの小役人は脳無耳無であり、問答は無用であるから、言い訳したって泣いたって無駄で、難癖をつけられたら終わりである。

フランスの皆が鉄道マンを馬鹿にして嫌うのは、こういう人の心なく、罰すべきを罰せず、人の過失に漬け込むような、徴税請負人のような彼らのいやらしい小役人ぶりにこそあるのである。

フランスの鉄道だけは、寸分の狂いなく、完璧に完璧を重ねた完全無欠の用心をして乗らないと、痛い目に合う。

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さようならジャック・シラク

ジャック・シラクはとにかくカッコいいフランス紳士であった。
僕もそんなにフランスの政治家を事細かに知っているわけではないが、議論好きな友人たちとの政治談義でジャック・シラクの話が出ると、決まって「カリスマ性のある政治家だった」というような言葉が聞こえてくる。

同じ白人国家ながら、イラク戦争へ公然と反対したりと、アメリカに対して毅然とした態度をとるような彼のカリスマ性は、アングロサクソンのみならず欧米にフランスありという、フランスの我が道を行く大国らしさが発揮された最後であった。
サルコジもオランドも急激に人気を落とし大統領改選に失敗し長期政権が築けなかったり、マクロンもこの有様だから、シラクは直近の大統領の中で一番強いフランスのリーダーであったことは間違いない。

そして、この強大な権力者が日本贔屓であったために、日本はたくさんの恩恵を享受している。

蓋しフランスというのは、権威主義の国家である。
権力を持つヒエラルキーが上の人間の鶴の一声で、あらゆることが決まる社会である。
逆に言えば、権力を持っていなければ、下からつついても、うんともすんとも物事は動かない。大学でも役所の窓口でも駅の窓口でもどこでもである。

こんな権威主義のフランスであるからこそ、パリ市長からフランス大統領に昇ったジャック・シラクは、パリやフランスの首領という権力者として、その日本愛の赴くままに、在任中様々な日本関連のイベントを打ち外交を展開した。そして、たくさんの日本愛の詰まった歴史を生み出して残してくれた。

これは明らかなる恣意である。彼が日本嫌いであれば何も起きていないし、彼が中国贔屓であれば、中国が優遇されていたに違いない。

首相は別であるが、大統領やパリ市長や東京都知事などという存在は、一極集中の権力を持つから、恣意のままに権力を行使してものごとを動かすことができ、それ故恣意をむき出しにした政治のカラーが生まれる。
例えて、青島幸男東京都知事が世界都市博覧会を東京都議会の開催決議を無視して中止できたり、小池百合子知事が豊洲移転をスタンドプレーでこねくり回せるようなことである。

そのため、こういう恣意でジャック・シラクは、戦後の日仏交流を一気に加速させた。

具体的にどのようなことを彼がしたかと言えば、パリ市長として13区のイタリア広場に建設する大映画館のグランデクラン(現在は映画館兼ショッピングセンター)の建築をフジテレビや東京都庁でおなじみの丹下健三にダイレクトに依頼する。そして、大統領になった際には、彼にレジオンドヌール勲章を贈呈する。1995年にはパリで大相撲の巡業を開催する。そして、1997年をフランスにおける日本年に制定しイベントを打つ。
美術・工芸品の海外流出とも言えなくもないが、ケ・ブランリー美術館とタッグを組んでの、日本の絵画や竹細工の収集。
おまけに隠し資産はスイス銀行ではなく東京相和銀行。

最高の大統領である。

事実、彼が大統領のあいだに、日本とフランスの交易額は倍になっているから、これは様々のジャック・シラクの恣意的な権力のおかげと言える。今に日仏が強固な友好関係にあるのは、確実にジャック・シラクの鶴の一声があり、逆に言えば、彼が親日家でなければ、今の日仏関係はこうはなっていないとも言えるし、フランス人に日本という国のインパクトがここまでは与えられていない筈である。

このようにフランスは権力者の恣意が効くからこそ、サルコジなどは特にそうだが日本に興味がなかったり嫌いな人間が大統領になると、日本関連の予算は削られるし、日仏関係のイベントも国家権力に見てももらえずに停滞し、日本のフランスにおけるプレゼンスが低下することになる。去年のジャポニズムの一年も、シラク大統領であったなら、もっともっとインパクトのあるものになったはずだ。

2選12年もの長きにわたり大統領の座にあったシラク時代に、フランスの日本界隈は優遇されにされてきたから、その反動は冷遇されるかのように大きい。

さて、不思議に思うことがある、調べ上げても、これだけ日本を愛し、フランス史上最大の日本の庇護者・発信者のシラク元大統領閣下には、日本の栄典が見受けられない。

アメリカ人などに実例があり、外国人にも与えうる範囲での最高の勲章である桐花章や、旭日大綬章ぐらいは没後追贈で日本国は差し上げるべきである。

旭日大綬章なぞ、東京大空襲を立案実行した最悪のアメリカ軍人カーチス・ルメイやとんでもない日本の政治家が受賞しているのに、シラク大統領がもらえない道理はない。カーチス・ルメイと同じだと嫌だろうから、桐花章が相応しい。

そのぐらいの日仏関係史に残る伝説の男がジャック・シラクであった。

さようなら、ジャック・シラク。

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日本・西洋、親子のちがい

日本とヨーロッパでは親子関係のあり方が極めて違う。

日本人の感覚をしてわかりやすく言えば、ヨーロッパではファザコン・マザコンが普通だということである。

日本では、親離れ子離れは社会の大人としての嗜みであり、親子がベタベタするということは、ファザコン・マザコン、子離れできない馬鹿親というものを除けばないであろう。

さて、ヨーロッパに暮らすと、フランス人や、イタリア人も、「日本とヨーロッパは遠いし、さぞ寂しいでしょう。親御さんには毎日電話していますか?」というような質問をよくしてくる。

そして、「いいえ」と日本人として当たり前の答えをすると、日本文化を知らない人なら、冷たい親子関係、冷めた家庭、というような驚きの表情をする。

この西洋人の眼をして、冷めきって映る日本の親子関係は今に始まった事ではない。

安土桃山時代に30年も日本で布教活動に励み長崎で亡くなったバテレンの宣教師ルイス・フロイスは、日本人の親子関係がいかに自由奔放で勝手で個人主義的であるかをネガティヴに捉え、こう書き残している。

「ヨーロッパでは、男女とも近親者同士の情愛が非常に深い。日本ではそれが極めて薄く、互いに見知らぬもののように振舞い合う。」
「ヨーロッパの親たちは仕事があれば、息子と直接に交渉する。日本では全て使者または仲介人を通じておこなう。」(ルイスフロイス、ヨーロッパ文化と日本文化)

数は少ないが、今でもフランス人の切支丹は、一家団欒というものを基調とする家族家族家族家族の文化を持つから、皆で夕餉を囲むのが基本で、家族がバラバラに夜に家を空けて街に繰り出し飲み歩いたりすることはない。
また、そもそも、家族が冷えているということだけではなく、酔っ払うこともキリスト教では罪だから、バーとも遠い生活になる。
だから、バーやナイトクラブに繰り出してガブガブ飲むような西洋人は、切支丹ではないことが普通である。ライフスタイルが切支丹とそれ以外では違うのである。

それに比して日本はファミリー的な家族というよりかは、家の文化であろう。
日本人は家族ということに関しては自由奔放でドライだから、家族の絆とか一家団欒ということを日本人が絶対的な価値で目指すべき美しいものと目的化することは、やはり座りが悪い。
日本人は結果的に家族が緩やかに結びつき、割に仲がよかったよねというのが一番しっくりくる。
ベタベタした家族など気色が悪い。
普段はベタベタせずとも、家名を共有し、同じ先祖の子孫として結びつき、家名や墓や財産を継承する家族の在り方である。

そして、日本人が家を巡ってドライな人々であるからこそ、家にまつわるものが骨肉の争いとして表面化した場合は、崩壊と爆発の仕方が生半可なものではない。江戸時代にも、連座制を免れるために「義絶」などと言って、親子や親族関係を公的に切るものがあったが、今も「絶縁」などという弁護士を立てれば限りなくオフィシャルにできる言葉や文化として残っている。

一番有名な肉親たちの抗争はやはり、京で10年も続いた応仁の乱で、これは武家畠山家の家督争いで親子兄弟が血で血を洗う抗争をしたことに、細川家や山名家の室町幕府における勢力争いなどのあらゆる問題が結びついて大規模化した乱である。

もちろん人間の社会であるから、ヨーロッパにも遺産相続の揉め事などで親族が絶縁したり、兄弟仲が修復不可能になることはある。ドイツの名音楽家ワーグナーの子孫が、彼が死しても尚産み続ける莫大な資産を巡って大げんかをしていることは有名な話である。しかし、やはり、彼らは常日頃から、日本人からしたら逆に重たかろうと思えるほどに家族、特に親子の結びつきがべったりとしている。

離れて暮らしていれば、毎日欠かさず親子で電話をする。
親の方が子供の方へ接近してくる。
子供もおじさんおばさんになっても、パパママンとやる。

そういう精神的にも見た目的にも強固な結びつきである。

そして、面白いのが、彼らは関係が悪化した親子関係の中の愚痴を除いて、表向き親や子を褒める文化を持つことである。

日本は逆に、そんなことをすれば品性や慎みに欠けた親馬鹿を公然とする馬鹿親ということになるし、子供がそんなことをしていても、極めて気持ちの悪いことである。
むしろ日本は、「うちの愚息は」などと、身内を良く言わなかったり悪く言う謙遜という独特な文化であり、これは西洋には存在しない。

また、日本には、「お前の母ちゃんでべそ」、という意味のわからない、しかしそこまで人を傷つけているとも思えない悪口がある。

こんなことを西洋人に言ったら、人の母上を毀損したとか何とか言って大変なことになるであろう。

積極的に西洋人は、子なら、「パパは優しくていい人」「ママは優しくて今でも綺麗」などと平気で人に言ったりする。
そして親は、「うちの子は優秀で」「うちの子はハンサムで」「うちの子はいい子で」と、実に人に良く言う。
あるいは、人前で親子がハグをしたり、触ったり、髪を撫でたり、頬を寄せたりという光景も全く珍しいことではない。僕がびっくりすることを具体的に言えば、お父さんが娘の髪に触ったり、お母さんが息子の頬にキスをしたりするということである。

特に友達の家になどに招かれれば、家の中でのこういう光景は普通であるし、「我がいとしの子供よ」「私のいとしのパパ・ママン」などという言葉がけも普通である。

日本人からすれば子が年老いた親の手を曳くとか、孫と祖父母が手を繋いで歩いているなどという孝行のコンテクストの中のボディタッチは美しくこそあれ、親子がいい歳こいて何を触りあっているのかという年齢層の段階においては、やはり気色が悪いことであろう。

逆に言えば、向こうからすれば、日本人はやはり、親愛の情が見えないからこそ、薄情な親子たちに見えるであろう。

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健康診断日本とフランス

フランスには2019年2020年度の新年度がやってきた。
始業式もなければ入学式もないフランスの新年度というのは、新しい年度の始まりを感じさせる明確な知覚を伴う訳ではない。
それでも、大学に新しい顔が一気に増え、教員の入れ替わりがあり、7月8月と続いた夏休みの後に久々の級友との再会に心躍らせる学生たちの笑顔があり、かたや、姿が見えないことから、大学を去ったことが明確になる学生の面々をふと思い出し、新年度が確かに始業したことをゆるやかに感じるのである。

僕はふと日本の新年度の時節を思い出す。

幼稚園は記憶がおぼろげにせよ、小学校、中学校、高校、大学と、新年度には桜が咲き、始業式があり、入学式に向かうであろう人々を街中に見、自分が時にその中の一人となり、そして、健康診断があった。

小学校では校医による検診があり、中高と大学では学校中が検診のための診察室となり、校庭に検診車まで持ち込んだ大掛かりな健康診断が為された。

思えば僕はここ数年健康診断をしていない。

フランスにおいては、大学の新年度に学生向けの一斉健康診断があるわけでもなく、教員向けの健康診断も、我々年季奉公の下っ端には行われない。

フランスでの僕の健康診断はたったの一回、2012年の秋に、初回の学生ビザで入国したことに伴う手続きで、OFII(オフィー)という移民局での健康診断をしただけである。しかしこれは極めて形式的であった。朝早くからパリのバスティーユ近くの健康診断用の庁舎にならび、血液検査も尿検査も検便も心電図もない、極めて町医者の問診的なものとしての健康診断であったから、血液や尿などの値がどうのこうのということに関して、僕の体は、少なくとも7年以上吟味されていないことになる。

だから僕は、体の成分を分析するという近代的な健康管理の為されていない前近代的な自分の体に自我を宿していることになる。
具体的に言えば、僕は今、自分が糖尿病なのかも、小さな癌があるのかも、もともとの低血圧が悪化しているのかも、一切知らない。

そこで僕はふと自分の死について考えた。

死というものは、癌などの疾病により、自分の死の到来が近いことを予測しながら訪れることもあれば、事故死や突然死、自殺という形になることもある。

しかし、この後者3つを除けば、日本は特に、勤め人なら勤め先、退職者なら役所から、ほぼ義務のようにしょっ中健康診断で体の状態をチェックされ、できる限り健康で長寿に、そして、万一病に倒れてもできる限り寿命を伸ばそうとする社会である。

ここまでの健康診断社会ではないフランスで図らずも長く暮らしたことで、僕は、こうした、寿命を伸ばすために、日頃から半ば強制的に管理される日本の健康管理の在り方から意図せずに抜け出した。
そして、自分は、パスタをこねるようにして、まやかしで伸ばしに伸ばした現代的な寿命ではなく、健康診断もしなければ、手術もしないという純粋な寿命を全うしてみたいなとふと思ったのである。
完遂できるかはわからないにせよ。

前近代の日本において「人生五十年」などと言われていたのは、誰もが知るところである。

そして、もし健康診断をせず、手術や病後のストイックなリハビリもしなければ、おそらく現代でもそこまで人間は長生きしないはずである。

体は生きている限り頑丈に元気でありたいから、ジムで体を動かしてはいる。しかし、近代的に健康を数値で管理し、悪いところが出れば手術と薬で対処しながら長生きしたとして、どれだけ頑丈で健脚な人でも、80代半ばが肉体の充実の限度である。

そして、無理に寿命を伸ばそうとするからこそ、現代の日本の老人は、肉体が朽ちていくのに内臓だけがやたらと元気であり、のみならず、今の医学では脳味噌や知力だけはテコ入れできないから、必然的に長生きすればするだけ程度の差こそあれ呆けていく。

一人であちこち歩き回って出かけることは不如意になり、家やせいぜいデイサービスを中心とした生活になる。友達が生きていてもそんなには会えないし、友達はどんどん死んでいく。外界との接触が減るから、話題もなくなり、同じ事ばかり言うようになり、若者から疎まれる。

社会においても、「保険料を浪費しやがって」「医者をコミュニティセンターみたいに使いやがって」「薬ばっか飲みやがって」と邪魔者扱いされ、もの言えば「老害」などと言われる。

この現代の老人の在り方を避けるために、健康診断をしないということは、一つの解になるかもしれない。

もし、健康を数値化して管理せず、肉体だけを動かしておけば、運が悪いと長患いするけれども、前近代の人たちのように割に鮮やかにさっと死ねる確率は上がると思うのである。

目下日本では、当たり前のこととして、小学校ぐらいから毎年健康診断をして、子供の頃から健康を神経質に管理する、日本人らしいと言えば日本人らしいきめ細やかな健康管理社会が成立している。
これからの解放である。

フランスはここまでではないから、多少前近代的であるし、身近にフランス人の老人がいないから知らないが、日本人のように薬漬けで、無理くりに寿命を延ばしに延ばそうと、自分の意思とは無関係に強制されているような感じは受けない。

「花は桜木人は武士」と言う。
しかし、現代の日本人は武士を称揚しながら、かたや、寿命を無理に伸ばす社会であり、その事自体、士道からは相当離れた、しみったれたものであろう。

実に理想は、武士ならば堂々と骨太に真っ正直に、そして桜のようにぱっと散ることにこそあれ。

そのために、健康診断からやめて、健康維持は全て自分の感覚にのみ頼り、食と肉体の鍛錬だけに絞ってみたい。ふと新年度にこう思ったのである。

もちろん日本社会に帰りこれに組み込まれれば、健康診断をしないという事自体、限りなく不可能に近いであろう。そうなったら、データの紙は見ずに捨てて、医者の言うことは無視する。そういう人生のあり方も、ある意味武士的でいいかもしれない。

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グラシ不安心グラシアン

家に帰り料理をする。
ふと足元を見ると、キッチンの下から水があふれている。
スマートフォンで写真を撮り、即大家さんにメールを打つ。
大家さんは明朝に確認に来ると言う。

シンクの下を確認しても、その配管から漏れ出している様子はない。
とりあえず、水に布をかけ、応急処置をする。

翌朝に大家さんが来る。
キッチンの下を覗き見ると、確かに水は出ているのだが、問題の配管が見当たらない。
壁の奥から水が漏れ出しているのか、床の下に配管があれば、そこから吹き出ているのか、我々は知る由もない。

大家さんは馴染みの水道屋さんに電話し、彼が2日後に来ることになった。

2日後に相棒と2人で来た水道屋さんは、即座に、システムキッチンの裏側に這っている配管が原因であろうと推測し、システムキッチンの奥の木の部分を削ることの承諾を大家さんに取り、これを行う。

プロの推測は的中し、流しの配管がシステムキッチンを壁へと這っていく部分の結合部が錆ついて水漏れを起こしていた。そして、これを新しいものへと取り替え、1時間弱で彼らは次の仕事場へと向かった。

実は彼らは3ヶ月前にも拙宅へ来ている。
その際は、玄関の扉の上を這う上水の管の結合部分が腐食し水漏れを起こしたのであった。

数えるに、7年間のフランス在住に4回の水道トラブルである。

1度目は、17区のアパルトマンの最上階の部屋の全ての下水が詰まり、自分でインターネットの検索の最上位に見つけた業者に連絡したら、見積もりにだけ来て何もしないで200ユーロを請求された。
ネットに出ていればくらしあんしんクラシアン的な安心な業者だろうと思ったら、フランスでよくあるぼったくり工事業者であるとのことで、不動産屋にこういう場合はフランスでは大家に連絡して大家経由でやらないとダメだと言うことを教えてもらった。
割高な人生勉強代である。
この時は家で暮らせないので、数日友達の家に世話になったのであった。

2度目は、13区のアパルトマンで、下水は問題なかったが、トイレの上水部分が腐食して、水の流れが止まらなくなり、トイレを丸ごと大交換する大技であった。

なんだかフランスでは便器がゴミ捨て場に捨てられていることがよくあり、さすがフランス人は便器も好きなのかと思っていたのだが、こういう裏があるらしい。

3度目は、3ヶ月前の上水一件。

7年で4回というのは、フランスでは多いような少ないような、水道トラブルである。

フォンテーヌブローの水道屋さんは親切である。
フランスの建築が古い建築に様々の現代設備を後付けしているせいで、仕事が追いつかず、山のような依頼を、彼ら水道屋のおじさんたちは持て余していると言う。

「ところで、僕の家は築何年ぐらいでしょうか。」
こう尋ねた。

家の内覧に来た時、外から見た建築が余りに古く、木の螺旋階段も古いので、とんでもないところに来たなと感じて、階段を上がりながら断ることを決めていた。

しかし、扉を開けると、中は優れてリフォームの施された、完璧に美しいアパルトマンの一室であった。僕はここに暮らしてみようと即決した。
後から大家さんに聞くに、日本人ブランドのおかげで、別に3件の申し込みがあったが、僕に貸すことを決めてくださったという。

ただ、内面は美しくても、外面がオンボロであるように、確かにこのアパルトマンは古い。

水道屋さんは
「1930年代だなこれは。フォンテーヌブローは古い物件ばかりだから。」
そう教えてくれた。

「後付け後付けで、建物が参っちゃってるよ。フランスは。」
そう彼は笑った。

フランスの建築はレトロで美しいものが多い。
イタリアもそうであるし、ヨーロッパなら戦果を逃れた街や、旧市街がよく残された街ならそうであろう。

特にフランスは、天変地異もないとあって、随分と古い建物の上に、我々現代人が現代的な設備をくっつけて暮らしている。

しかし、電気ならまだしも、水を汲みに行っていた時代の建物に、水道管も下水も引くのだから、水回りが著しく弱い。
定期的に結合部分が腐食したりして、水漏れも起きれば、どうにもならない経年の詰まりなどが生じる。

日本はデザイナーズ物件や、味のある古民家リフォームを除けば、味を感じられない現代型のハウスや集合住宅があふれているが、機能は最高である。

フランスでは、水漏れに遭遇しないことなどない。
フランス人は日本で震度3が起こると不安がるが、僕には震度3より派手な水漏れの方が不安である。

グラシ不安心グラシアン。

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