辻邦生の見たパリと僕が見たパリ(1) 〜アメリと三丁目の夕日〜

パリのフランス人の古老たちは、「昔のパリはこんなんじゃなかった」とか「パリは変わってしまった」とネガディブに今のパリを評することをば常とする。

今70歳代のフランス在住40年選手の学習院大学の大先輩は、「昔のパリは、もっと人の動きもゆっくりで、みんな挨拶を交わして…」と仰っていた。

僕はパリの昔を知らない。
昔と言っても、日本で言ったら昭和中後期のことであるが、この時代僕は生まれてもいない。
僕の知るパリは平成後期・令和初頭のもので、一言で言えば、東京と同じく、無愛想な都会のパリである。
近所の人の顔は知らず、無愛想で、アパートの共用部分で挨拶をしても返答があれば御の字という感じがするものであり、せかせか、かりかりとし、無機質化した根暗な人間たちのパリ。

僕のように、生まれて此の方、人間性を失い無機質になった東京とパリしか知らない人間は、そもそも思い出すべき「古き良き」東京やパリを知らない。
故に、この「古き良き」東京やパリなるものは、歴史上のお話でしかない。

さて、この「古き良き」東京とパリは、「古き良き」東京とパリを失ってから生み出された、双子のような二大映画を保持している。

『Always三丁目の夕日』と『アメリ』である。

双方とも描き出す時代や雰囲気が、数多くの存命中の人たちが「古き良き」と感じるノスタルジーで溢れている。

Alwaysでは、昔の東京を知る人々は「古き良き」東京を映像と共に思い出し、「あの頃は貧しかったけど美しかった」という気持ちに浸る。今の東京しか知らない人間は、そこに昔の東京を感じる。

もちろん、映画であるから、そこに山谷の労働者もGIベビーも10代の戦争孤児も出てこないし、当時の東京の全ての復元がなされているわけではないが、上流でもなければ下層でもない東京下町の人々とその周りの東京が描かれる。

ただ、Alwaysは嘘つきとは言えない。
映らない存在はいるとしても、昭和33年という時代設定と映っているノスタルジーの時代は合致している。

この点、アメリは嘘つきである。

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