辻邦生の見たパリと僕が見たパリ(1) 〜アメリと三丁目の夕日〜

アメリは1970年代から90年代のパリを描きながら、既にパリに溢れて始めていた移民や有色人種がほとんど出てこないという点で、時代設定と映っているノスタルジーの時代が合致しない。

アメリは、封切られた2001年においては少し前の時代のパリの物語なのに、中身は丸っ切りそれ以前の「古き良き」パリのノスタルジーで溢れているのである。

アメリの描き出すアラブ人や黒人やアジア系の移民のいない(目立つほどはいない)白人たちのパリの時代は、1950年代などもっと前に遡らなければならない。そのため、パリの、しかもモンマルトルを中心とする映画なのに、彼らがほとんど映らないということ自体あり得ないのである。

しかし、そういう時代考証の意図的な嘘とは裏腹に、アメリは古き良きパリを映した映画としてフランスで大ヒットを記録し、もちろん白人のおフランス、白人のおパリ大好き日本でもヒットした。

さて、アメリの封切りより20年後の今、ポリティカルコレクトネスは西側諸国の全てを征服した。

映画の世界においては、友人の言葉を借りれば、「美女と野獣の実写版に黒人が相当数出てきたが、あの時代のフランスの貴族社会に黒人はいないから違和感があった。」というぐらい、時代設定を無視してまで役者に有色人種をいれなくてはならない時代になった。
差別と見做されそうなことは、存在を消したり言葉狩りをして隠すか、史実を曲げてでも先手を打って回避するのが作法となってしまった。

もし今アメリが封切られていたら、この時代設定なのにそこら中にたくさんいた筈の黒人やアラブ人が全然映らず白人ばかりと集中砲火を受け、謝罪に追い込まれ、嘘つき人種差別映画としてお蔵入りとなっていたと思われる。というより製作予算がつかず配給はおろか映画自体存在しない気がする。

ただ、このアメリやAlwaysのヒットは、現象として極めて重要であり、また興味深い。

なぜなら、この現象こそが、東京人もパリ人も、古い人なら、決していいことばかりではなかったであろう「古き良き」東京やパリを実体験と共に思い返しながらノスタルジーに浸り、昔を知らない若人も「古き良き」東京とパリを夢想している歴史的事実だからである。

そして、そのこと自体、今の東京においてもパリにおいても、人々が息苦しさを感じ「昔は良かった」と思わずにはいられないことを示している。

人は皆昔を懐かしむ懐古主義者であるが、これを差っ引いても、万人が昔を求めざるを得ないほど、近代社会は行き詰まったということであろう。

さて、日本人が、アメリが描いた「古き良き」アメリ以前のパリと、実際のアメリの時代設定にかけてのパリを知りたければ、辻邦生を読めばいい。

辻邦生は、今日フランス人が希求する古き良きパリを異邦人として体験し、それが時の経過と共に崩れる様を書き残した。
一級史料である。

辻先生が今に遺すパリの景色を感じながら、僕が感じたパリを少しく追憶したい。

カテゴリー: エッセイ パーマリンク