革命記念日に思う

こうして、フランスの共和制も揺れに揺れているから、時の遠近はわからなくとも、いつかは終わるであろう。

世の中に永遠というものは、断絶の恐れが常にあるという点で危ういながら、先祖と末裔という新旧の人間たちの連綿の関係性を除いては存在し得ない。

例えば、万世一系の天皇家が存在し、今もオルレアン朝のフランス王家も、ボナパルト家も存在するように、この世の中の誰もが誰かの末裔であるという点において、人間の血統というのは継がれていく。
あるいは伊勢神宮の式年遷宮のように知恵をして継がれていく伝統はある。しかし、こういう連綿のものは例外であり例外故に希少で貴重なわけであって、やはり通常人間の生み出すものに永遠は期待できない。
物なら天変地異がなくとも傷んで壊れるし、我々が愛するパリの街並みとて、古いと言ってもせいぜい明治以降のものであるから、数百年後はどうなっているか分からない。

政治体制などという俗物の水物に永遠を期待できないのは尚のことである。
今の高齢者なら、一度の人生で、日本人なら大日本帝国と新日本国を体験しているし、フランス人ならフランス第三共和政・ヴィシー政権・第四共和政・第五共和政とこんなにも体験している。

この政治体制の水物性を的確に僕に納得させた方がおられる。
この方は、どの講演会でも、特に若者に対して切々とこのことを問うと仰せられた。

僕のように、歴史にまつわることをしてぷらぷらしていると、有難くも様々な方との御知遇を賜るが、そんな事で、江戸時代史にはちょくちょく時代を動かした老中として登場する、或る譜代大名家の御当主とお会いしてお話を伺う機会があった。

御当主は、江戸時代の終わりに誰が幕府がなくなると思っていたかということに学び、十年先に日本は亡国かも知れないという危機意識を持ちなさいと仰せになられた。
私も恐懼して肝に銘じた次第ではあったが、この危機意識は黄色いベスト運動が起きても尚、フランスの共和制のエリート達にはないと思われる。
どうせ第五共和制は終わらないと高を括って、まさかフランスの体制が変わるなどとはマクロン大統領をはじめとする政治家は思っちゃいない。
黄色いベスト運動にしても、たった一年前に誰が、「燃料税を増やす!」の大統領の鶴の一声でフランス全土に暴徒が溢れかえると想像したであろうか。
僕は、こういう同時代の体験をしても、人々のマンタリテ(心性・しんせい)を忘れずに歴史研究をしても、この御殿様の御心得というものは那須与一のように的のど真ん中を得ていると思った。

そして、フランスの現代社会も体たらくだが、日本にもフランスにいながら同じような雰囲気を感じることがこの頃多くなってきた。

今ちょうど日本は参院選の真っ只中であり、これがどんな塩梅かと、一昔前には想像もつかなかったYoutubeという新文化を駆使して、ある程度の視聴覚とともに、これを覗き見しているが、僕が感じるのは、日本という国はいよいよ品性を失いつつあるという危機感である。

政治屋にも政治活動に参加する者にも品のある人間は一人として見受けられず、すべてが党利党略のためで、日本国というそのものを歴史に立脚して論じるものは誰もいない。或いは現代日本という行き詰まった国家を抜本的に体制から改善する策も練れず、またしても民から様々のものを搾り取ろうとし、或いは達成不可能な甘い誘惑を声高に叫び弱者をそそのかし、民衆の扇動に始終する。そして誠に目立つのが、口汚い罵りあいや、一部民衆による選挙妨害や度を越した野次など、目を覆いたくなる状況である。

言論をしても、愛国ですと言ったり、反権力です左翼ですと言えば、不確定な情報に基づく無責任な主張でも、罵倒でもなんでもありになっていて、肝据り教養ある高潔の人士を欠いていることは、共和制のフランスがいよいよ断末魔であるように、いよいよ江戸も遠くなりにけりと感じるには十分である。

日本の現政治体制とて死に体であることは明らかであるから、いつまでも現行の日本の国家体制が続くなどとは思わない方がいいし、上品上流な方向へ日本の国柄や伝統を考えながら改めていく時期であることは間違いがない。

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