春のないフランス

去年の秋も秋を感じなかった。

曇りと肌寒さの九月は、ジャズのような枯葉の時期として存在し、街には木枯らしとともに黄色い葉が落ち、そして太陽のない日々が春まで続く。

秋も春も来たる冬と夏の準備期間として肝要である。
体はその間に徐々に寒さと暑さに慣れていく。

しかし、去年初めて僕はフランスで秋を感じなかった。
九月という肌寒い曇りの日々は存在せず、ポカポカ陽気で陽のあたる十月初旬が過ぎ、どっと冬が押し寄せた。

体は疲れ、確かぶり返した風邪が二回ほど僕を襲った。

そして今年は春がなかった。

春のうららかさを十分に満喫することもなく、いきなりの酷暑である。
旧暦にすればもう暦の上では夏であるが、かつての夏の感覚と今の夏の感覚は違う。

太陽が出、直射日光が肌を焼く束の間のフランスの夏の前に来るべき春がない。

いきなり来た夏に体は反応できず、暑さと十時過ぎまで登る陽のせいで、完全に不眠症であり、疲れ切っている。
エアコンのないフランスにあっては夜は寝苦しい。

昨夜、エコロジストの女に会った。

エコロジーというのは、ヨーロッパではベジタリアン等しく左翼の信奉する政治イシューである。
彼女に言わせれば、この春のない気候とこの猛暑は人間のせいであるという。

数分間彼女は信条であるベジタリアン思想とエコロジーに関して僕に一席ぶった。
人間がその活動により地球を傷つけ、生きとし生ける動植物を食い物にすることを彼女たちは許さない。
この女は、野菜と魚は疑問さえ持たずに食べるから、つっこみどころは満載であるが、僕はなにも言わなかった。

ただでさえ暑い春なき春の猛暑の夜長に、この話題は僕の頭をぼーっとさせる。
議論のフランスにありて、僕は議論する気にもならず、ビールを口に運んでいた。

僕には、この確かなる地球の温暖化が、エゴの猛々しい人間の所為なのか、それともちっぽけな人間の所業など我に関せずと鼻で笑っている、地球の悠久の歴史の微々たる一時代なのかは分からない。

しかし、待ち望んだ夏が来たというあの感覚は、こうも夏が唐突に猛暑として訪れると、夏が来てしまったという感覚を起こさせる。
僕は夏が好きであるが、それでも体の疲労に困憊している。

今年は秋は来るだろうか。

最近日本ではハイボールが再び市民権を得た。
日本では戦後にブームが起き、それから時を経て21世紀に息を吹き返した。

一説によると、フランスでは、ハイボールはウイスキーをペリエで割る、ウイスキーペリエというフランス発のカクテルだとも言う。

日本の炭酸水はガス水であるから味気ないが、フランスの炭酸水は天然であるだけに、ミネラルの味が濃く、美味である。

アイリッシュウイスキーをオーベルニュの炭酸水で割りながら、涼んでいるのやら、アルコールで体の芯を温めてしまうのやら、二律背反の中で、何とか涼しいふりをしている。

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