華僑の独占となりゆくフランスの煙草屋〜煙草屋の近代史〜

フランスの煙草屋はTabac(タバ)と言うが、日本とは趣を異にする。
ちょっとしたカウンターバー、場合によっては食堂も併設し、宝くじとガムや飴などの細々とした口の紛らわしを売っている。
感覚としては、日本のキオスク兼バー兼宝くじ売り場のような形態である。馬券が買えるところもある。

また、その中に集う人々の群像が面白い。
昼間から煙草屋は地元の暇人やアル中の溜まり場であり、駅の近くならこれに列車を待つ人が暇つぶしにやってくる。
ビールや粗悪なワインで暇人アル中クラブ活動をするか、エスプレッソ、カフェクレームを飲みながら憩うか、必死な顔をしてスクラッチを削るか、テレビ画面に喰入り競馬を見ているか、こういうカフェやブラッスリーでは見られない人種による光景が展開するのである。

今や、こうしたバーのオーナーも店員も華僑であることが、少なくともパリとその近郊では普通になってきた。
フランスで煙草屋というと、大方、この図書館員を退職して煙草屋に転身した、こんなような「煙草屋の白人おばちゃん」がせわしなく働くのを想像するかもしれないが、既にパリと首都圏イル=ドゥ=フランスでは3000軒ある煙草屋の半数近くが中華系になった。

この華僑による煙草屋の買収が本格化したのは、2000年頃だどいう。
それ以前の煙草屋のメインであったのが、フランスのオーベルニュ地方からパリへ移住した人たちで、これがオーベルニュコミュニティを形成した。
今の東京では、ある地方の人間がある業種を独占しながらコミュニティを築くことがあるのかは知らないが、江戸でも近江商人とか伊勢商人など出身地ごとの人間の強みや得意分野があったであろう。

また、オーベルニュ人に次いで、煙草屋業界には、イタリア移民やポルトガル移民マグレブ(北アフリカアラブ)移民が参入し、そして2000年ごろから華僑が上陸した。

そして、華僑というのも、民族も多ければ漢民族といってもコミュニティが出身地ごとに違うから、十把一絡げにはできない。
この煙草屋の華僑は温州華僑であるという。

たくましいと言うのか、華僑の凄いところは、移民をし始めたら途轍もない人口で押し寄せてきて、中華街を築き、共同体内の結婚で姻戚関係を強固にし、ある業種に目をつけて、重点突破して、これを独占していくことにある。
おそらく、戦争をしなくても世界を牛耳れるのは華僑だけだとも感じる。

オーベルニュ人たちからすれば「煙草屋は俺たちの盤石の業界よ」と思い込んでいたに違いないが、いまや彼らは駆逐され始めている。イタリア・ポルトガル・マグレブ系の煙草屋なんぞはもう虫の息である。

この温州華僑は、温州が1946年までフランスが租界を有した上海の近くということもあり戦後すぐにフランスに渡り、当初はユダヤ人がナチスに排除されてもぬけの殻となったマレ地区やアールゼメティエ地区という両隣の地区に住んだという。
この後、温州人は1920年代に中国人留学生がパリの13区に落ち着き、周恩来の指示で、中国共産党フランスセクションを作っていた、この13区に合流していく。

今では13区のショワジー通り・マセナ地区と言ったら、温州華僑とカンボジアのポルポトボードピープル移民などの一大アジア街で、中華かフォーが食べたければここに行けばいいし、美味しい店も多い。

そして、温州人は移民を続け、フランス内務省によれば、1980年から2000年の間に37000人がフランスに移民し、パリの13区の中華街のみならず、エディットピアフの生まれたベルビルの丘の一帯やパリ2区にも中華街を形成していった。

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2 Responses to 華僑の独占となりゆくフランスの煙草屋〜煙草屋の近代史〜

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