フランスと大麻

フォンテーヌブローの宵。
横丁ともいうべきバーが数件並ぶ小さな中心街には、毎晩どこからか大麻の匂いが香ってくる。
ヨモギを燻したかのような独特の香ばしい煙に任せ、つらつらとフランスにありふれる大麻に関連して、日仏またいで書いてみようと思う。

はじめに、私はファッションとしての大麻文化には反対することを表明する。

また世の中の非合法とされている事物を敢えて摂取・行使して反権力を標榜することがあるが、こういうのはスタイルとして感心しない。

しかし、大麻に関して言えば、私は全面的に反対しているという訳でもない。

シャブ中の米兵の多きことに苦悩して、日本の伝統文化を吟味もせずに、日本に対しても大麻の使用を全面的に禁じたGHQ嫌いの私としては、日本がこのために有史以来大麻を初めて規制した1948年以前と、とりわけ江戸以前の日本人と大麻の向き合い方から考えるべしという立場にある。

また伝統主義に立脚し、神事と江戸までは服用薬として大麻を利用してきた日本人の文化を、くだらない近代法が規制するということはお門違い甚だしいと感じている。

戦前に大麻が積極的に医療に用いられていたことは、一例として「神經衰弱ノ藥物的及食餌的療法 他」という明治41年の順天堂の論文にこう出ている。
「神経衰弱ニ於ケル精神療法ノ有力ナルハ勿論ナレドモ獨リ是ノミニ由リテ従来ノ薬物及食餌的療法ヲ排棄スルノ不可」(神経衰弱に精神療法が有効なのはもちろんだが、だからと言って従来からなされる薬物と食事療法を排除することはできない)
こう論じた上で、「印度大麻ハ頭部ノ苦悩アルモノニ用ヒテ有効ナル鎮静薬タリ」と、印度大麻の鎮静剤としての効用を認めている。

このように、戦前は鎮静剤や抗うつ薬として普通に印度大麻が処方されており、喘息や呼吸器系の疾患や下痢症にも同様であったようである。

今は、こうした大麻の医療的効能が世界的に見直されており、これを良しとする国で大麻が医療用において解禁され始めている。

ただ、日本においては、なんだか大麻解禁論者はヒップホップの人たちや、宗教じみたオーガニックライフの礼賛者のような人ばかりが目立つから、イロモノの怪しい主張のような感じである。

物事を主張するときは、きちっと歴史に照らし合わせて、現代社会の問題と重ねて考えるべきであろうと私は思う。また主張する人間の醸し出す雰囲気も理論の伝播に影響を与える。下ネタも桑田佳祐や高田純次が言えばいやらしくないが、人によってはとてつもなくいやらしくセクハラになってしまうというようなものである。ヒップホップを否定するつもりはさらさらないが、ヒップホッパーが大麻解禁と言うのと、癌の権威の医学博士が大麻の解禁を主張するのとでは、ファッションなのか学術的見地なのかということを分水嶺に、どうしても同じ主張が違って聞こえるのである。

特に、大麻という自然物をどう人間が活用するかという主張は、一種の文化論でもあるから、主張が単なる薄っぺらいファッションなのか、伝統上の正統性や現代社会における必要性に裏打ちされるか否かが肝になる。

伝統と大麻を考えるとき、大麻取締法が、いにしえより日本人が親しんできた神道に必要な大麻文化を縛り付けたりするのはナンセンスであることは間違いがない。そして、どうしてこんなに現代の日本人はうつ病や自殺が多く、癌の終末の苦しみから逃れられないのかということを考えるとき、日本の街場で人々がプカプカ大麻を吸うようにするわけにはいかないが、医療用においては大麻を解禁して然るべきという論を展開することが可能である。すなわち伝統と医療の二本立てである。

さて、厄介なテーマだからあまり日本では報じられないであろう大麻の話を、気ままにフランスに飛ばしてみる。

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