近所の中華屋さん〜国家と人〜

カレーライス。中華。和食でもないが現代日本人には不可欠な食事である。
どうも時々はこれを食べないことには胃袋がおさまらない。

フランスでもおそらく他のヨーロッパ諸国においても華僑のいない都市はない。
どこにでも中華屋や華僑のエセ寿司レストランがある。

そして別件で述べたが、パリと首都圏には今や70万人程の温州華僑がマジョリティーとして住み着いて、強固な地縁兼血縁共同体をして半数の煙草屋を占有するに至った現状がある。
僕の住むフォンテーヌブローにも小さな中心部に4軒もの中華屋があり、半数の煙草屋は華僑のものである。

今宵、行きつけの中華屋が温州華僑かどうか調べる目的もあり、惣菜を買いに行った。

余談であるが、フランスにおいてアジア風味が恋しくなったら、どこにでもある中華屋に入るしかない。
かつて従姉妹夫妻がパリに来て、1週間程度の欧州滞在の最後の方に我慢ならなくなり中華屋に入りほっとしていたが、このように旅行とてこの塩梅なのだから、住んだら特にアジアの味に飢えることは必至で、中華屋はそんな我々を救ってくれる。

自分とて時々疲れて料理をしたくない夜には、コンビニ弁当もなければお持ち帰り料理の選択肢を欠くフランスにおいて、中華屋には世話になっている。ケバブかエセ寿司かピザか中華なら中華を選んでしまう。
しかもフランスにはUberEatsやドミノピザを除けば大した出前もない。

天ぷら蕎麦に熱燗をつけて出前をとりたいものだ…

僕がフォンテーヌブローの教会の斜向かいの中華屋を行きつけにする理由は大した理由がある訳でもなく、単純に亭主とおかみさんの人が良いからである。良い人間の作る飯はうまいし、金を落とすならこういう人間に落としたい。にこやかで丁寧な応対のご夫婦である。
僕は馴染みなので、与太話もする客と主人の間柄である。

そして、この店の味は全て味の素とウェイパーから構築されている。
化学旨味物質の染み込む裏切らない味を年がら年中提供してくれる安定のクオリティである。
不味旨グルメである。

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鉄道オタクに考える日仏文化

日本には鉄道に心酔する人がたくさんいる。
乗ることが好きな乗り鉄、撮影することが好きな撮り鉄、鉄道模型。鉄道はとりわけ男性の一大趣味の一つである。
そうでなくとも、トミカもそうだが、プラレールというものもまた、子供の乗り物のおもちゃとして日本にしかない精巧さを秘めている。

日本では線路脇やプラットフォームでカメラを構える鉄ちゃんを見ることは茶飯事であるし、鉄ちゃん向けの鉄道会社のイベントなどもある。しかしフランスでは鉄ちゃんを見ることはない。

フランスでも鉄道オタクはいないことはないらしく Ferrovipathe(フェロヴィパットゥ)という専門用語もあるようだが、権威ある辞書にこの単語は出てこず、友達に聞いても、聞いたこともない単語で何のことかと言っていた。
通常はAmateurs de trains (アマトゥール ドゥ トラン 鉄道愛好者)と普通に「鉄道好き」と形容するようである。

鉄ちゃん・鉄オタという一見説明が必要そうな特殊用語が普遍化している日本と、鉄道好きと言わなくては何のことかわからないフランス。この違いは、そっくりそのまま、鉄道趣味が普遍化しているか否かの違いになる。

では何故鉄道趣味が日本で普遍化し、フランスでは普遍化しなかったのであろうか。

まず、電車のデザインがあると思われる。
日本の電車のデザインは独特である。JRも私鉄もいくつもの型の電車を有し、それぞれの会社や車体や色の個性が電車ににじみ出ている。
鉄道趣味でない人も、JRだ京王だ小田急だ近鉄だと一目でわかるデザインをしている。
フランスは国鉄か都市のメトロかトラムしかないから、車体の種類もいくつもないし、近くで見ると洗ったことがあるのかというぐらい汚れている。
観光客などがフランスのTGVや電車を見て物珍しいとは思うかもしれないが、毎日のように見ればとても絵になるような代物ではない。
フランスの鉄ちゃんもオリエント急行のような豪華列車や汽車のマニアと模型に集中しているようであるが、頷ける。

汽車のイベントもあるようだが、鉄ちゃんが少ないだけに、それほど盛り上がっていないようであり、大人というより子供連れの家族向けのような感じである。

そして日本は鉄道に長距離で乗ること自体がエンターテイメントと化している。

ご当地の駅弁文化やお座敷列車、行き先不明のミステリートレインなど、鉄道の旅それ自体を楽しもうとすることは日本人のエンタメ好きの性質をよく表すものと言える。

フランスでは電車に乗るのが大好きですなどというのは聞いたことがないし、みんなどちらかといえば嫌いである。
最近日本の駅弁を流行らせようとしている人もいるが、工業製品のサンドウィッチなど車内の食堂車の軽食類は不味くて高いし、電車は遅延するし、車内は一等車でも掃除が行き届かず、椅子の向きも変えられず、電車はストレスフルな乗り物として認知されている。

日仏鉄道文化の差は、日本人フランス人の旅行に対するアティテュードや工業デザインの違いによって生じるものである。

とりわけ、旅先のみを楽しみ途中経過は手段でしかないフランスの旅行と、旅程も含めた旅の全行程を一つのものとして楽しもうとする日本人の性質の違いは、鉄道オタクの普遍化の強弱に影響する。

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夜闇のパリ・SFな東京

パリの夜は暗い。

大都会パリでさえ、夜闇を有するのだから、その他のフランスは尚一層に暗い。

パリでも地方でもフランスの街々を夜に歩けば、図らずも夜は暗いのだと思うということは、いかに東京が闇無き明るい夜の街なのかということに気づかされる。

これは、夜に飛行機に乗ればわかる話で、眼下の東京は、自分で輝いているにも関わらず、ライトアップされているかのように煌々と光っている。
そして、電気の光が照り輝くものを夜景というなら、まさに夜景である。
パリの夜空からは、目を細めなくてはどの程度地上から離れているのかがわからないほどに暗い。

パリの路地には街灯は極めてまばらで、大通りでさえも長大な間隔で並んでいる。
その街灯は薄オレンジのぼやけた弱い光を放つにとどまり、闇を邪魔することはない。

パリにだって地方都市にだって商店の看板は確かに電気で光るものもあるが、これは自己主張の強いネオンライトというものではなく、申し訳程度に光っている位である。

ただ、少しばかり、僕も東京で夜闇を感じたことがある。

2011年の春からしばらくの間、生まれて初めて東京の本来の夜を感じた。
福島第一原発で事故が起き、電力供給の制限があった。
落雷などによる停電は何度か経験してはいたものの、灯火管制の戦時中に生きていた訳でもあるまいし、電力という極々当たり前にあるものが計画停電でストップするという非日常が不便でもあり新鮮でもあった。

それこそ子供の頃は、当然のこととして電力が豊富で、東京電力のマスコットであったでんこちゃんが「電気を大切にね」と節電を促していたが、その大切さがピンとこないために聞き流していた。

しかし自分も人様も会社も全ての東京中の存在が震災のために節電を余儀なくせられ、昼の電車の不要な車内照明もなくなれば、夜のネオンもすっかり落とされた。

あの時に、灯りのない薄暗い銀座を歩いた不思議な感動は今でも覚えている。

ピカピカと明るい東京の夜は近未来的で独特の面白さがあるが、これが365日全日続くということには粋を感じない。
夜が暗いという地球の自然を日本の都会人が満喫できるように、一年の半分ぐらいは街のネオンを落とすというのもまた風雅かなとも思う。特に夏は暗ければ涼やかであろう。

しかし、このフランス人ブロガーのように、ネオンに照り輝く不夜城としての東京の側面を礼賛するような人間もいるから、人間というのはやはり無い物ねだりである。

そして、フランス人が東京を形容する時、SFのような街だと言うことが多い。

僕は東京生まれだから、それが当たり前で育ってきたためにSFだなどとは思わないし、逆にパリの夜闇に落ち着くこともある。

歴史を考えれば、提灯や行燈や蝋燭であった日本であるが、明治6年にガス灯が銀座に灯り、明治25年には電灯が一万灯もついたと喜んでいた東京が、今やパリよりピカピカでSFのようと言われるなんて何とも笑ってしまう話である。

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華僑の独占となりゆくフランスの煙草屋〜煙草屋の近代史〜

フランスという国は愛煙の国である。
街行く人は煙草を吹かしては投げ捨てて歩く。

ある友人は、僕の研究仲間の喫煙女子が日本で携帯灰皿を購入したのを羨み、晴れて日本でそれを買ったが、携帯灰皿に吸い殻をしまう人などまず見ない。

フランスにもないことはないのであろうが、この携帯灰皿の文化は根付かない。
また、日本は表で吸えるところが無くなってきたから、携帯灰皿は存在理由を失うであろう。

しかし、フランスの煙草は高い。昔なんぞ、「イギリスでは煙草一箱千円ですってよ」と日本ではよく言ったものだが、フランスでもそうなってしまった。
2020年の末までに煙草を一箱10ユーロにすべく、段階的に値段を釣り上げている最中のフランスにありて、2019年現在で赤のマルボロが8.8ユーロ、ゴロワーズは8.5ユーロもする。

この為、手巻き煙草にして節約したり、電子タバコに移行する人も多く、電子タバコ専門店は街に増えつつある。

煙草が高価になるということは、すなわちこれが万人の嗜好品たりえなくなることでもあり、今のフランスの若者は煙草に手を出さなくなった。フランスの若者は何を考えて、どのようなライフスタイルをするのかに関心があるので、よく私の生徒たちにも聞いてみるが、9割方非喫煙者である。
なんだか、フランスの若者も日本の若者も酒も飲まなくなったし煙草もやらないから、随分と双方の若者文化は人間臭さが抜けた一種無味無臭のクリーンさ、或いは草食化さえ感じる。
煙草をかっこいいと思っている人は皆無で、煙草のファッション性は失われ、悪趣味で臭いものとしてフランスの多くの若者にも認知されている。

今の若者なら、煙草に初めから手を出さないということで、一度有にしない限りは無が続くから苦痛もないであろうが、我々以上の壮年中高年は、煙草が安い時期に吸い始めて、これが気づいたら高級品になっているという訳だから、止めるのが苦痛である。

という私は止めるつもりは毛頭ない。
しかし、10箱買ったら1万円以上の出費になる煙草代は節約したいので、家では手巻き煙草にしているし、紙巻といえ日本から来る方などに免税店でお願いするか、何か日本から親に小包を送ってもらうときに同包してもらっている。

さて、フォンテーヌブローに住んでから、地元の煙草屋に行っても、近隣のいくつかのうち半分は華僑の煙草屋である。パリはもっと華僑率が高いと感じられるが、ある移民がある業種を独占していくということがあり、これを煙草屋に感じるのである。

フランスでは、Épicerie (エピスリー)という香辛料屋が転じて食料品店となり、田舎のよろず屋という風体で通常は深夜零時過ぎまで開いているものがあるが、みんなアラブ人がやっている。
パリのアパルトマンの管理人といったら、ポルトガル移民である。

華僑といったら、普通中華街のチャイニーズレストランか、フランス中のニセジャパニーズスシか、そういう飲食店のイメージが強いが、これがあれよあれよと言う間に煙草屋へと拡大しているのは事実である。

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革命記念日に思う

2019年7月13日夕刻。
フォンテーヌブローの共和国広場では、翌日の革命記念の式典のため仮設ステージが建てられ、近隣の店々の軒先も巻き込みながら三つのフランスの色がはためく。
その横の教会の鐘は前近代のフランスの栄華を惜しむかのように18時を告げた。

アンリ4世の妃マリー・ドゥ・メディシスの注文に基づいてこの教会が完成したのは1614年である。日本では大坂冬の陣が起き、いよいよ豊臣家が進退窮まる頃である。
この教会は江戸の終わりの1868年まで拡張工事が続けられたが、大きなのっぽの古時計は今も時を刻み続け、時の鐘は今も時を告げる。
この古時計も鐘も、1814年4月11日に、その二年前のロシア侵攻における冬将軍の敗北が響き、戦に負けたナポレオンが締結させられたフォンテーヌブロー条約に基づいて廃帝となり、20日に居城フォンテーヌブローからエルバ島の小領主としてフランス本土を去った姿も目撃している。
そして、去年の9月からは、ナポレオンと全く同身長の五尺六寸の日本人の小男を毎日のように見下ろしている。

また今年も革命記念日の7月14日がやってくる。

いつものことながら、僕はこの日を嬉しさとは遠く離れ、もやもやした気持ちで迎える。

僕はこれがあまりに陳腐化されたステレオタイプの薄っぺらいイメージであると腹をたてるが、日本の「ゲイシャ・フジヤマ」は確かに今も存在する文化と山である。
もし、芸者が日本から一人もいなくなり、富士山も大噴火して木っ端微塵に砕け散ったとするならば、悲嘆にくれるに違いない。しかし、こうした、薄っぺらくとも、国柄を端的に表せる文化が今もあるということは実に貴重なことであるとも思う。

フランスを代表するイメージはフランス人にとっても、世界中の現代人にとっても、食文化などの無形のものを除けば、全て失われたものである。フランスにはモンブランがあるではないかといっても、これはモンテビアンコでもありイタリアと共有する山であるから、フランスを代表できない。結局、王様、宮殿、教会に代表される、フランスのなんとも言えない華々しさは、老中首座の松平定信が幕政を改革していた寛政元年は西暦1789年の7月14日を境に全て過去のものとして建物だけを残し崩れ去ったのである。

この日の午後1時、暴徒化した民衆がバスティーユ監獄を襲撃し、この事態は収拾不能な終わりの見えない行動的事象として共和制のうねりとともに拡大し続け、王侯貴族やカトリックの全てをフランス社会から取り除いていった。

しかし物事というのは終わることが難しい。
人間とてこの世に生まれ落ちたが最後、通常は心の臓の止まる自然死を待つしかない。自殺をすれば自分から積極的に自分という一人間を終わらせることになる。或いは殺されて終わるというはかない終わりがある。
世の中の万事も終わりは人間のそれと同じである。

幕末とフランス革命をこれになぞらえてみる。

幕末に蒸気船が入港したことで、帆船の軍艦は旧式なものとしての存在を許されながら、自然に心の臓を止め消滅していった。
幕府そのものである慶喜公は二段階において幕府を自殺させた。
一つ目は慶應3年10月14日申請、15日認可の大政奉還。
二つ目は慶應3年10月24日申請、12月9日認可の将軍職廃絶、幕府廃止である。
この12月9日の出来事は王政復古の大号令として知られるが、この慶喜公による将軍と幕府の自殺行為のとばっちりで、同時に朝廷で殺害されたものがある。摂関家である。
これは新時代にイニシアティブを取りたくて仕方がないが、朝廷の古来よりの仕来りをして、このままではどうしても朝廷のリーダーにはなれない岩倉具視などの公家が、意図的に幕府の自殺に乗じて、摂政関白を廃止して殺してしまった。
そして、幕府が自殺したといえども、徳川家は自殺していないから幕府の旧構成員は大量に残っている。旗本御家人や諸大名とその家臣たちは未だ健在で、徳川家への恩顧が強いものが多い。故に、この自殺した幕府の死体がまかり間違えって蘇らないように、武士の情けも忘れ、薩長はこの亡骸を切り刻んだのである。

ではフランス革命における王政は自然死か自殺か他殺かのどれかと言えば、他殺である。
王侯貴族の専横を倒すべく立ち上がった民衆は、王侯貴族や王政国家に対する怒りを行動とともに増幅させバスティーユを制圧する。その後は革命がフランス全土に広がり、民衆に歩み寄りを見せるルイ16世とこれを支持する貴族、そしてこれに反対する貴族との間に軋轢が生まれ収拾がつかなくなる。
新議会が制定され、ヨーロッパを巻き込むフランス革命戦争が勃発し、1791年の9月21日には第一共和制の樹立に伴い王政が廃止される。そして国王の地位のみ残したルイ16世であったが革命は収まらず、逃亡も失敗し幽閉されたのち、民意という流れに押された裁判を経て、1793年の1月14日、コンコルド広場において妃マリー・アントワネットと処刑された。ここに王政はひとまず国王夫妻の肉体もろとも殺されたのである。

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フランスと大麻

フォンテーヌブローの宵。
横丁ともいうべきバーが数件並ぶ小さな中心街には、毎晩どこからか大麻の匂いが香ってくる。
ヨモギを燻したかのような独特の香ばしい煙に任せ、つらつらとフランスにありふれる大麻に関連して、日仏またいで書いてみようと思う。

はじめに、私はファッションとしての大麻文化には反対することを表明する。

また世の中の非合法とされている事物を敢えて摂取・行使して反権力を標榜することがあるが、こういうのはスタイルとして感心しない。

しかし、大麻に関して言えば、私は全面的に反対しているという訳でもない。

シャブ中の米兵の多きことに苦悩して、日本の伝統文化を吟味もせずに、日本に対しても大麻の使用を全面的に禁じたGHQ嫌いの私としては、日本がこのために有史以来大麻を初めて規制した1948年以前と、とりわけ江戸以前の日本人と大麻の向き合い方から考えるべしという立場にある。

また伝統主義に立脚し、神事と江戸までは服用薬として大麻を利用してきた日本人の文化を、くだらない近代法が規制するということはお門違い甚だしいと感じている。

戦前に大麻が積極的に医療に用いられていたことは、一例として「神經衰弱ノ藥物的及食餌的療法 他」という明治41年の順天堂の論文にこう出ている。
「神経衰弱ニ於ケル精神療法ノ有力ナルハ勿論ナレドモ獨リ是ノミニ由リテ従来ノ薬物及食餌的療法ヲ排棄スルノ不可」(神経衰弱に精神療法が有効なのはもちろんだが、だからと言って従来からなされる薬物と食事療法を排除することはできない)
こう論じた上で、「印度大麻ハ頭部ノ苦悩アルモノニ用ヒテ有効ナル鎮静薬タリ」と、印度大麻の鎮静剤としての効用を認めている。

このように、戦前は鎮静剤や抗うつ薬として普通に印度大麻が処方されており、喘息や呼吸器系の疾患や下痢症にも同様であったようである。

今は、こうした大麻の医療的効能が世界的に見直されており、これを良しとする国で大麻が医療用において解禁され始めている。

ただ、日本においては、なんだか大麻解禁論者はヒップホップの人たちや、宗教じみたオーガニックライフの礼賛者のような人ばかりが目立つから、イロモノの怪しい主張のような感じである。

物事を主張するときは、きちっと歴史に照らし合わせて、現代社会の問題と重ねて考えるべきであろうと私は思う。また主張する人間の醸し出す雰囲気も理論の伝播に影響を与える。下ネタも桑田佳祐や高田純次が言えばいやらしくないが、人によってはとてつもなくいやらしくセクハラになってしまうというようなものである。ヒップホップを否定するつもりはさらさらないが、ヒップホッパーが大麻解禁と言うのと、癌の権威の医学博士が大麻の解禁を主張するのとでは、ファッションなのか学術的見地なのかということを分水嶺に、どうしても同じ主張が違って聞こえるのである。

特に、大麻という自然物をどう人間が活用するかという主張は、一種の文化論でもあるから、主張が単なる薄っぺらいファッションなのか、伝統上の正統性や現代社会における必要性に裏打ちされるか否かが肝になる。

伝統と大麻を考えるとき、大麻取締法が、いにしえより日本人が親しんできた神道に必要な大麻文化を縛り付けたりするのはナンセンスであることは間違いがない。そして、どうしてこんなに現代の日本人はうつ病や自殺が多く、癌の終末の苦しみから逃れられないのかということを考えるとき、日本の街場で人々がプカプカ大麻を吸うようにするわけにはいかないが、医療用においては大麻を解禁して然るべきという論を展開することが可能である。すなわち伝統と医療の二本立てである。

さて、厄介なテーマだからあまり日本では報じられないであろう大麻の話を、気ままにフランスに飛ばしてみる。

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バカンスと定年退職 日本人VSフランス人

人生、あるいはライフコースと言った方が収まりが良いかもしれないが、その流れの上で、バカンスは息抜きであり、退職は大きな転換である。

これを喜びという形で積極に捉えるか、退屈というような消極に捉えるか、あるいはどうでも良いことであると無関心でいるかで随分人生の味は変わる。

フランス人はバカンスや退職をほぼ例外なくこよなく愛する。
仕事の時は次のバカンスはいつ来るやと日数を数え、定年退職なんぞ首を長くして待っている。

日本人はどうかと言えば、たまの休暇は大体の人間にとって嬉しいに決まっているが、それを持て余す人もいれば、退屈と感じて早く仕事生活のルーティーンに帰還しようと願う者までいる。
この点に関しては、フランス人が日本人のここが理解不能であると、いつも口をあんぐりする点である。

しかし、長い歴史軸で見て、バカンスや旅行というものの元祖は我々日本の先人、とりわけ江戸時代人である。
物見遊山を愛し、伊勢参りという人生上のビッグイベントの旅行があり、武士も湯治願を出せば休暇が取れた万民の文化としての湯治、東海道五十三次のようなエンターテイメント旅行。
則ち我々日本人が、旅行やバカンスをこよなく愛する遺伝子を持っていることは事実である。

しかし、今、日本人が羨望の眼差しをもってフランス人のバカンスを見上げ、日本のバカンスが下火になれば、定年退職もなんだか暗いものであるかのように見えるのは、ひとえに、地球の回転する速度は変わらないのに、その内部の時間の流れが格段に早まった現代社会において、人間らしくあろうとするか否かのアティチュードが日本人とフランス人では違うからだと言える。

そして、そのアティチュードの違いが現れる最たるものは趣味である。
趣味があれば、実に暇をしないで済むし、仕事場以外での人々との関わりがあるから、精神的な孤独はさておき、社会的な孤独は回避できる。
例えば、本の虫であった私の祖母は、「私は読書が趣味だから本当に暇しないで済む」とよく言っていたが、日本でも趣味人なら、バカンスや老後の生活はそれほど退屈ではないはずだ。

しかし、どうも、フランスに比べ趣味人が現代の日本には少ない気がする。

フランス人は、男も女も絵画・料理・菓子作り・読書・ガーデニングといった個人インドアのもの。音楽などというインドアながら他者と関わることが多いもの。トライアスロン・サッカーなどの団体スポーツといった集団アウトドアのもの。どれかの趣味は必ず持っており、結構真剣に打ち込んでいる。

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フランスの選挙カーと政治家のポスター

フランスに選挙カーはない。
政治家のポスターも日本のようにはペタペタとあちこちに貼られていない。
以上。

今夏は、令和初めての夏ながら、日本では参議院選挙があるという。

日本の夏は普通なら金鳥の夏。あの蚊取り線香の煙と、風物詩の花火。江戸から続く両国の花火、鍵屋玉屋の掛け声の余韻に浸りたいところだが、今夏日本の人たちは日本人から末は観光客の外人まで、クソ暑い中暑苦しい選挙カーから連呼される候補者名や政党名、支持者への「ありがとうございます!・よろしくお願いします!」などというなんのひねりもない絶叫を聞かなくてはならないとのこと。

僕は今夏日本に帰れなくて良かったと思うし、日本の皆々様におかれましては、御愁傷の御見舞を謹んで申し上げる。

さて、フランス人の政治信条は極めて単純明快であり、各々がブレない芯を持っている。
無党派層が多くいてこれがキャスティングボードを握るなどということはあり得ず、右派左派左右中道、皆自分の立ち位置を認知しており、それに沿う支持政党を普通持っている。

日本人はこのところ、安倍政権支持改憲派、或いは反安倍護憲派を明確に意識する人間も増えてきたと思われるが、それでも日本の現政体も政党政治も選挙制度も自国の歴史の中で、自分たちの文化として作り上げたものではなく、西洋の猿真似にすぎないから、永久にこれを自分のものとして使いこなせるようになることはない。

今は参議院という、これといって究極の必要性を万人が認めることはできない衆議院のカーボンコピーが、二院中の一院として存在する。

しかし、参議院は戦前のその一院を占めた貴族院とは趣を異にする。

大雑把に言って、貴族院には、日本の歴史や伝統を一身に背負い、そこから国のあり方を思考する公家大名武家の人間や、学問的知見から国に貢献すべきと任じられる一流の学者、金持ちとして国の意思決定に参画し、国へ尽くすことを要求された多額納税者議員が日本を絶えず思考し国を導いていた。

政党政治を基調とする衆議院というものは、戦前も今の衆参と全く同じで、選挙権を持つ民衆を煽りながら支持を得て議席を獲得しなくてはならないので、常に党利党略のために政治を行い、敵の揚げ足取りに終始したように、この宿命を内包している。そしてこれは戦後日本では衆参両院のものとなった訳であり、現フランス議会も変わらない。
これとは別にポピュリズムと別個に超然とした立場で、良質な国の舵取りを行う貴族院の存在は、参議院とは打って変わって、極めて価値のあるものであったと認めざるを得ない。

無論、民衆から超然とした立場にある貴族院とその議員であるから、平等という美名的理念には反するが、ポピュリズムや粗悪な政党政治の弊害を避けるためには、その対極として対抗しうる二院制唯一の方策が貴族院なのである。

参議院は「良識の府」などという自己の存在価値を主張する精一杯の遠吠え虚しく、政党は参議院選挙で負けても困るが、勝っても衆議院ではないからそこまでの意味を見出せない。せいぜい参院選を国民の多くが政権を支持するか否かのバロメーターとして敵政党の揚げ足取りに使うか、平時は政局を混乱させようと参議院議員を使って引っ掻き回すぐらいしか用途がない。
政党助成金のために比例代表の恩恵に預かり、参議院にどうしても議席が欲しいという哀れな政党もあるが。

こんな調子だから、政党を隠して無所属で立候補させるとか、簡単に名前を書いてもらえそうな知名度勝負で有名人をぶつけてきたり、衆議院選挙に増して参議院選挙は粗悪になり、それで、悪趣味な選挙カーが候補者名を叫び、白手袋をはめて出鱈目に手を振りながら、麗しき日本の国土中を爆走する。
一種のコントと言えよう。

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デンマーク人のために駅員になった私

2019年7月9日午前零時15分。
零時46分の終電に乗る為に、僕はパリのリヨン駅にいた。

今宵は、日本から呑兵衛の先輩がパリに見え、当たり前にしっかり呑んで、気分良く駅にいた。

電光掲示板の終電の時刻はなぜか10分遅れて零時56分を指している。まあ少々遅延したかと思ってコーヒーを飲むことにした。
愚かなりし僕は、呑んで列車内でうたた寝することがままあり、コーヒーは飲んでおいた方がいい。

時間もあることであるし、地下鉄の連絡通路から、コーヒーをゆっくり飲めるホール3に行こうと決め、そこへ着き、自販機でカフェオレを買って椅子に座る。

「Do you speak English ?」と言いながら白人の外人風なる中年男が中年女とともに僕に近づいてくる。
「Little bit.」と僕は返す。

男はフランス語しか並ばない電光掲示板を指差しながら、「我々の列車が何番ホームからでるのかわからない。なんでだ。」と訝しがる。
「入線ホームは15分前じゃないと決まらない。」僕はそう答えた。

「というより、なぜ誰一人として案内の駅員がいないんだ。僕たちは観光客でまったく何もかも状況がつかめず困っている。トイレも表示されたところに行ったのに閉まっているし、息子三人は先ほど駅の外で立ちションせざるを得なかった。デンマークじゃあり得ない。」
男はつらつらと寿限無のように英語を重ねた。

「ここはフランス。 日本でもあり得ない。」と僕は返した。

「フランス人は英語が本当に出来ないね。デンマーク人は英語できるよ。」
男はフランス初上陸の感想を、このようにダメ押しした。

聞けば、家族で、今日から二日間フォンテーヌブローの手前のムーラン駅から徒歩15分にあるというキャンプ場で過ごしてから南仏へ下るという。

零時30分を過ぎ、私がホール1へ行こうと促す。
しかし、ホール3と1を繋ぐ通路が閉鎖されている。
僕はリヨン駅は勝手知りたる駅なので、地階のホール2に降りて、そこからホール1を通らずに直接ホームへ行こうと彼らを導く。

再度ホール2の電光掲示板を確認する。
まだ入線のホームは示されないままだ。

残りは10分。
とりあえずホームに出てホーム経由でホール1に行こうとして階段を上がる。

上には掃除夫がいた。
「Melun方面の列車、どれかお分かりですか?」
こう僕が聞くと、
「パリから夜行バスだ。駅の正面玄関口へ出ろ。」

そう言われ、我々は驚きながらもホームを玄関口めがけ歩いていく。
ホームの端に着いた途端、警官たちが我々を制止する。
「なぜか?」
と聞けば、
「不審物が見つかったから閉鎖する。とにかくホール2へ降りろ。」

デンマーク人家族は、そのてんやわんやなことに、果たして終電或いは振替バスに乗れるのか、不安な色を隠さず、呆れ返っている。

僕は「ここはフランス。」と言う。

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パリを嫌うフランス人たち

また一人フランス人の友達がパリを去る。

それにしても、フランスに住んで色々な人と関われば、パリというのは、フランス人の中にこそアンチの多い街であり、半分のフランス人はパリを嫌っていることに気づかされる。
そして、その嫌いようといったら生半可なものではない。

このことは、日本人でも、パリでないフランスに少し住んだ人や、地方出のフランス人などと関わった人ならご共感を賜われるであろう。

パリ以外でパリの話をしたり、たとえパリの中だとしても、パリ人以外のフランス人とパリの話になれば、パリの悪口大会になることは実に常のことである。

それはパリから東南へ70キロ、電車とバスを乗り継いで一時間の距離にあるフォンテーヌブローでも同じことである。
ここはパリの通勤圏であり、僕とて毎日のようにパリへ登るのに、口裏を合わせているかのように万人が万人パリを嫌っている。

フォンテーヌブローの行きつけのバーのオーナーは、パリがこんなに近いのに、年に3、4回しかパリへ行かないと言ってはばからない。
フォンテーヌブロー在住のパリ市警の警官の友達も、先日ムーラン・ルージュで有名なパリの歌舞伎町的歓楽街ピガル地区の署から郊外の署への転属が決まり大喜びしていた上に、パリなんか行きたくもないと言う。
フォンテーヌブローのクラブの料理人は、10年間パリに足を踏み入れていないことをまるで勲章を見せびらかすように言いふらして自慢している。
フォンテーヌブローでパリ大学で博士課程兼任講師をやっているなどというと、「え、パリに通勤しなきゃいけないの?」と御愁傷様の眼差しを向けられる。
フォンテーヌブローの若者は、実家がブルジョワが多いから、大学の時はパリにいたけれども、その後パリを憎むようになって30歳前後で無職であろうが職があろうがUターンしてくる人間ばかりである。
フォンテーヌブローでは、繰り返すが、パリ好きなフランス人など本当に皆無だから、パリと聞いただけでみんな悪口を言い出す。

国際漫画フェスティバルで有名なアングレームの出の僕の友人のフランス人女性は、大学でパリに来て、パリで就職先を見つけて一、二年経つか経たないかの間に転勤願いを出してグルノーブルへ行ってしまった。彼女は最初からパリが嫌いで悪口をしていたし、パリには二度と戻らないという。

昨日は、フランス人の友人の誕生日会にお招きいただいてパリへ行ってきたが、彼女もあと数週間で彼氏と南仏のニース近くの街へ引っ越してしまう。そこで出会ったもう一カップルも、来月ディジョンに越してしまう。

みんなパリのど真ん中で行われた誕生日会で、パリに住みたくないと宣言していた。
パリの中心でパリをDisる。か。

中央集権で政治経済がパリ一局集中のフランスにありて、多くの若者は学業や就職のためにパリに登らねばならない事実がある。しかし、相当多くの若者が、転勤だのなんだのあらゆる手段を利用してそこからの脱出を試みることもまた事実である。

僕は常日頃パリ嫌いの連中の捨て台詞を聞いているが、これはこのViceの記事、「パリは地球上最悪の場所ーロンドン、バルセロナより悪い・地獄より悪い・あらゆるものより悪い」に上手く表されているから、これを要約しつつ私見を述べよう。

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