黄色いベスト運動(3) ~ナショナリズムの回帰を感じながら~

1.顕在化するタブーとしての移民問題とナショナリズム

フランスでは今や右も左もフランスファーストを志している。

EUは懐疑的に捉えられ、足かせとも考えれ、グローバル化の中で、失ったフランスを取り戻すことへ余念が無い。

日本はといえば、先々移民の問題が起こるとわかっていながら、外国人労働力だのなんだの、AI時代が来るのに、旧態依然の発想を抜け出ず、ヨーロッパの真似事を時間差でやろうとする。

日本が脱亜入欧の感覚を未だに捨て去れないのには、辟易する。

ユートピアがあればいいが、現実をして、ユートピアは夢でしかない。とフランスに住むと痛感する。

 

日本をフランス型の移民国家にしてはいけない。

移民にとっても、受け入れ側にとっても、世代を経ていよいよ相容れないという不幸がやってくる。

友好的な外国人を住まわすということは良いとしても、無選別に入れる労働力としての移民など如何なものか。

人間とは単なる労働力として、消費すべき機械にあらず。

彼らも人の心を持ち、長く民族のうちに蓄積する文化を持っている。

そして、金を稼ぐために外国に行くわけだから、必ずしも日本に興味があり、日本の文化を尊重するとは限らない。

 

フランスは高慢ちきに、国家教育をして、移民を馴染ませようとしたが、馴染まなかった。

言語だって宗教だって文化だって、物の考え方だって、移民は絶対フランスナイズされない。

良い悪いではなく、蓄積された文化を持つ人は所を変えても、それを保守しようとする。

僕も定義上フランスの移民であり、フランスに6年もいながら、常に日本人の頭で、物事を考え、日本人としての自分の経験から、フランスを眺め、食事は和食を好むのと同じだ。そして、いまだに信仰の形態は神仏の混交である。フランスナイズされたかと言われれば、全くされていない。むしろ日本人としての自我が深まるばかりである。

移民は住めば住むほど、オリジンのアイデンティティを強くするものなのである。

アラブの移民は家庭でクスクスを食し、ハラルフードであり、俗化していなければ酒を飲まない。

華僑は中華を食べている。

敬虔なユダヤ人はユダヤ肉屋で買える、教義に乗っ取った屠殺方法をした肉しか食べない。

インド移民はヒンドゥー飯だ。

日本人旅行客でさえ、梅干しとかをスーツケースに忍ばせてくるではないか。

移民のおふくろの味は移民の民族の数だけあるのである。

移民は、フランス国籍を持ちながら、「俺たちはアラブだ!中華だ!黒人だ!」と、延々とやり続ける。

アイデンティティがある以上、これは致し方ない。

移民を受け入れるとはこういうことなのである。

人間を労働力として軽んじると必ず痛い目を見る。

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黄色いベスト運動(2)~EUのほころびの中で~

1.マクロンの失政

フランス社会の大きな問題として、エリート権威主義がある。

マクロンのようなエリートたちは、自分が権威であると思っているから、市井の人たちの言うことに全く聞く耳を持たないし、分析する能力もない。

エリートは彼らの階層内のみで交わり、お勉強しかしてこないから、たとえそれが民衆の立場を標榜する左派エリート政治家であったとしても、全く社会を知らない。

研究者でもそうだが、政治家も、「私は労働者の味方です」とか「庶民庶民・民衆民衆」という人に限って、庶民感覚がない。そもそも、労働者でもない。

一度もツルハシを握ったことのない人間が、わかったように労働者を代弁していることがシュールである。

マクロンはもともと左派なのに、彼が大好きなはずの民衆に噛み付かれたということで、笑ってしまう。

この庶民感覚が著しく欠如した大統領は、このたび、なんとか国家をリフォームして、財政再建をしようとしたが、全てにおいて失敗した。

マクロンは、いろいろなところで「環境のための燃料税」とか、大義を掲げながら各種税収を数パーセント増やすことを試みた。

私のような外国人学生からの学費を、今の年間数万円から、数十万円まで上げようともした。

これは、僕も大学の予算の窮乏を知っているから、仕方ないとは思っていたが、このマクロンの思惑も黄色いベスト運動で頓挫した。

 

ちなみに、「同じ」大学生・大学院生なのに、「違う」授業料をとる、ということは、フランスの「平等」を掲げる国体に合致しないので、これに対する反対闘争が起こった。

僕は、「チャンスの平等」は大切に思うが、共産主義的な「富の平等」の理念は、極めて危険であると思っている。

また、慎ましく、社会を尊重して生きる人と、犯罪ばかりするようなそうではない人を平等に扱ってはならないと思っている。

そもそも、猿山にボスザルがあり、蜂の社会には女王蜂が君臨し、ガキの集いにはガキ大将がいるように、指揮権を持つ権力者が、動物や人間の世界の全てに必ず生まれるので、身分・立場や富の平等は起こりえない。

完全なチャンスの平等も、これもまた、無理だが、しかし、チャンスの平等格差は常に減らすよう権力は尽力すべきである。

この点、外人であるところの僕が、フランスで学業をするにあたり、フランス人よりも数倍の授業料を払うとなれば、日本人にとっての30万円が、アフリカ人にとっての30万円とは大きく価値が違うように、外人学生がフランスで学びたいとする、「チャンスの平等」を一層阻害することは否めない。

しかし、外人というのは、その国の国民よりも劣等に扱われることは当然であるし、受け入れてくれている国を尊重しなくてはならないから、僕はマクロンが授業料をあげると言った時、それでも日本より授業料が低いから、表向き反対せずとも、困ったものだなと感じた。

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黄色いベスト運動(1)〜どうしてこんなことになったのか〜

先月より、Gilets Jaunes(単数形で、Jaune=黄色い・Gilet=チョッキ)、「黄色いベスト運動」が毎週末パリのシャンゼリゼ近辺を騒がしている。

そして、これが、ことさらにクローズアップされ、ニュースとなって世界中に毎週のように流れるから、日本の視聴者は、パリやフランスの治安の一事が万事危険になっていると映るようである。

しかし、今の所、心配はご無用。

デモに参加したり、居合わせたり、近隣住民でなければ被害はない。

交通規制やメトロの封鎖などによる不便を除けば、通常の市民生活を営むことができる。

今回の黄色いベスト運動は、確かにデモとしては大規模で、暴力と破壊を伴う大きなものである。

しかし、日本でこの情報に接するときは、ニュースはそもそも、切り取られて流される情報であるということを改めて意識し、ニュースの内容全てが、デモやフランス社会への正しい分析ではないことを、お含みおきいただきたい。

これから、数点、僕がこちらで、人と話したり、聞いたり見たり、肌で感じたこのデモの日々と社会を、あくまで自分の責任の範囲内でお伝えできればと思う。

 

 

1.僕が思う今回のデモの特殊性

 

 

パリのテロの後、オランド大統領始め各国首脳も集うテロ反対の行進があったのは、レピュブリック広場。

このように、デモ行進する有名どころはレピュブリック広場である。

こちらは、下町であり、さしあたって観光地ではないから、観光客には馴染みもなければ、イメージするパリの街並みとは違う。

ルーブルの近くで、労働組合の小規模なデモを見たことはあるが、普通デモはバスティーユとか、レピュブリックとかの下町側の広場、つまり警察の規制のしやすいところで行われてきた。

バスティーユには新オペラ座があるが、オペラでも見ない限りは、フランス革命のバスティーユ監獄跡を除いて大した観光地ではない。

日本でも、普通、デモは警察に届け出て、日比谷公園から銀座方面を行進したりする程度のものである。

 

今回の黄色いベスト運動は、そういう出来合いのデモではなく、ツイッターなどSNSで呼びかけが始まり、いざシャンゼリゼへという形で勃発した、ゲリラライブ的な暴動デモである。

ここに、警察の管理下に行われる安寧のデモと、今回のデモが違うということが感じられる。

また、アラブの春もSNS発の民主化運動であったが、デモに関しても、SNSというものが、情報発信とシェアの手軽さ故に、大きなきっかけをもたらすものになるということを痛感した。

ではこのツイッターなどでの呼びかけに呼応して、デモに集まっている人たちは、本当に本当の多数派で、普通の「庶民・民衆・一般市民」であろうか。

 



2.黄色いベストの人たちは、皆の賛同を得る普通の一般市民か?

 

 

僕の周りにいる一般人、そして大学出の左派の人たちに話を聞いてみても、彼らは普通黄色いベストは過激で、愚かで、賛同できないと言う。

ここで、留意しておきたいのは、良き伝統を受け継ぎながら、国民国家のモラルある向上を志す保守派が通常伝統的な家庭に生まれ、所得はそんなに悪くはない社会階級に属すのに比して、共産主義的平等思想を好み、民衆による社会の革新を志すという左派にあっては、大きく二つの階層があると、僕は見ている。

フランスの大学生や、大学出からなる左翼と、高等教育は受けずに、即刻ブルーカラーになった職工の左翼である。

今回のデモの主たる参加者は明らかにブルーカラー左翼の中のそのまた一部である。

そこに、単なる便乗の過激派や、マクロンを降ろしたいだけの右派も参加しているらしい。

 

大学で担当する全授業でカマをかけて、「みんな黄色いベスト運動は行きましたか?どう思いますか?」なんて、聞いてみると、左派系学生の多いパリ第七大学といえ、ほとんどの生徒が首を横に振ったり、あれはデモじゃないなどとレスポンスしてくる。

そう。黄色いベストというのも、土木の職工などが道で工事をするときなどに着る蛍光ゼッケンなのだから、彼らは自ら、敢えて、我々こそはプロレタリアなのだと示威しているのである。

すなわち、黄色いベストを来ているのは、ブルーカラーの左翼の過激な人たちがメインであるから、これを「フランス人の庶民たち」とか「普通のフランス人みんな」と見るととんでもない誤りとなる。

全共闘世代とか言う時に、その時の若者がみんな学生運動に身を投じていて、すべからく全共闘だったらちゃんちゃら可笑しいのと同じである。

では、どうして、フランス社会における一部の過激派左翼職工たちが、こんなにもインパクトを残すことに成功したのであろうか。

 

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さらばパリ(2)〜地獄の引越。しかし友情。これがセ・ラ・フランス〜

フランス人はほとんど引越し屋を使わない。

運転できる友達にトラックの運転を頼み、友達を動員して行う。

僕も2回ほど手伝ったことがある。

もちろんフランス人はケチだから、謝礼文化はなく、引っ越し終了後に、軽く乾杯をする程度のものである。

こちらも、友達だから手伝っているのであって、そうでなきゃ手伝わないから、友情が本物かどうかが問われる。という行為に引っ越しはなっている。

「どケチだけど親しい人にはハートフル」という典型的なフランス人の特性が現れるのが引っ越しである。

私のこの度の引っ越しの行程。パリから片道70キロのフォンテーヌブローまでは、大親友のフランス人二人にお願いしてある。

フランス人の親友は何人かいるし、友達に広げれば、また少し増えるが、何年も一番仲がいいのはこの二人。あうんの呼吸の僕ら三人なのである。

そして、僕が引っ越しを手伝ったことのある友人たち含め、たくさんの人にお願いできないわけではないが、今まで家具付きの物件にいたので、そこまでの人数は必要ないし、僕は日本人なので、謝礼をしないと気持ちが悪い。親しいからこそ、何もしないで、善意に甘えるだけでは示しがつかないような気がする。

親しき仲にも礼儀ありという日本文化のままに、彼らは僕より若いので、少し包みたいと思うし、ちゃんとしたレストランにも招待する。だから、5人も6人も手伝いがいたら、僕の給料ではそれは叶わないので、大親友の二人に助太刀を願った。

そこからが、フランスだよなという物語の始まり。

予定としては、無事に2018年の9月16日日曜日に引っ越しを完了するはずであった。

4日前に、ネット予約で、大手レンタカー会社SIXTで、日曜朝8時から業務用のVanを借りる。

ところがどっこい、借りた翌日あたりに、次の日曜日は、朝の11時から夜の18時まで、環境保護デーのために、パリ市内は公共交通機関を除けば、車が一切走れないというお触れが出ていることを知る。

行政があらかじめ日にちを決めていることなのに、なんで直前になって噂話で行政命令を知るんだよと、まあいつものことながらイライラする。

メトロの広告などには出ていなかったし、まったく市民生活に直結する布告を周知するという気がない。

それでいてサイトに行くと、引っ越しなどで車をどうしても使わなくてはならない人は、2週間前までに、パリ市役所まで、許可証を申請してくださいとある。

これがフランスの行政能力である。

もはや時すでに遅いし、レンタカー屋なんかそういうことは随分前から知っているはずだから、ネット予約でもそういう日だという旨を明記してくれればいいのに、もちろんそんなことはなく、全く市民や顧客のことを考えていない。

そもそも、常々北京並みの大気汚染のパリに、そんなパフォーマンス的な環境保護イベントをやったって無駄で、石原慎太郎が、トップダウンで東京に旧式ディーゼル車が入れなくしたように、根本から問題解決にあたらなくては、環境なんて改善しない。数年後からようやく取り組むみたいだが。

また、21世紀にありながら、市民への法令の周知がいい加減で、噂話に頼っているというところも、識字率の高い民のレベルもあるが、高札で御触れを民に知らしめた徳川幕府の方が何枚も上手である。

現代のフランスの行政と徳川幕府の行政では、はるかに徳川幕府の方が優れている。

何につけても、そんな古代的なフランスである。

ただ、車は朝8時から借りているから、11時までに荷積みをしてパリから出てしまえばいいので、まあOKとたかを括った。

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さらばパリ(1)〜6年間もありがとう〜

ちょうど6年目にしてついにパリを去る。

好きでもないけど。パリには文化の発信地として一目置いてはいる。

日本人には優しいし。

しかし去る理由はいくつかある。

狭くてぎゅうぎゅうの電車。大気汚染。セカセカ・イライラしているパリの人々。
危険な場所もたくさんあり、危険な人もたくさんいて、様々なところで気を張っていなくてはならない日常生活。尋常ならざる犬の糞。メトロにせよ道にせよ街中の立ちしょんべんと悪臭。不潔な街。

一度とてパリに惚れたことはないが、最初はパリも住めば面白いなと感じたりもしたが、こんなものに、嫌気がさしてきた。
ただでさえ飽きっぽいのに、飽きて来た。

もともと風来坊気質だし、僕が日本を出たのは、日本を外から眺めてもっともっと日本を知りたいからであるから、パリにじっとしていようなどという考えはハナからなかった。

博士課程に入ったときは、女がニースにいて、何回も行ったニースやカッコつけたら天罰が下って一瞬でモンテカルロで200ユーロを擦ったモナコにも惚れていたし、なにせ太陽に飢えるパリのことだから、そこら辺に南下しようと思っていた。
そして、時折パリの大学院の学生でありながら、地方に住んで、何かの折に、TGVや飛行機でパリに来る人もいる。こっちの方が安上がりだ。

しかし、中央集権のフランスにあっては、とりわけ日本学などの外国学で、研究機関、学術会議、良質且つ大量の図書館の蔵書などは全てパリにしか揃っていないから、地方へ行くとハンディがあるので、パリにいた方がいいと言われ断念した。
たとえば、「研究にあの学術書読まなきゃ」という時に、ニースなんかにいたら、すぐ動けない。

 

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今どき珍しカトリック美女と語らふフランスの今昔【3】 〜無神論と宗教みたいなベジタリアン旋風の中で編〜

目下フランスにはものすごく無神論者が多い。

 

でも、彼らが人間の所為とは思えず、科学的にも立証できないようなこと。神道に裏打ちされた日本人の感性からしたら、「神ってる」みたいな感性を全否定しているのかというと違う気がする。
ただ、カトリックの教義が現代社会に合わなすぎて、これに拒否感を抱いていて、無神論と言っていることが多いと感じる。

 

僕がカトリックの君に良い言葉ねと言われて嬉しくなっちゃったのが、無神論者は本当に無神論という訳ではなく、Ils essaient de ne pas croire. 【信じないように努力している。】と感じるといった言葉であった。

 

この言葉は、フランス人の無神論者の非宗教形式の結婚式に出たからこそ出た言葉であった。

 

こちらでは、無神論者の結婚式では、結婚式場で、あらかじめ指名された友達が神父のような役割をする。それだけでも、聖職者が持つような重みがない。キリスト教の結婚式っぽいやり方でやるから聖職者の影がちらつくので、逆に胡散臭くなってしまう。

 

しかも、無神論なはずなのに、神とか忠義とか、神父が言いそうな文言がしばしば出てきて、無神論なのにキリスト教を払拭できてないじゃんと思わされるのである。

 

そもそも、無神論なら、宗教を否定するのだから、教会における結婚式のスタイルを模倣してやっていること自体おかしい。
アナーキストが国から生活保護を受けるような矛盾なのである。

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今どき珍しカトリック美女と語らふフランスの今昔【2】 〜カトリックの人の価値観と考えに学ぶ編〜

このカトリックの令嬢は、伝統主義者である。日本人の知り合いなんて僕しかいないし、別に日本語ができるとかそういう訳ではないが、伝統と近代的なものが融合する日本というものに淡い興味や期待を持っている。

 

それもそのはず、ミサに行ったらジジババしかいないのに、今時若者に珍しいカトリックである。ということは、伝統的なものに重きをおく家庭に生まれ、育ったからそうなっているのである。

 

彼女のおかげ様で、僕は彼女と比較しながら自分を分析する。
普通の日本人の多くが、先祖を敬い、家の由来を知っているように、うちも普通にそうだし、墓参りもするし、ここはちょっと珍しいかもしれないが、歴代の当主のおかげで、33回忌でフィニッシュせずに、50年置きの遠忌で先祖の法要も重要視するし、神社にも好き好んで行くしということで、伝統主義者と言える。
時代の波の中で、変わるべきものは変わり、変えるべきものを変えるということも必要と認めるが、人間は歴史の連続性の上に位置するので、古くから続き、あるいは先祖より伝わる伝統的なものに僕は価値を見出す。

 

だから、僕が女にばかり厳しくなる一神教の弊害などを知覚していても、カトリックでもイスラムでも世界宗教として伝統的に存在してきたわけで、そこには敬意を払う。

 

ただ、一神教は、「セックスはいけませんが、レイプされてできた子も等しく神の子であるから避妊も堕胎もいけません」というように、人間の自然の摂理や感情を否定しながら、偽善に走るので僕は批判的にならなくてはならないことも多い。
どうして「セックスは最高だしよろしいですが、女性を傷めないように男は馬鹿だから気をつけましょうね」と考えられないのかな。とか、生まれや趣向は選べないのに、ホモセクシャルは人ではないなどとどうして言えるのかなど、日本の伝統主義者としては、考えられないような教義が一神教には多すぎる。

 

フランスではこういうことに対する反発が主として、無神論者が溢れ、彼らは「神はいない。カトリックなんて偽善だし、馬鹿じゃねえの」と散々ぱら公然と馬鹿にするが、僕には、偽善であることは認めても、カトリックの人たちが御先祖様から家がしてきたように伝統的に生きたい、とする気持ちを無下にすることはできない。
あるいは、性観念以外のモラルという意味では、敬虔なカトリック教徒のように、信仰心のある人の方が、慎ましく、道徳的で、品がいいということは体感として感じる。



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今どき珍しカトリック美女と語らふフランスの今昔【1】 〜どうして現代白人フランス人なのに隠れキリシタンなのよ編〜

またしてもジャズのおかげで面白く美しき女に出会った。彼女は、そこそこ食えていけているドキュメンタリー映画監督で、ジャーナリストでもある。さて、気が合うので、夕食を共にし、あれこれ話をしていた。そして、お馴染みの宗教トークである。我々はもとより好奇心旺盛な人間であることに加え、社会的なことに興味があるから、日仏の比較やフランスの現状を鑑みるに、宗教トークは切っても切り離せない。

 

今回の宗教トークのきっかけは、この夏のバカンスで、彼女が、フランスから陸路歩いてスペインにあるカトリックの聖地サンティアゴ デ コンポステーラの巡礼へ行ってきたという話から始まった。巡礼のことを、フランス語ではPèlerinage【ペレリナージュ】と言い、日本の御遍路とか御伊勢参りなどの訳語にも用いられる。これは今では観光化され、信者でなくてもみんな普通に行く。

 

しかし、彼女はそういう人とは違った。ひっそりと「私カトリックなのよ。信者の仲間内を除けば、あなた以外には誰も言っていないけど。」

 

きた〜!である。僕は外人であり、フランス人の学のある人間は日本人が鷹揚な宗教観を持つことを知っているからの告解である。
しかし、社会では彼女はカトリック教徒であることを、隠して生きている。
なぜ、自由の国フランスで彼女が隠れキリシタンにならなくてはならない道理があるのであろうか?

 

イスラム教徒や、ユダヤ人は、宗教的な事由を述べて、仕事を欠席したり、職務時間中に祈りを捧げたりすることがある。イスラム教徒なら、ラマダン期間中は職務中も信徒であることを隠さず断食するし、ユダヤ人なら金曜の日没以降と土曜日は安息日で、究極には家事をすることも禁忌だから、金曜の夜と土曜日に彼らと何かをしようと思っても、彼らのためにこちらの都合を変えなくてはならない。
しかし、彼女曰くカトリックの人は、私はカトリックなので、聖なる日にお休みを頂きますとか、いついつは宗教で、などと公言することはできず、信徒であることも隠していると言う。

 

僕はなるほどねと思った。
政教分離を建前にするフランスに長く住むと、一瞬の王政復古もあったが、革命以降、公然と反カトリック、反王族、反貴族を旗印にしてきたフランスにあっては、今、人権や多様性、反差別という題目の下で、イスラム教やユダヤ教に関して何かを言うことはタブーだが、キリスト教に対してはめちゃんこにDisって良いという空気を感じるし、事実そうである。
そして、そこにこそ、伝統や歴史、文化に関する現代フランス人の自己矛盾が浮かび上がる。

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フランスとサッカー、フランス人ってなあに? 移民と慈善事業 〜W杯優勝記念〜

2018年ロシアW杯でフランスは優勝した。

 

僕はパリで、フランス人たちがW杯を通じて熱狂的になり、それが優勝で沸点に達するという珍しい光景に一日本人として遭遇した。

 

さて、フランスの代表チームには、昔から純粋にフランス人ですというような、純粋な白人はほぼおらず、ほとんど黒人であったということは、日本人も気づいたであろう。しかし彼らは、呂比須ワグナー、ラモス瑠偉、闘莉王、三都主アレサンドロ、ハーフナーマイクのように、時折日本の代表チームに見られるような、帰化第一世代選手ではない。
フランスの移民の家庭に生を受け、そして、フランスでは黒人ともなれば移民は普通貧困であるから、そういうところからサッカーで這い上がってきた強者ということになる。

 

サッカーのナショナルチーム一つとっても、同じヨーロッパでありながら、移民政策をして移民を長きにわたり受け入れてきた、かつての経済大国フランスと、もとよりヨーロッパの貧困国であり、移民をフランスなどに出しこそすれ、移民が来ないクロアチアとの色彩の差は歴然であった。つまりクロアチアは純クロアチア人のチームなのである。

 

さらに、フランス代表をして、たとえそれが白人であろうと、彼らの多くは移民の白人の家庭の子である。代表選手で、黒人以外の選手だけをピックアップする。

GK Hugo Lloris : スペインカタルーニャ移民
GK Alphonse Areola : フィリピン移民
F Antoine Griezmann : ドイツとポルトガルのハーフ
F Olivier Giroud : フランスとイタリアの血筋
F Florian Thauvin : フランス
D Adil Rami : モロッコ移民
D Nabil Fekir : アルジェリア移民
D Lucas Hernandez : スペイン系?
D Benjamin Pavard : フランス

こういう概要であるから、フランスにおいて、サッカーは移民の人たちの注目を常に浴び、また、選手たちも、自分たちのアイデンティティーに関してよくメディアで発言するように、自分のアイデンティーを背負いながら、代表選手を務めることになる。

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嘘七百のクールジャパン

《迷走「クールジャパン」相次ぐプロジェクト失敗でムダ金に》というFNNのニュースを目にした。それによれば、日本維新の会の清水貴之参院議員が、さまざまなクールジャパンプロジェクトで、経産省所管の官民ファンドから投資された国民の税金が、損失を出し続けていることを突いている。

 

パリにいると、日本で報道されるパリの素顔、パリの日本文化、日本で言われるパリの流行が、嘘八百、ないし譲って嘘七百ぐらいであると感じることがある。

 

少し前は、「パリジェンヌって服5着しかもたないの?」などと日本でよく聞かれたものである。

 

こういう荒唐無稽なパリのイメージが日本で定着しているのは、まずフランスやパリに長期間滞在して、ある程度のフランス語を話し、社会を吟味し、フランスの実情を日本に発信する人が少ないこと、故に現地の実情が日本に遍く伝わっていないことが原因である。

 

情報化社会とはいえ、日本には正確な国際情報は乏しい。今尚、フランスが純然たる白人国家であると思っている日本人は多いし、ヨーロッパが豊かだとか経済大国であると思っている日本人も多い。
豊かというのは感覚的な問題であるが、私の感覚ではヨーロッパは豊かで経済的に大国であるという感覚はない。下手すれば貧困国。逆に時間のゆとりや精神は豊かかもしれない。

 

たとえば、パリとその周辺からなる首都圏イルドフランス地域圏では、それ以外の地域より13%も物価が高い。感覚で、軽く昼飯を食べれば2000円、これにワインやデザートをつければ3000円は飛ぶ。安いケバブ屋でもドリンクをつければ800円ぐらいはする。
それでいてフランス全体の雇われの月給の平均が1637ユーロであるところ、パリのそれは2183ユーロであり、ここから諸々の税金が差っ引かれるから、手取りが20万なんかいかない。手取りで20万とっていたらいい給料、30万とっていたら高給取りの世界である。というかパリにいなければ手取り15万もいかないのだ。

 

この塩梅だから、フランス人はかつかつなのである。無論貯金などできないし、みんなどうやって社会保障手当を受けようか策を巡らせているし、外食は気安くできないし、ということである。



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