コロナの中のふらんす (2) マジでパンデミックする5秒前

2020年2月下旬、イタリアで突如としてコロナのパンデミックが始まった。

そのことは日本人同様隣国のフランス人たちも知ってはいたが、ボローニャやミラノといった北イタリアを中心にしたパンデミックであったことから、北フランスの人間たちにとっては「北イタリアが大変」といった感覚であった。

フランスでの罹患者もいたにはいたが、1月の終わりから2月の半ばにかけてコロナにかかったのは数人から十数人の規模で、中国から帰国した人などであった。そのため、未だ、危機感の尻に火がつかない。「イタリアでも武漢のように都市が封鎖されたし、韓国や日本も中国に近いから危ないし、ダイヤモンドプリンセス号も大変ね。」という程度のものである。

面白いことに、こうして他国の出来事を人ごととして眺めることは、無意識に人々の国民国家意識を浮かび上がらせる。

今のEU諸国には国境はなく、フランス国民やイタリア国民は同等にヨーロッパ市民である。EU諸国の航空便は国内線であり、ヨーロッパで一つの統合体であるから、出国手続きもいらない。

イタリアのパンデミックも、本来ならば、ヨーロッパで起きている出来事なのだから、イタリアで起きていることはフランスで起きていることと一緒と考えるのが筋と思われる。
はなまるの模範解答は「国の概念を撤廃してヨーロッパ人として思考し連帯する」である。

しかしヨーロッパは統合されているといっても、各国家があり、言語も違い、ベースとなる民族も違えばアイデンティティも歴史も違う。試みにヨーロッパ人に「何人?」と聞けば、「フランス人」だの「イタリア人」だのと答えても、「ヨーロッパ人」と答えるものはいない。

こんな調子だから、事の重大性がわかる医者や汎ヨーロッパ主義者は別として、フランスにいる普通の人間たちは、イタリアにおけるパンデミックはイタリアのことであると他人事として捉えてしまう。

2月の末にオワーズ県を中心に感染爆発が起き、一気にフランス人の罹患者が100に到達したが、まだ死亡者数が2人であったことも、他人事感に拍車をかける。

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