無賃乗車撃退バス ~ジャンバルジャンの追憶~

2019.8.6. P.M 17:06.

僕はフォンテーヌブローの駅へ行くバスに乗った。

運転台の斜めうしろ横の席へ座った。

フォンテーヌブローの中心街の最後のバス停で、あるアラブ人の若い男が、運転台横の改札機側の人溜まりの後ろから無賃乗車を試みた。

バスの若い運転手はこれを見逃さなかった。「ムッシュー、スィルヴプレ!」
運転手はこの男を呼び止めた。

男は不服そうな顔をして降車した。

駅まであと4つ程度の停留所で、ティーンエイジャーの白人カップルが乗ってきた。

2人して金も払わず、パスカードをタッチするわけでもなく、平然と無賃乗車を試みた。

運転手は既に車両の中程に達した彼女を呼び止めた。

「マダム!」

女は運転台横へ引き返し、彼氏は「いいだろ」というジェスチャーをして粘る。

「だめだ、降りなさい」

運転手は彼らの乗車を拒否した。

二人はバスを降りて、小雨降る道を駅の方へ歩き始めた。

運転手はバスを発車させ、彼らを通り過ぎる瞬間に、してやったりといういたずらっぽい笑顔をして僕に同意を求めた。

僕は運転手によくやったと笑い返した。

――――

無賃乗車はフランスの名物である。

あるいは電車の改札を飛び越え、あるいはバスで平然と改札横を通り過ぎる。

無賃乗車のスリルを味わうフェティシズムか。
それともケチなのか。

不愉快なのが、ケチな無賃乗車フェティシストたちは、注意されると、恥じらう訳でもなく、むしろムッとした表情を浮かべることである。

彼らが平等を求めるサイドの人々なら、平等に運賃を払わなければ、不平等を悪徳に味わう不平等礼讃主義者に陥ってしまっているというロジックに、彼らは気づいてもいない。

僕はよくこんなことを思う。

無賃乗車をすればギロチンになるか。あるいはジャンバルジャンのように19年の牢獄生活になるか。

このぐらいの恐怖の劇薬がないとフランスの民度は上がらないであろうと。

僕が現代の詩人、思想家、モラリストとして崇めるスティングはEnglishman in New Yorkでこう歌っている。

If “manners maketh man” as someone said
He’s the hero of the day
It takes a man to suffer ignorance and smile
Be yourself no matter what they say

Modesty, propriety can lead to notoriety
You could end up as the only one
Gentleness, sobriety are rare in this society
At night a candle’s brighter than the sun

今僕はパリへ登る列車の中でEnglishman in New Yorkを聴いている。

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