死にゆくマドモワゼル

店員が名を知らぬ客を呼ぶ時、或いは、客が店員を呼ぶ時、一対一で近距離ならエクスキューゼモワで済む場合もあるが、対象が定まらない場合、ムッシュかマダムないしマドモワゼルを付けて呼びかけなくてはならない。
そして、「ムッシュ!」「マダム!」「マドモワゼル!」と言って人の注意を惹く呼びかけはフランス文化であり、伝統の中の所作として染み付いている。

こういう時、若い男には「Jeune homme (ジュンノム 兄ちゃん)」と呼びかけたりもすれば、若い娘には「マドモワゼル」と呼ぶのが普通である。
少女に「マダム」はおかしいし、言葉の座りも悪い。

しかし、女心は十人十色で難しく、全部を公的機関のルールに照らして「マダム」と呼んでおけば良いわけでもないし、言葉の座りが悪いからとて「マドモワゼル」を若い娘に自然に使えば良いというわけでもない。

私も大学で生徒にマダムと言ったら、「私はそんな年齢ではありません。マドモワゼルです。」と訂正せしめられたことがある。
逆に年上に見られたくてしょうがないマセた娘はカフェなどで「マドモワゼル」などと呼ばれれば、ガキ扱いされていると感じて嫌がる。
若作りの際どい年齢の女は「マドモワゼル」と呼ばれれば喜ぶ。

更に、トランスジェンダーを見分けるのは難しいし、両性具有の方へは適当な呼称がないだけに、人は男に見えればムッシュ、女に見えればマダムかマドモワゼルと呼びかけざるを得ず、彼らからすれば呼ばれたい性別呼称とズレる場合苦痛であろう。

こういう小噺もある。

フェミニストの白人の女友達がいる。

彼女は、今に存在するフランスでの女性差別やヨーロッパ史の中での男権主義など色々な話をしてくれるから、私の西洋見聞上重要な友人である。

また、フェミニストにしては珍しく、男が完全悪であり、一言言えば「男が悪い!」「男のせいだ!」と結論ありきのシュプレヒコールで議論を潰しにかかってくるタイプではないから、貴重な存在である。

彼女と夕食に行った時にことは起きた。
店員の若い男が地雷を踏んだ。
「マドモワゼル」と声をかけてしまったのである。

勿論彼に悪気はない。

しかし、彼は間髪入れず「マダムよ!」と返され、
「マドモワゼルという呼称は男権主義により抑圧された女に対する云々かんぬん」と説教を喰らったのである。

私とて、飲み屋や八百屋で「ジュンノム!」と呼ばれることもあるが、どうでもいいことで気にならないが、このようにフェミニストに知らないで「マドモワゼル」と使ったら、店員は地雷を踏む。

フェミニストもトランスジェンダーも顔にそう書いてあるわけではないから、客を呼ばなくてはならない店員にとっては完全地雷である。

私も「ムッシュ」と言われたら「マダムよ!」と言ってお説教しようかしら。

髭面の男にこんな説教を喰らったら地雷どころではないであろう。

説教には一つの揺るがぬロジックが必要であるから、「髭は毎日生えてきてしまう男性ホルモンの苦痛を表すが、髭のある人間を男としてみる眼差しが間違っている。」と展開して、もし吹き出そうものなら、「アジア人差別だ!」と言って怒鳴り散らそう。

兎角、日本語の「さん」「様」「そちらの方」などという男女両性具有トランスジェンダー兼用の呼称や呼びかけ方のないフランス語は正念場にある。

とりわけ男にはそれに対応する呼称がないだけに、マドモワゼルは瀕死である。

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