さらばパリ(2)〜地獄の引越。しかし友情。これがセ・ラ・フランス〜

この傾向は、建前では平等・人権というスローガンの中で、人々が真剣に批評し合うことができなくなり、性善説に基づいて生きるよう強要され、それを疑義するようなリアリストなことを言えば、ファシスト、ナショナリスト、レイシスト、ナチス、極右とか叩かれてしまう現代社会で一層加速される。

移民の現実を思いやりを忘れずに、しかし悪いものは悪いと批判しながら、みんなで解決策を探さなくてはいけないのに、そんなことを言えば、「白人にも悪い人がいる。」「すぐ肌の色のことで決めつけて。」などと、現実の真実が眼前に広がっているのに、それを指摘することすら頭ごなしに否定されてしまう。

しかし移民にあふれた左派地盤を除けば、選挙をすると右がだいたい勝つということは、フランス人の多くがリアリストということだし、僕の研究者仲間の友人も、右がかなりいて、内々では様々リアリストな批評が起こる。

このように、強要される建前と多くの人の本音の乖離が当世フランスでは甚だしい。

表に出るときは赤いコートを着させられスカーフを左巻きにし、偽善の綺麗事のみを言うように強要されているかのよう。

まあ、自由なんだから、僕は相変わらず言いたい放題言いますが、それはそれで相当リスキーなことで。

大学では、ほとんどのリアリストの友達は、絶対に政治談義になったら逃げると言っているが、すると左巻きの人の意見だけが学問の世界で大声で唱えられることになる。

生まれは選べないという大前提があるから、僕だっていわれなき差別は反対だが、品のないことをした結果その人たちが差別されるという人間の自然の心の発動は、否定しない。

リアリストはだいたいこういう意見を持っている。

しかし、学問の世界では、こういう類の人間の意見は聞こえないから、そうすると、オール沖縄のオールみたいに、研究者みんなの意見がオール一致でユートピアを信奉する性善説の理想主義者にござい。というようなまやかしがフランスの学問の世界でも存在する訳であり。

私は、せっかくフランスで色々な経験をしているので、自分が経験したこと、感じたことを隠さずありのままに今に発信し、後世にも残しておく奴が少しはいても良いと思っている。

このように、目下フランスにはフランスなりの息苦しさがある訳だが、この偽善を建前にするフランス社会において、一番の問題は、人々が自分の名誉や命をかけて生きるという道徳観と、それを喚起するものがないから社会が堕落すると僕は思っている。

たとえば、コロンビア移民の知り合い(ジャズ仲間の友達)が、郊外の自分のアパートに帰った時に、家のドアが壊されていて警察を呼んだのに警察に無視された。

ドアを壊したのは、下準備であり、数分後にカムバックしてきた黒人窃盗団と鉢合わせになり半殺しにされ、全て家の金目ものを持って行かれたという話がある。

そのあと彼は精神的にきついことになっていた。俺に涙目で顛末を語ってきた。

しかしもちろん警察は犯人を捕まえない。

フランス警察にとって家宅侵入・強盗など軽犯罪なのであろう。

このように犯罪者は、犯罪し放題。殺人とかよっぽどの犯罪でも起こさない限り、ちゃんと捕まえられてブタ箱送りになる心配もない。死刑もない。というか、中南米の変な男に何かされて姿を消した、例の日本人女学生の失踪事件も解決しないまま打ち切られたではないか。

不当な暴行を働いたり、何かを盗んで走って逃げたところで、アメリカのように警官からピストルで撃たれるわけでもなく、ほぼ逃げ切れる。

人を欺いて生きていようとも、やりたい放題貪れる。

正直者は建前に縛られて表で何も言えないまま、心うちで不満が募る。

そして、社会の分断が進む。

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さらばパリ(2)〜地獄の引越。しかし友情。これがセ・ラ・フランス〜 への2件のフィードバック

  1. H.Megumi のコメント:

    フランス式洗礼を受け乍らのお引っ越し、お疲れ様でした。
    何処に居ても何が有っても、信頼出来る友の存在は、何物にも変え難い宝物ですね。
    新しい場所での新生活、楽しんで下さい。
    <幸せな結末>UPも楽しみにしております。

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