日本人が憧れるフランス・憧れないイタリア 〜この差がもたらす悲哀〜

日本人の憧れ根性

日本人はよその国に憧れ出すと、その対象を美化して止まず、手に負えない。
憧れが暴走し、際限なきデフォルメと出鱈目の言説が蔓延する。

その対象の最たるものはフランスである。

どういうことが憧れが暴走した美化であるのか、これを示すに、フランスは良質な一例である。
まずフランスの社会事情は日本に流れない。
ネガティヴイメージはフランスのジャーナリズムが嫌という程発信してくれているのに、日本人が自ら見ないようにする。
そして、それがたとえ日本のためになる情報であっても、ビジネスにならないから世の中に流れない。

日本のテレビや雑誌では、21世紀の混血と移民に溢れたパリなのに、白人ばかりを映し、汚いメトロの風景などは流さず、壮大な建築と街行く白人ばかりのパリを意図的に創り出す。

出版物では、「美しいフランスマダムの云々」、「年をとってますます輝くフランス人」、「フランスマダムが教える何々」、「出生率が大台を超えてハッピーなフランス」といった、そういう現地に根付けば出鱈目と言える言説が溢れかえる。

何も私はこれらの憧れを全否定しているわけではない。
しかし、あまりにそちらに過多であり、他国のステレオタイプのイメージを日本人が創出して酔いしれることが軽薄であると指摘しているのである。

現実にはフランスマダムと言っても、生き方には社会階層や世代や人種、保守的な人なのか革新主義者なのかで変わってくる。またそれがブルジョワなものであれば、フランスでは半分以上のマダムはそういう生き方を嫌っている上に、個人主義でみんな考え方が異なるフランス人の振る舞いを、一様に論じることはできない。

また、フランスマダムが美しいかどうかはあくまで主観であり、「年をとって云々」というのも、フランスには養老院の問題や偽善的な家族に見捨てられる老人など、孤独死の溢れる日本とは違った問題が山積みであるから、何も虹色の老後が待っている訳ではない。

このように、主観的なことを、一事が万事がそうであるかのように一緒くたにして論じたり、社会事情を一切顧みずに、ある事柄をライフスタイル論として論じることは、知的ではない。

そして、これはいづれ別に述べるが、白人の出生率は日本女性並みで、移民の社会保障目当ての子作りが問題なのに、出生率が上がった内幕を分析せずに、あげつらう。

本来ならば、普通、怪しいものは題名や雰囲気から一発で分かるから、日本人はそういう言説の嘘本当を見抜かなくてはいけない上に、そうでなくとも、日本人は物事や説を一旦疑い、その裏にある本質を吟味せねばならない。

この異国の美化は、フランスのみならずアメリカに対しても言える。

戦中は鬼畜米英の米であったのに、敗戦し、豊かな物資をまざまざと見せつけられてチョコレートをもらうと、軍事基地以外への空襲原爆など、市民への攻撃という戦争犯罪をされておきながら、アメリカ様になってしまう。
挙げ句の果ては、ロカビリーからアメカジから、アメリカの白人の文化がイカしていると心酔してしまう。
歴史や戦争における世界の救済者としてアメリカを描くハリウッド映画を嬉々として見る。
そうすることで、対等な友好関係としてアメリカを見るのではなく、いやにアメリカにへつらう、闇雲な従属的親米日本人が増えてしまう。

日本人はいつも、日本人として、日本を考え、自らを洗練するというよりか、人の国のイメージを勝手にデフォルメして憧れ、その文化を無条件にかっこいいものであると捉え、猿真似に走る。
これは、明治維新以降徐々に日本人が、日本人たるの気骨を失い、腑抜けていく証左であると、私は全く個人的且つ感覚的に思っている。

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