Belleville -面白怖いパリのカルティエ、キリシタンのまぼろし-

パリの北の方、20区の中にあるカルティエ、Belleville(ベルヴィル)。
字面は、美しい−街、Belle-Ville。
僕はこの街をSalleville(サルビル)。汚い街と呼んでいる。

 

 

中世には、修道院や教会の門前町として栄えたそうだが、その面影はない。19世紀にはパリの貧民街として知られ、第一次大戦の後には、東欧や東欧ユダヤの移民街になり、第二次大戦に際しては、多くのユダヤ人が検挙 された地区でもある。
戦後、50年代にチュニジア系ユダヤ人が入り、60年代よりアラブ人、80年代には中国人が入った。
今では中華街のイメージが強い。

 

 

1915年12月19日ここで生まれた名歌手がいる。曲芸師Louis Gassion(ルイ=ガッシオン)、道端の歌うたいAnnetta Maillard(アネッタ=マイヤール)の間に生まれた、Édith Gassion (エディット=ガッシオン)、のちのÉdith Piaf(エディット=ピアフ)である。
母親と母方の祖母からネグレクトを受けたピアフを育てたのは、曲芸師を引退し、大道芸人をする父であった。その横で母親のように歌を歌い始めた彼女はスターダムへと駆け上がる。
中華街の坂を登れば、右手に彼女の生まれたアパルトマンが残っている。

 

 

このシステムをよく検証しなくてはならないが、パリの移民街には、アラブ人がいたところを中国人が占領していくという構図がある。
そして、そこを押し出されたアラブ人はまた別のエリアへ行く。
僕の友達の友達である、スペイン人と中国人のハーフで、顔がほぼ中国人、しかしフランス国籍という女の子が、Bellevilleに住んでいて、乗っていた自転車ごと倒されて数人のアラブ人にボコボコに殴られたことがあった。こういう事件は後をたたない。移民同士の軋轢を見せる、ベルヴィルである。
無論、街はゴミや落書きだらけである。
僕は、日本人が来たら、ぜひともピアフを口実にこの街を見て欲しいと思っている。こんなところに観光に来る人間はいないが、パリの一つの実情を知るには非常に適している。

 

 

かつて、日本人三人でここに来て、路地裏にあるベルヴィル公園に来たら、色々な人から睨まれた。あるカメラマンの友人がカメラを向けたら、アラブの人に怒鳴られた。そういう街である。
歩く時には多少緊張が増す。時に、黒塗りのベンツの窓を開けて、チャイニーズマフィアが睨みを聞かせている。
この街を横に走る道には、5メートル間隔で中国人の娼婦が立っている。僕が言っては失礼であるが、彼女たちは驚くほど不細工で、年齢も高い。誰が買うのか疑問である。彼女たちの丸顔が緊張をほぐす。

カテゴリー: お遊び, フランスの現実 パーマリンク

コメントを残す