フランスの熱波のリアル

この2019年のフランスの熱波は、確かにフランスにおいても地球がおかしいということを感じさせる。
45度の気温で冷房がないというものは経験したことがないし、よく人はヨーロッパの夏はカラッとしているから日本より良いといえども、ここまでモワモワした空気になってしまうと、そんなことは関係なく、さらにフォンテーヌブローは、パリとは違い澄んだセーヌ川の上流に位置し森林もあるという水豊かな街だけに、体感する湿度は日本のようである。

私もこの7年目を迎えるパリと近郊での生活の中で、徐々にフランスが暑くなっていることを感じてはいる。特に2012年・13年の冬のパリは何度も雪の降る凍てつくもので、毎日スキー場にいるような顔の肌の痛みを感じていただけに、やっぱりパリは寒いと思ったものだが、そこまでの冬はそれ以来きていないし、夏も涼やかなパリから、どんどん東京のようになり、今年それが東京を超える形でスパークしたために、フランスの四季に対する感慨をどう表現すればいいのか困惑している。

中国人は日本の元号を東アジアの伝統文化が今も残るものとして羨むが、私は旧暦で年度替りを祝う華僑を見るたびに味なものだと思っている。日本は明治6年からグレゴリオ暦を使うようになったために、和歌の枕詞も、旧暦の春夏秋冬とズレるために、座りの悪い落ち着かないものになってしまった。
そして、フランスは暦はいじくっていないのに天候が確かに変わったために、季節が移ろう感慨をどう受け取れば良いのかわからないのである。

日本では一昔前から、夕立はゲリラ豪雨に取って代わられた。「夕立」と言えば趣もあるが、「バケツをひっくり返したような雨」で少々趣は削がれ、「ゲリラ豪雨」などと言えば、完全に興ざめである。
このように、フランスも日本より多少遅れて異常気象になっただけに、春、秋を十二分にフランスで体感することができなくなり、昔ながらの季節感はなくなり、随分趣のないものとなったのである。

たとえば、そもそもパリは雪が降らないから、布施明のカルチェラタンの雪は優れて日本人が勝手にイメージするパリを歌ったものであるが、それでもパリが極寒であれば、この歌もわからなくもないが、凍てつかないパリにあっては、感情移入できない歌になってしまう。
あるいは、これもイタリア人が黄金期のパリへ抱いた妄想でもあるが、プッチーニのラ・ボエームはダンフェールロシュリューというパリ南部の門近辺の屋根裏に住む若者たちの群像劇で、お針子ミミにロドルフォが出会う時にChe Gelida Manina「なんと凍える手だ」と歌っていくのに、こうフランスの気候が変わると、たとえ女の手が冷え性だとしても、凍えるまではいかないから雰囲気が遠ざかる。

さて、この夏のフランスの熱波はさながら海なき常夏であり、人も社会もこれに対応していないがために、そこに暮らせば内実は大変なことになっている。

人々の避暑の方法と権利、社会の混乱に重点を置き、何が置きているのか、ご紹介したい。

1. 公園で水着になるOuiかNon

フランスのアパルトマンは通常バルコニーがない。そのため、南仏ならまだしも、北部フランスにはバルコニーに室外機を置くこともできなければ、壁際に電気工事をして設置するということもないので、クーラーがない。
3万円代ぐらいから簡易冷房機があるが、これはやはり簡易に過ぎず、扇風機に毛の生えたようなものである。
冷房があるところといえば、デパートやチェーン店の服屋、一部レストランやスターバックスなどで、個人経営の店や普通のカフェやバーにそんなものはない。

また、ごく新型の列車やメトロ・バスを除いて冷房がないだけに、じゃデパート行きましょうかと移動する気も失せる。

そのため、フランス人たちは公園に行って水着になって逆に日光浴をしながら噴水で涼むというパワープレーをする。
噴水の水だって綺麗とは言えないだろうし、シャワーがあるわけでもないのに、中々ハードボイルドな涼み方である。

しかし、フランスというのは、なんでも法律で制定されているが故に、権利と違法は法律で厳密に定めなくてはならない。とは言え、その運用は、日本人が40キロ道路を普通60キロで走り、20キロオーバーぐらいなら普通警察に取り締まられないのと同じで、フランス法では外で酔っ払った状態でいることは違法なのだが、しょっぴかれるという訳でもない。

この異常気象は、公共の場で水着になることは権利として認められるかどうかという問題を提起している。パリやその周辺にこんなに水着の人間が溢れることも普通はないが、これに対応する法律がないために、人々は公共の場で水着になる権利は認められていないのだが、権力はこれを黙認するという手段で対応している。
ただ、トップレスになることはだめで、これに違反すれば48ユーロの罰金刑の可能性ありということで、またこれは「男は水着で乳首を出すのに、女は!」ということで、十二分にフェミニズムの議題になるけれども、こういう状況になっている。
そういう時は女性はかわいそうなので、みんな男が払ってあげたらいい。

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